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LOUNGE NEO、Glad、VUENOS閉店を受けての想い(has)

※最初にこのnoteは一個人としての想いを書いております。このnoteで不快な思いをされてしまった方がいたら申し訳ありません。
長文となっております。最後にクラウドファンディングへのリンクがあります。

4月30日12時にTwitterのタイムラインを騒がせる衝撃的なツイートが投稿されました。

MUSIC UNITYが終わった翌週の4/13にclubasiaの部長、カルチャーオブエイジアの部長の鈴木さんことスーさんからスタッフさんとは別で一番に電話があり、本件に関しては聞いておりました。

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その電話の中ではもう本当にヤバいけどなんとか模索して動いてる状況で、0.1%くらいの奇跡が起きたら続けられるかもだったので、LOUNGE NEOらが無くなる覚悟はしていました。協力できることはなんでもやるぞ!くらいの気持ちで配信も含めて、お互い前向きに電話を終えました。
25日に何気にないLINEの流れで5月末に閉店が決まったのを知りました。

今日の昼の発表を受けて、友人、一緒にやってきたアーティスト、スタッフ、遊びにきてくれてた人たちのLOUNGE NEO、Glad、VUENOSについての思い出や悲痛な声を聞いて本当に愛されてた素晴らしい場所だったんだなと思いかえし、仕事しながら泣きました。

LOUNGE NEO、Glad、VUENOS、clubasiaでのDJと思い出
この場所ではここに書いてないけどもっとたくさんのイベントがあり、人それぞれ様々なストーリーがあります。以下は僕から見たストーリーです。

LOUNGE NEOへ最初のDJと遊びに行ったのは同じタイミングで、2011年にLOUNGE NEOで当時、遊んでいた飲み仲間たちとHOTELというイベントでDJしたのが初。まだ今のVJブースになってる頃でメインスピーカーの音が悪かった頃で、その後は何度か遊びに行ってました。

数年が経ち、2013年の年末、今でも強烈に覚えてるTREKKIE TRAX主催のベースゴリラというLOUNGE NEOで開催されたイベントに遊びに行き、当時、北海道に上京前のBUDDHAHOUSE(LOUNGE NEO初出演)とゴリラしました。新しいシーンが生まれる熱量が凄かった。

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当時、同月に僕も「BOUNCE UP」というイベントを恵比寿BATICAで開催しており、そちらにも今、活躍してるみんなが一緒に出ていて新しいアーティスト、シーンのような風を感じました。上京前のDJ YENが出演し、Jersey Clubが日本一かかってたイベント。

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その後、1年カナダに移住し帰国して、アメリカ帰りのDJ YENとユニット組んでLOUNGE NEOのラウンジに出演したのがスーさんの店長時代のLOUNGE NEOでの初DJ、その後、JaQwaさん主催のBASS UPにRedcompassに誘われソロで呼ばれ、卒業式(入学式)という一生卒業できなかった奇祭にオファーされたのがLOUNGE NEOのきっかけ。

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この頃から本当によくLOUNGE NEOで出演も遊びにもめちゃくちゃ行った。

そしてスーさんから当時、clubasiaの深夜の店長の城戸さんことみんなのお母さんのタマさんを紹介され、主催のBOUNCE UPの2周年のイベントを開催。その時に自分たちだけでなく違うカルチャーも入れて面白くしようとPOOLの主催をしてたhypeとLADY'S ONLYのagelowに共同主催をお願いして以後、ずっと周年はお世話になり、 #バンサプール へ。

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そして2015年のLOUNGE NEOの周年イベント #家だけにYEAH に出演。LOUNGE NEOの6Fラウンジでした。

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2016年もスーさん企画のイベントから外タレイベントまでたくさん呼んでいただきました。
そして夏の恒例のBOUNCE UP周年。この年はフランスよりLH4Lを呼びました。デイでの開催で無理を言って、スーさんに担当してもらいました。
Night Tempoもこの時、初めて韓国から呼びました。

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3周年後、BATICAからホームをLOUNGE NEOに移して開催しました。
DJブースをセンターに置く360度のボイラールーム形式でデイで初めてLOUNGE NEOでやったのは僕らでした。

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その前のLOUNGE NEOの14周年でVUENOSでのオープンDJが個人的にも1つのターニンングポイント。
パーティーの流れを組みつつ、ダウンテンポでゆっくり盛り上げ空間を作る手応えを得られ、スーさんや見てくれた方々みんなから大好評だった。これがなければ今のDJスタイルになってないと思う。

