【小説】あんこーるエリザベス
プロローグ
未来の静かな光の中
膝の上に座る少女に、母が語りかける
「エリザベス、これが試作のタイムマシン
この世界で適性を持つあなたたちだけが、時空を超えることが許される」
少女は母の顔を見上げ、瞳に希望を映し出す
「あたし、母さんが尊敬しているあの2人に会いたい」
母は微笑みながら、優しく頭を撫でる
「そうね、きっと多くを学べるわ」
自然、未来と過去を繋ぐその装置の前で少女の胸が鼓動を打つ。
「いってらっしゃい。エリザベス」
母の温もりを胸に、一歩を踏み出す。装置が光を放ち、少女を包み込む
それが物語の始まりだった。
第1話 ジャガイモ特売日
それはやたらとジャガイモが安い日のことだった。専業主夫の岡野智弘、つまりこの僕が夕食の材料を求めて近所のスーパーに足を運んだときのことだ。
「ジャガイモ10円!?これは買わなきゃな」と独り言を呟きながら、カゴに山積みにしていた。そんな時、突然背後から声が聞こえた。
「石狩鍋!」
驚いて振り返ると、そこには5歳くらいの小さな女の子が立っていた。彼女はまるで知り合いに会ったかのように親しげに僕を見上げている。
「え? 何? 石狩鍋?」
「そう!あたしは、石狩鍋が食べたいの!」彼女は大きな蒼い目を輝かせて言った。
「いや、それ以前に。君は誰?」と戸惑いながら尋ねると、彼女はにっこり笑って、
「私の名前はエリザベス!」と名乗った。
「エリザベスちゃんね…。でも、どうしてここにいるの?」と尋ねると、エリザベスは未来から来たと言い出した。僕はそれが冗談だと思い、笑って流そうとしたが、彼女の真剣な顔に気圧されてしまった。
「パパが…じゃなくて、オトウサンが買い物に行くのを見つけて、ついてきたの!」と言い出したエリザベス。なんだかよくわからないが、彼女を放っておけるはずもなく、成り行きで一緒に買い物を続けることにした。
「それにしても、どうしようか…。君を家まで連れて行くしかないな」買い物を終えた僕は、エリザベスの手を引きながら思案していた。彼女を一人にするわけにはいかないし、警察に届けるにはまだ早い気がした。
アパートに帰ると、妻の陽子がリビングで絵を描いていた。僕たちが入ると、驚いた表情を見せたが、すぐに柔らかい笑みを浮かべた。
「あなた、誰か連れてきたの?」
「うん、なんか…ちょっと事情があってね」
キョロキョロと周囲を見回した少女の目線が、キッチンのシンクにロックオンする。興奮するように勝ちほこり、宣言する。
「石狩鍋が食べたい!」
「いや、今夜はカレーライスだ」と提案を却下すると、
「ひどいっ!せっかく頼んであげてるのに!」としっかり反抗期するエリザベス。
こうして、平凡な日常は、未来から来たというエリザベスの登場で一変した。
何かが始まりそうな予感だけがあった。
第2話 ダマスカスの訪問
翌日、朝食を準備していると、突然玄関のチャイムが鳴った。
「おはようございマス、エリザベスお嬢様!」と、男性が玄関に立っていた。背筋を少し前のめりにし、深々とお辞儀をしするボサボサ頭のサングラス姿。
「誰だ?」と驚く僕に、エリザベスはニコニコしながら説明する。「ダマスカスよ、私専用のアンドロイドなの」
「アンドロイド?」僕は目を丸くした。とても、機械とは思えない動きは滑らかで、まるで生身の人間のようだ。
「ご主人様、奥様、お初にお目にかかリマス。私はダマスカス、お嬢様の世話をさせていただいてオリマス!」と、奇妙な口調で話しながら、またもや深々とお辞儀をする。
「まあ、とにかく座って」と僕は彼に言ったが、ダマスカスは踊るように椅子を引いて座ると、テーブルに備え付けられた花瓶を手に取った。
「ご主人様、奥様、この花瓶は美しいデスね。ところで、お嬢様のお気に入りの石狩鍋の材料はどちらにゴザイマスカ?」と、まるで常にそこにいたかのように話しかけてくる。
「いや、今日は昨晩のカレーが残っているんだ」と僕が答えると、ダマスカスは一瞬残念な顔をして見せたが、すぐににっこりと笑顔を浮かべた。
