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ガウチョをください! (前編)


プロローグ 武良尾公園物語

 ある日ある時、武良尾公園にガウチョという名の神獣がおりました。
 限りなく早く、限りなく大きく。限りなく美しい、神秘に満ちたガウチョの神。
 ガウチョは、武良尾公園で仲間と共にくらし、高級な麩が大好きで、多くの人を癒しました。

 仲間のめんどりが言いました。「ガウチョ様は、音よりも早く飛ぶ」
 ガウチョが羽ばたくと、衝撃波で辺り一面が吹き飛びました。
 限りなく早いガウチョを目で追うのは、至難の業でもありました。

 仲間の亀が言いました。「ガウチョ様は、数ある巨人よりも大きくなれる」
 ガウチョがその気になれば、その影で太陽すら小さく見えました。
 限りなく大きなガウチョは、自分のサイズを自由自在に変えることができるのでした。

 仲間のボラが言いました。「ガウチョ様は、どんな聖人よりも優しくなれる」
 ガウチョが歩くと、喧嘩をしていた人々は互いに握手を交わすのでした。
 限りなく神々しいガウチョが降り立つと、その町一帯の紛争がたちまちのうちにおさまるのでした。

 仲間のおんどりが言いました。「ガウチョ様は、女神すら勝てないほど美しい」
 ガウチョが歩く、その後ろには魅了れた人々が、行列をつくって我を忘れて追いかけるのでした。
 限りなく美しいガウチョの前には、全能神すらもその美貌にひざまづくのでした。

 多くの仲間に愛されるがガウチョは、ユウキを心から大好きでした。
 日に一度、ユウキにお尻を洗ってもらうことを、ガウチョは心から楽しみにしておりました。
 

 そんな世界の空想話を、僕はかつての恋人と作ったんだ。
 そんな会話を交わしたら、どんな人とも友達になれたんだ。
 思えば、ガウチョが仲間と僕を繋いでくれたんだ。
 そして、それが日常会話になった数年後、僕が少女に出会うところから、この物語は始まりを迎える。

第1話 麗しのコーポアマニス

 時は21世紀のとある初夏。場所は武良尾市竹部町。
 私の名前は「長門なるみ」。ピチピチの19歳の自称美少女だ。

 新居の窓ガラスに真っ青なカーテンを引いた時、私の気持ちは洗われた気がしていた。
 もともと青春期にホルモンバランスを崩した私は精神科の入退院を繰り返していた。そして、体調が安定してきた頃合いをはかって、私は親からの独立を決意する。
 期待と不安の入り混じる中、大家さんに挨拶をして、19歳の女の子にしてはかなり少ない、手荷物程度の家具を部屋の中に運び込む。大事なカバンの中には一番大事な荷物、期待と夢への片道切符が入っている。
 いよいよ、念願の新生活がはじまるんだ。
 悲観はしない。
 だって、歳の離れた兄にも再婚した母にも新しい家族がいる。最初からバラバラの家族になんか、未練も期待もさらさらなかった。

 そのアパートの入り口で、私は1人の青年をふんずけた。
 私を責めないでほしい。
 だって、いきなり倒れていたんだもの。
「う、、、ううう」
 ?
 声が漏れる。そうじゃないと困る。
「あのーー。、、、生きてますか?」
 と私がかけた声は、親切心からではなかった。
 玄関の前で何せ行き倒れているのである。
 つまり、荷物が運び込めないのだ。
「ガウ、、、、」
「ガウ?」
「ガウチョのことは君に任せた、、、」

「は?」
 時間が止まった。
 
 ガチョウ?それとも新しいファッションの話だろうか?実際、ガウチョパンツというズボンは存在する。いや、待て私。それ以前にこの青年はなんなのだ。
「あのー?」
「だから、お尻洗いは僕の専門外だっ!」
 泣き叫ぶ青年。
「おい、とりあえず正気にかえれ」
 背後から別の声がして、思わず振り返る。
 パツキンの短髪に片耳ピアスの兄ちゃんが、なぜかエプロン姿で仁王立ちに立っている。
 背は高い。一言で言うならば、ふさわしい単語はこれしかない。
 ずばり「家庭的なヤンキーさん」
 そう、まさにヤンキーさんが私の背後に立っていた。
「勘弁してくれーっ!」
「ユウキ、お前の係だろうが」
 ユウキというのが青年の名前か。
 ヤンキーさんの一言に、くずおれたユウキくんがおもむろに立ち上がり、初めて私を見た、、、と言うか確認した。
「、、、きみ誰?」
「あ、、、長門なるみ、、、といいます。今日引っ越してきました」
 私は限りなく無礼なこの青年とヤンキーの2人組に、自己主張皆無のか細い声で挨拶する。私の小さな小さな声は届いたのか届かなかったのか、青年が笑顔で答える。
「アマルフィから来たんですか?」
 どこだ。アマルフィってどこなんだ?
 戸惑う私をヤンキーさんが助太刀する。
「昨日、大家さんが話してたな。新しい住人さんだろ?、、、嬢ちゃんよろしく。こいつ変わってるけど、いい奴だから」
「タツキくん怖か」
 一方でヤンキーさんはタツキくんというらしい。そして、2人はカツカツと足音を立てて、あろうことか私の隣の部屋に入って行ったのだ。