そして翌年2017年。大学生、主催の音友やLH4LとWATARU君をブッキングしたり、トレッキーのFoxskyにhojoとb2bで出演したりと前半からたくさん出演しました。
そしてR3LL、Pure100%、MONYPETJNKMNらとのBOUNCE UP4周年

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新潟のオーガナイザーのニノの俺なりのAUDIOLAGOONという地方の人が憧れてる箱でイベントをするというLOUNGE NEOが愛されてるなと思い入れのあるパーティーも開催しました。地方のアーティストも勢揃いでいいパーティーでした。

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そして恒例行事のLOUNGE NEO15周年。この年はVUENOS、Glad、LOUNGE NEO(メインとラウンジ)の全てのフロアの大トリを担当。
本当に胃が痛いくらい緊張したし、プレッシャーがあった。裏はTORIENA、TREKKIE TRAX CREW。LOUNGE NEOはDÉ DÉ MOUSEさん→okadada→僕の流れ。
15周年のパーティーを締める超大役。DJやってて一番緊張した夜。始まったらたくさんのお客さん、いつも遊びにきてくれてる人たちの顔で緊張は解けたけど、後にも先にも楽しくもこんなに緊張したのはこの日だった。

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2018年。今や大活躍してるSIRUPくん、Shin Sakiura、okadada、pavillion xoolを呼んで主催したBOUNCE UP。ラウンジではyxki(当時ryuzk)にオーガナイズを経験させたりと実験的なことをしたりした。

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そして夏のBOUNCE UP周年。この年は日本人のみで挑戦した年だったが470人の大入りとお酒の売り上げが100万超えという大記録と記憶に残る回でした。もう2度と集まれない出演者たち。ここからさらに有名になりました。

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スタッフたちがイベントを主催したことがありました。当時働いてたみんなに愛されてたスタッフのタッキーがクラブに卓球台を入れてイベント主催したりとアホみたいなパーティーもLOUNGE NEOのいい思い出。

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そしてLOUNGE NEOの周年はLOUNGE NEOを飛び出し地方開催へ。
スーさん、haraくん(HyperJuice)らと家出ツアーという大阪のCIRCUS、名古屋のMAGO、北海道のmoleヘと拡大。
Glad裏の串カツ田中で飲んでた勢いで決めて企画したツアー。いちクラブが全国を巻き込んでてはちゃめちゃだった。

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各都市でスーさんがやらかし。
・大阪…宿泊予定のホテルが突然なくなる。イベント途中でスーさんが必死に別のホテル確保してくれました。
・名古屋…ホテルのベッドが2人なのにダブルベッドで、みんな男同士で同じベッドで寝る。(ツインとダブルを勘違いしてた)
・北海道…タクシーにwebカムを落として、1時間くらいロス。

名古屋の帰りは大型バス借りて途中、静岡の名店、さわやかに行って修学旅行みたいで楽しかったな

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東京へ戻り、LOUNGE NEO周年、#家だけにYEAH のラスト。

clubasia、VUENOS、Glad、LOUNGE NEOの系列店全てをフルに使い1000人オーバーのサーキットフェスのようなイベントを作り上げたスーさん。
そしてこれがスーさんのLOUNGE NEO/Glad店長としてのラストでした。
公にはしてなかったけど、社内では肩書きはすでにclubasia深夜の店長兼部長だった。

いいパーティーはいつか終わる。同じパーティーは2度とない。

これはどんなパーティーでも同じ。スーさんがLOUNGE NEO卒業とともに改めて教えてくれました。

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思い出は写真と記憶に残っております。

そして、LOUNGE NEOとGladは新時代へ。坂西&タツ君へバトンタッチされました。

毎年恒例だった年の終わりのLOUNGE NEOがお世話になったアーティストたちが出演してた  #もっかい もけじめをつけて開催されませんでした。
今見てもフライヤーが本当にひどい。

もっかい

LOUNGE NEOではアーティストとフロアを仕切るプラスチック製の柵があり、あまりの熱狂でその柵が倒れたり、壊れたりしたこともありました。
柵を囲んだただの飲み会「柵飲み」もイベント?として開催され、他のクラブではなく、みんなが気軽に遊びに来れる場としても年齢、性別問わずLOUNGE NEOは愛されてました。

