猫と子
2013年に猫を引き取ってから、もう8年になる。体も小さく、目と足の悪い子猫はなかなか貰い手がつかなかったようだ。が、最終的には我が家に腰を落ち着けた。その後、わたし自身が離婚をしたり、再婚をしたり、海のそばへ引っ越したり都内へ戻ったり、妊娠して出産したりと、慌ただしい人生を送っていた間も、猫はずっとわたしの家にいた。
心配していた片目の濁りは生活するぶんには困らず、弱々しかった後ろ足はすっかり丈夫になった。たいした病気もせず、今年で8歳になる。雄猫だからなのか、体格がどっしりとしており、なんだか貫禄がある。そういう生き物が我が家をうろうろして、妊娠で腹が出っぱったり突然現れた赤子に振り回されているわたしを求めて、にゃあにゃあと鳴く。
さて一方の子は、今年で3歳になる。猫を連れて再婚した夫との間にできた娘は、高齢出産で産んだせいか、めっぽうかわいい。2歳になる前に入れた保育園は大正解で、保育者や同じクラスの子どもたちの影響を受け、子はぐんぐんと成長を見せた。
ふにゃふにゃと柔らかくただ泣くだけだった生き物が、歌ったり踊ったり、生意気な口を聞くようになったのだ。これは本当にものすごい成長で、わずかにあった「子を預けて働くこと」への罪悪感は、あっという間にふきとんだ。
さてこの子と猫との関係はというと、一定の距離感を保ちつつ、猫のほうが子に寛容に対応している印象である。赤子は容赦がないので、ソファの上でくつろぐ猫の隣に座らせたりすると、むんずと毛を掴んで大喜びしている。
猫はじっと何かを考えるようにしばし硬直したあと、するりとどこかへ行ってしまう。毛を掴まれて嫌なわけがないと思うのだが、後から来た生き物へ、それなりに配慮をしているのかな、と感じることもある。
その1人と1匹の間に、最近ちょっとした変化があった。
娘が猫に餌をやることを覚えたのだ。
親が両方とも、決まった時間になると何やらザラザラと音のするものを皿の上にあけて猫を呼んでいる。猫はいそいそとそれを食べている。その様子が楽しそうに見えたのか、あるとき「ザラザラッ」という聞き慣れた音に驚くと、子が猫の餌を皿に出してやっていた。
猫には決まった時間にごはんをあげることにしているから、これからは黙ってあげちゃだめだよ。そういうと子は神妙な顔をしてうなずいたが、それ以降、猫に餌をやろうとすると「◯◯ちゃん(自分のこと)があげるの!!!」と言って怒るようになった。
量さえ加減して渡せば、皿にごはんをあけることくらいは任せてもいいだろう。そう思って、時間になると「猫にごはんあげたい人!」と呼びかけるようにした。呼びかけられた子は「はい!」と立ち上がり、猫の餌場へやってくる。やってきて、ザラザラとごはんを皿にあけたあとは、対して興味も示さず自席へ戻る。
あれ?もしや、子は猫に餌をあげたいのではなく、この「ザラザラ」がやりたいだけなのでは?
そう思わないこともないが、ほんのたまに、餌を食む猫のとなりにしゃがんで、その様子を観察する微笑ましい風景もある。背中を丸めて餌を食む猫と、同じように背中を丸めてその様子を観察している小さな娘。なかなか悪くない風景である。
うちの猫があと何年生きるかはわからないし、わたしも何歳まで生きるかはわからないけれど、まあこの1人と1匹の間に何かが生まれたり生まれなかったりする様子を眺めることはできるだろう。
人生にひとつ楽しみが増えた、と思う。子の成長も楽しみだし、猫の変化も楽しみだ。家に生き物がいる、というのは、そういう小さな楽しみの積み重ねが増える、ということなのかもしれないな。そんなことを思ったのでした。
今日はそんな感じです。
チャオ!
サポートいただいた場合は主に娘のミルク代か、猫のエサ代になります!ありがとうございます!