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今週は「時間」でよろしく

最近、ある友達が「私には、ひとりで四六時中悩む時間が必要なの」と言っていた言葉に、とても共感した。同時に、その時間が、多くの人が彼女を尊敬し、特別なものにしている理由なのだろうと思った。

人には「バッドに入る」時間が必要なのだと思う。敢えて言葉を選ばずに言えば、それを経験しているかどうかが、人としての「質」に影響する。

バッドに入るとは

大麻を吸った後、薬を摂取した後などに、過度にネガティブになる状態

本来はこのような重めの精神状態を指す言葉だが、私にとってのバッドに入っている状態は

自分の全てを見つめ直したくなり、大切にしたい自分と、
変えたい自分の取捨選択を、ネガティブな視点から繰り返す時間

だと考えている。ちなみに、病んだり落ち込んでいる状態とは「頭を動かしているか否か」という点で異なる。もっと生産的だ。

大抵、僕がバッドに入る時は「自己批判」から始まる。
例えば人脈のある彼と比べて「なぜ僕は友達が少ないのか」ということで考えだしたこともある。

友達は多い方がいいのか
なぜ人を評価しがちなのか
そもそも人脈は必要なのか
なぜ彼を羨ましいと思うのか
そこに社会的圧力は含まれていないのか
なぜ自分はそうなれないのか

のように、自分に関するあらゆる問いをたて、今を俯瞰し、その上で再評価を行う時間である。それをすることで得た思想や感覚は、僕が僕であるということを体現するとても大切なものになると思う。
おそらく、自分を持っている、とはそういうことなのではないだろうか。

私は、定期的にキャンプに行ったり、グレタの演説を見たり、鈴さんのnoteを読んで、敢えてバッドに入る機会を作っている。
このnoteが、バットに入った経験のある人の共感を呼び、まだ経験してない人の入り口になることを期待している。
来週は「期待」でよろしく。

2023.9.27 はる


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