「それも素バラシイ!カレーライスはお嬢様の健康に非常に良い影響を与えマスっ!」
彼はキッチンでまるでダンスをするかのように動き回り、次々と料理器具を取り出していた。彼の動きはコミカルなサンバのリズム。
「さて、石狩鍋はドコデスか?」とダマスカスが突然叫びだす。
「だから、カレーライスって言っただろうが!」意地になって叫び返す僕。
未来人のエリザベスと気妙なダマスカス。
最悪コンビの来訪だった。
第3話 平和な光景
当然、その予感は的中する。
朝の平和な光景が、突如として大混乱に陥った。
まず、エリザベスが「電子レンジって何でも温められるんでしょ?」と無邪気に言いながら、生卵を電子レンジに入れた時のことだ。僕は彼女を止めようとしたが間に合わず、電子レンジ内で卵が大爆発。卵の破片がキッチン中に飛び散り、まるでアクション映画のワンシーンのような凄惨な光景が広がった。「次は何を温めようかな」と不穏につぶやくエリザベス。
続いて次に起きたのは、ブレーカーが何度も落ちる事件。なぜかボタンを押すとその度に、ブレーカーが落ちる。多分、電気で動くダマスカスを充電のたびに落ちるから、彼の消費電力が凄まじいのだろう。それについては、食べ物から栄養を摂取して、直接の自家発電をお願いする。
そして、最も恐ろしいトラブルは、僕が天ぷらを作ろうとした時のことだ。横でお手伝いしていたエリザベスが、おもむろにガスコンロのコックを全開にひねり、天ぷら油に着火した。キッチンが炎に包まれた。消火活動を頑張ったおかげで、大事には至らなかったが、焦げ臭い匂いが家中に充満する。僕らは冷や汗をかきながら隣近所に謝罪を繰り返した。
それだけじゃない。最後に、エアコン過活動事件。ダマスカスが発する怪電波のせいで、空調が異常をきたし、真夏なのに極寒の環境になってしまった。ダマスカスが完全に調子に乗って「これこそ最高のクールダウンでス!」と騒ぐ中、僕は震えながら毛布を取り出し、家族全員に配った。
なんということだろう。これが子育てというやつか。
とは思う僕らは変わっているだろうか。確かに、僕ら夫婦は楽しんでいた。家族がいる安心感か、それとも僕らには望めない我が子の存在があるからだろうか。
しかし、その幸せは永遠に続こうはずはなかった。
第4話 未来からきた殺し屋
僕とエリザベスが夜の買い出しに、スーパーに出かけていた時のことだった。
ダマスカスも僕らに同行する。ある意味、奴を1人にするのは怖かった。いつかこいつが現実をディーブラーニングしてくれる日を信じたい。
そこまで反芻していた時に、突然、彼がそこに現れた。
タキシード姿の銀髪の老紳士。その目は薮睨みで、不吉な光を帯びている。
それに気づいたエリザベスの顔が引きつった。「げっ!〈殺し屋〉」
そう彼は、戦闘用執事型端末〈殺し屋〉。
「エリザベスお嬢様。確か、タイムマシンの検証実験の途中ですが」
「〈殺し屋〉さン!お嬢様は正義ですネっ!」
ダマスカスを見るなり、ため息をつく殺し屋。「お前は監視役だろう。何をしている?」
紳士的な態度とその口調。どうやら、機械繋がりか2人は昔からの知り合いらしい。
「申し訳ありません。これも命令ですので」
有無を言わさず、3発の発砲音。
手に握られたそれは、外国製の拳銃。あろうことか〈殺し屋〉が銃弾を撃ち込んだのだ。
「手段は選びません」〈殺し屋〉は優雅に礼をし「任務を思い出していただくためなら、心だって鬼にします」と歩み寄る。
ガクガクと自分の足が震えるのを自覚した。僕は、生まれて始めて恐怖を持っているのだと気がついた。
あのダマスカスも蒼白の顔面を浮かべている。彼にも恐怖という感情はあるのだろう。
手袋を被った右手を差し出す〈殺し屋〉。
それを一瞥したエリザベス。変わるがわる僕と彼を見比べて、何か考えた風だった。
「やれやれ仕方ないか。〈殺し屋〉を送ってくるなんて、ママも本気ね」
そう言って、エリザベスが寂しげに笑った。