クラブなのに音楽禁止ってなんだよ。

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そして2019年、clubasiaの母ことタマさんが退職。スーさんがclubasiaの深夜の顔になりました。

LOUNGE NEOには坂西くんとタツさんが入り、新世代のバンドPEARL CENTERやgato、phaiなどアーティストを取り入れスーさんではできなかったイベントを初めていました。月曜にはMARUYAMA MONDAYでBingoさんを軸に実験的DJパーティーをしたりと試行錯誤しつつ新しいパーティーをオーガナイザー、アーティスト、お客さんたちと作っていく姿勢がありました。

坂西君と僕も主催のBOUNCE UPを一緒に作り、6周年も一緒に開催。

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そしてパーティーを終わらせて次に行こう準備していました。
終わった経緯などは過去noteを参照してください。

clubasiaに移ったスーさんはLOUNGE NEOやGladで企画したパーティーをアップデートし、clubasiaにスケールアップし、アーティストとイベント両方の規模と期待感をパーティーごと押し上げるようになってました。
暴カワ、FUTUREWHAT'S 、FFF、Midnight Mellowsこれからもファンとして本当に楽しみ。

今、メジャーで活躍しているアーティストたちも、この場所を通ってきた人たちもたくさんいます。ここがなかったら今がない人たちもたくさんいるはず。

#MU2020 というMOGRA主宰で開催された全国のライブハウスとクラブ横断した配信イベントMUSIC UNITYの初回には、LOUNGE NEO代表としてTomggg、clubasia代表はDÉ DÉ MOUSEさん。この時はLOUNGE NEOは続くと思って全力で全部をプレイした。
自粛期間の厳しい状況ながらも明るく楽しい夜をみんなで過ごせました。そちらについてはMOGRAの山田のインタビューがあるので参考にどうぞ。

LOUNGE NEOでの新イベント企画について
去年の主催終了して、年末から坂西くん、ujork、toshimura、fazerockら5人でコロナウィルスが流行る前から配信を組み込んだイベントをLOUNGE NEOで5月開催で企画していました。
3月頭にテストイベントをし問題なく開催できるレベルになり、ブッキングと思っていた矢先にライブハウスやクラブの営業が危ないと噂され身動きが取れなくなりました。
そして外出と営業自粛となり、スーさんから4/13に連絡が来ました。
その後もみんなと協議し、無観客では意味ないとの結論。
LOUNGE NEOもなくなったため企画が止まったままです。この先はまだ未定…

妻との出会いと結婚
LOUNGE NEO、clubasiaのイベントで出会い、挨拶するくらいの仲でしたがあるきっかけがあり仲良くなり、交際し、結婚しました。


LOUNGE NEOがなければ、お互い早くに活動も辞めてたかもしれないし、今がありません。そんな思い出があり、大切な場所がなくなる…2人とも悲痛な思いです。友人や音楽だけでなく、こうした出会いがあったのは僕らだけではないはず。

クラウドファンディングについて
LOUNGE NEO、Glad、VUENOSの3店舗、事務所のある第八矢澤ビルは5月31日でなくなります。
残ったclubasiaだけでも灯りを消さないように、できる人だけで結構です。みんなでサポートをお願いします。

リターンなんていらないって人は、最低金額で「上乗せ支援」でサポートしましょう。

正直、500万って家賃や従業員への給料などを考えるとすぐになくなるような金額です。いつ終わるかわからない自粛、いつ出るかわからない補償や小規模の貸付。

今回のカルチャーオブエイジアだけでなく、どこの中小企業もどの業界も大変です。他のライブハウス、クラブやバーでも協力できることはしますのでお気軽にご連絡ください。

ただ1秒でも1分でも、好きな場所を突然、失くしたくない。僕にできることはやれるだけはやる。
clubasia、LOUNGE NEO/Gladのスーさんをずっと近くで見てきた音楽好きの友人のおじさんとしてそんな想いでこのnoteを作成しました。

最後に
今、SNSでも実際の現場でも余裕を失くし、言葉で傷つけたり、差別的な行動をしたりと悲しいニュースや出来事も多いです。こんな時なので協力して思いやりを持って、大変ですがみんなで乗り切っていきましょう。

またみんなで大好きな場所で音楽を聞いたり、乾杯したり、くだらないことで笑いあえる世界が来ることを願って。

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has (渡辺貴志)

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