自己紹介(はせたく高校進学を諦める編)

こんにちは!

小学校の頃とは打って変わって、模範的な生徒として過ごしていた中学校生活。すべてが順調でした。充実していました。

そんな前回からの続きです。

校外の課題活動等も含めて、とりあえず目立つことをしていると教師陣からの信頼も厚くなり、校長先生に定期的に昼食を誘われるようになったりしていました。笑

高校受験に備えて中学1年からほぼ毎月、模擬試験を受けて実力を測っていたのですが、安定して志望校をA判定が取れるようになってきました。

まったく箸にも棒にもかからなかった中学受験とは様子が全く違っていて、さらに他府県の上位校だって狙える状態でした。

ですけど、僕は一途でした。笑

何事にも一途なのはこの頃からの僕の特長でした。笑


そんな僕が高校受験自体を諦めなくてはいけなくなる事件がありました。


あれは確か中学2年生になる少し前の頃です。



"はせたく高校進学を諦める"


父が失職しました。


そして生活が一変しました。


当時50歳を目前にしていた父の再就職はうまくいかず、無給状態が続きました。居場所を失ったショックも計り知れなかったと思います。

決まった再就職先が有名なブラック企業で、長続きしなかったり、、

最終的にはかなり時間はかかりましたが、某冠婚葬祭の大手企業の代理店を立ち上げ、葬儀を取り仕切ったり、会員を募ったり、生命保険の営業をすることになりました。(わかる人にはどこの会社かわかるかと思います。)

元々、葬祭ディレクターしかしてこなかった父ですから、いきなり営業なんてうまくいかず給料も1/5ほどになってしまったようでした。


加えてちゃんと働けていない期間もあったので、明らかにお金のかかる私立なんて行かせてくれとお願いできる状態ではなくなってしまいました。塾も辞めなくちゃいけない。

でも、親心的には、子どもにはそんな事を気にして欲しくなかったようで、一切そんな話はしては来ませんでした。


なので、僕から話をしました。

「僕、高校受験諦めるわ。」と、

ちょうど父の借金が発覚した頃でした。


母は泣いていました。

実は、僕の母は高校に進学できませんでした。父親の就業不能によって、生活がままならなかったためです。

でも、諦める必要はないと、首を縦には振りませんでした。


ですが、個人的には親に無理させてまで進学するのは気が引けました。

「お金が無いなら、働きながら夜間学校で勉強はできるし、大検取得だってできるやろ、だって僕優秀やで。」なんて笑いながら言ってたらめちゃくちゃ怒られました。


それから、父と母の夫婦喧嘩も多くなりました。

また、父がどこかからお金を借りてきたようです。メンツを気にして外で無駄遣いする癖は治りません。

そんなの払うために貯めたお金じゃないのに、貯金残高がどんどん減っているようでした。

大好きなバスケにも身が入らず、練習をさぼりがちになりました。気が付いたら部活を引退していました。

あの頃、精神的にかなり不安定だったと思います。

母は大丈夫だと言うけれど、本当に大丈夫なんだろうか?とずーっとそんな悩みが頭の中をぐるぐる巡っていました。


中学3年生の秋を過ぎたころ担任の先生に、正直に今の家庭状況を相談しました。先生はかなり親身になって話を聞いてくれました。

そして母と僕との3者面談の時に、母が初めて弱音を吐きました。

「この子が望む学校に進ませてやれないかもしれない。」と、

実は、この時には、僕たち兄妹の学費のために貯めていたお金に手をつけないとどうしようもない状態にまでなっていたようです。

余計な話ですが、、

今ではそんな事思いませんが、当時は地元の公立高校なんて行くくらいなら働いた方がマシだと思っていました。

余計なプライドがありました。

当時、尼崎市内の中学生は神戸にある県立の名門校などを受験することができませんでした。実力に見合う学校は市内には1校もありませんでした。  

実際に、親戚がやっている工務店で働こうかとも本気で考えました。

その事も先生に話しました。

すると、明石にある国立の工業高専なら推薦が出せると言われました。その他にも親身になって僕に情報をくれました。

また、良い学校に行くことだけが全てではないとも教えられました。

やや、ふてくされていた僕でしたが、「何のために勉強するのか」を考えた時、先生が言うようにそれはただ良い学校に行くためではなくて、

僕は、僕に勉強を教えてくれた多田先生のようになりたいから勉強をしているんだ、学校は手段であって、目的ではないんだと腹に落ちたのを憶えています。

そう考えると気持ちが楽になりました。


学費もそんなにかからないだろう、地元の公立か明石高専に行くかで悩んでいた時、

母から「本当にそれで良いんか?自分に嘘ついてないんか?」と聞かれました。  

「嘘も何も無理なもんはしゃーないし、そしたら今ある選択肢で考えるしかないやん。」ってムキになったのを憶えてます。

でも、正直言って諦めきれてはいませんでした。

母もそれには気付いてました。


"諦めきれない気持ちをぶつける"

年が明ける前の頃、一度正直に全部話そうと思いました。思いの丈を全部ぶつけました。

2人してめちゃくちゃ泣いてました。

そして、母から言われた言葉は「何とかする。」でした。  

当時、どうやって準備するかは教えてくれませんでした。


話は逸れますが、それからかなりの月日が経って、僕が保険会社に転職する話を母にした時、

実はその時のお金は母が十代から入っていた終身保険や個人年金の契約者貸付だった事を教えてもらいました。

生命保険の仕事に縁を感じ、頑張ってみようと覚悟が決まったのもその時でした。


その後、最後の追い込みのおかげで、志望校の受験も難なくクリアする事ができました。  

晴れて中学受験のリベンジを果たす事ができた訳ですが、たくさんの人から支えられてこそ果たす事ができた事だと思います。  

口では余裕だなんだと言いながらも、

合格発表の時に自分の受験番号を見つけた時はボロボロに泣きました。

3年ぶりに同じ場所で泣いた訳ですが、今度の涙は嬉し涙でした。  

間違いなくこの一連の経験が無ければ今の僕はいません。

そんな、ながいながーい、知らず知らずのうちに生命保険の力で救われていた保険屋さんの話でした。

そんな僕だからこそ、将来お金で困る人が1人でも少なくなるように、備える大切さをこれからも伝えていきたいと思います。

はせたく

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