「オトウサンごめん。『さようなら』の時間が来ちゃった。あたし今まで色々、迷惑かけた」
怒涛の展開がなぜか無機質に紡がれて、僕の感情は麻酔を打ったかのように痺れていた。
でも、なぜか僕は動いていた。それが、本音だったかどうかは僕にはわからない。でも、その時の僕の口は、震える声で信じられないセリフを呟いていたのだ。
「迷惑かけるのは当たり前だ。だって、僕たち『家族』じゃないか?」
エリザベスが頬が高調する。
微かに顔が歪んで、涙を流したかのように僕には見えた。
「じゃあ、『さようなら』じゃなくて、『いってきます』だね?」
エリザベスの右手には、少し大きめの腕時計。
それがタイムマシンのコントローラーであることは、後日僕が知ったことだ。
光が奔流を作って、周囲一体を包み込む。
人気のない路地裏だったから、誰の目にも映らなかっただろう。
気がつけば、そこには、買い物かごを持った僕だけが、ポツンとひとり取り残された。
第5話 あんこーるエリザベス
僕と陽子の静かな日常が戻ってきた。
淡々と生活を送る僕たち夫婦。
陽子が絵の仕事を請け負う間、スーパーに買い出しにいく僕。
夏の日差しが今日も眩しい。
そして、スーパーのジャガイモがなぜか、今日も安い。
「あー。時期ハズレのジャガイモは持たないんだよなー」
大きくため息をつく。とっさに、脳裏に浮かぶ5歳の少女。
ああ、そうだった。度々、エリザベスがせがんだっけ。
「今夜は、石狩鍋にでもしようか」
「・・・まじ?超、時期はずれでしょ?頭おかしくない?」
背後から声をかけられて、僕は思わず、目をひん剥いた。
そこにいたのは、まごうなき子供姿のエリザベス。気のせいだろうか、少し大人に近づいた気もする。
「お前、、、未来に帰ったんじゃなかったのか?」
「ええ、帰ったわよ。あれから3年後、とうとうタイムマシンは実用化したの」
思わず、喜びのあまり買い物かごを取り落とす僕。
「だから、ここからはずっと『あんこーる』の舞台だよ?」
岡野家の賑やかな日々が再開した。
僕は、少し背の伸びたその少女を抱きしめた。
エピローグ
ある晴れた朝、僕はキッチンで朝食を作っていた。エリザベスが元気に駆け寄ってきて、「オトウサン、今日は何するの?」と尋ねてくる。
「今日は特別な日だぞ。タイムマシンのテストを完全に終えたお祝いだ」と僕は微笑んで答えた。エリザベスは目を輝かせ、「やったー!」と喜んだ。
陽子もリビングから顔を出し、「今日は家族でピクニックに行くのよ」と言った。エリザベスはさらに嬉しそうに「ピクニックだ!楽しみ!」と跳ね回った。
ダマスカスもその日の計画を聞いて、準備に取り掛かっていた。3拍子のメロディで優雅に弁当を詰め「お嬢様、これが特製サンドイッチです」と誇らしげ。変装グッズを揃え「ピクニックでも楽シミマショウ!」と賑やかだ。
僕たちの向かったのは近くの公園。エリザベスは楽しそうに草原を走り回り、ダマスカスも笑顔のまま、サンドイッチを頬張る。このアンドロイド、エリザベスが未来へ帰るその時まで、きっちりお目付け役を命じられたらしい。
ピクニックシートの上で、エリザベスがふと真剣な顔をして言った。「智弘オトウサン、陽子おばちゃん、ありがとう。ここで過ごせて本当に幸せだよ」
陽子は微笑みながら、「私たちもエリザベスと一緒にいられて幸せよ」と答えた。僕も同意して、「君が来てから、毎日が新鮮で楽しいよ、、、トラブルは勘弁してほしいけどな」と言った。
エリザベスは少し照れくさそうに笑い、「これからもずっと一緒にいたいな」とつぶやいた。その言葉に、僕たちは胸が温かくなるのを感じた。
振り返ったエリザベスが「ねぇ、オトウサン、今晩のご飯は何にするの?」と聞いてくる。
僕は考え込み、こう答える。「今夜も石狩鍋だ。そして、またたっぷり話をしよう」
「えーっ!これで3日連続同じメニューだよっ!?」
僕たちは新たな未来に向けて心をひとつにしていた。
未来からの訪問者は、こうして本当の家族になったのだった。
(おしまい)