「はあ」
 バックの片隅に潜ませていたお湯の入った水筒をとりだす。中に入っているのはハーブティー。私の好きなレモングラス。
 口に含んで飲み下して、私はだだっ広い6畳のワンルームを見渡す。
 キッチンや水回りは、玄関に入っての廊下に併設されている。
 気が安らいだ。
 通っていた作業所で作ったレモングラスのほんのり爽やかな清涼感。私にしては無駄遣いだったけど、それでも必要な贅沢だった。だって、これから先は、私1人で生きていかなくてはいけないのだ。お高いペットボトルジュースなど買えるわけがない。
(かわった人たちだったな、、、)
 ファーストコンタクトに衝撃を受けながら、それでも悪い人たちではないような気がした。 
 だって、私のか細い声を彼らは無視しなかった。私の家族だった人たちは耳も傾けることすらしなかったのだから。
 お布団と洗濯機は今夜、届くことになっていた。冷蔵庫がない今、とりあえずは、お昼ご飯をなんとかしないといけない。
 私の新居コーボアマニスの周囲には幸いというか災いというか食堂の類が全くない。外食するなら、表道路まで歩かなくてはいけない。歩いて10分の距離。私にとっては大冒険のように思えた。
 この日のために、対策は考えてある。
 朝、渋る母親の電子ジャーから2個のおむすびをくすねてきた。具は半分に崩した梅干しだけだ。それでもとりあえず、昼は凌げそう。

 ピンポーン

 びっくりした。
 はじめて、この部屋に呼び鈴があることを知った。だって、今日ここに来るまで、アパートの下見すらできなかった私だ。
 恐々ながら玄関に立つと、そこに青年が立っていた。一体、私になんの用だろう?
「はい。今、部屋から追い出されたんだ。もしよかったら、お近づきの印にこれをどうぞ」
「!?」
 驚いてアルミホイルを広げると4個の唐揚げと野菜ジュースが入っていた。
「近くにコンビニがあるんだけれど、わかりにくいと思ったから。みんな買い物はそこで済ませているんだよね」
「へえ」
 これまた聞こえるか聞こえないかの小さな声でうなづく私。ほのかな油の香りに、お腹が思わずぐうとなる。私は青年の目の前で、唐揚げをつまんで口に入れる。
 ニンニクの香ばしい味わいが口の中に広がる。
「これ、なんの肉?」
「ガウチョの尻にく、、、」
「え?」
 青年が言った瞬間、何かが飛んできた。
「鶏のもも肉だッ!」
 それは、タツキくんが放り投げた一本のおたまだった。

 事情を聞いてみると、タツキくんはユウキくんのホームヘルパーなのらしい。
 なんだか、怖い思いを通り越して、呆然とした。
 1人で生きていかなくちゃ、と気負っていたから、私に話し相手ができたことが奇跡だった。いままで、そんな稀な存在には出会ったことがない。学校時代も、入院生活でも、家族ですらも。
 だからだろうか。差し入れの唐揚げを渡して、去っていく青年のシャツのすそを、気がつけば私はつかんでいた。
「あの、、、、」
「?」
「一緒に、、、ご飯食べてくれませんか?」

 エプロン姿が妙に似合うタツキくんがローテーブルに並べたのは、肉じゃがと赤魚の煮付けだった。和食か。チョイスが渋い。
「へい、タッキー。酎ハイのおかわりお願いね❣️」
「お前、1発殴られたいだろ?」
 空のジョッキをドンと置いた無敵のユウキくん。いや、確かにタツキくんの黒エプロン姿は居酒屋に来たかの錯覚だけどさ。
 言ってるタツキくんも、全然嫌そうな顔はしていない。悟った。この2人、実は仲良しさんだ。
「あとは2人で食べてくれ。俺は次に行く」
 そうかこのヤンキーヘルパーは、別の担当の支援に行くのだ。
「ごゆっくり」
 意味ありげにそう言って、タツキくんは駐車場のナナハンにまたがった。

 ・・・気まずい。

 その場の勢いで、言ってしまった私だが、こうして2人で食卓を囲んでみるとなんか特別な気がした。
 そもそも論、私は男性と食事を共にしたことがない。精一杯、振り返って、小学校の給食の時、担任の先生と一緒に食べたことくらいだ。友達?同級生?家族?いや、そもそも私には友達ができた経験がない。
 こんな時、何を話したらいいんだろう。
 落ち着け。落ち着くんだ。長門なるみ。
「、、、ま、まるで、し、新婚夫婦みたいですねー」
 言ってしまった自分の言葉に、盛大に内部崩壊する私。
「そうだね。なんてったって、料理が肉じゃがと煮付けだからね」
 お。食いついた。とりあえず、話を続けてみる。
「お名前教えてください。ユウキさん、って言うんですか?」
「またの名を『漆黒の翼』と呼、、、」
 ・・・。
「すみません。ユウキ、と呼んだください」
 よろしい。

「・・・」再び続く沈黙。

「もしかして、なるみちゃんはコミュ症?」
 ぼそりとこぼすユウキくん。
「な、なんでわかったんですか?!」
「さっきから、会話が弾まないから」
 そう。
 初対面のユウキくんにバレるほど、私は徹底的に会話が苦手だ。
 学生時代友達がまったくできなかったというか、もともと病気がちで学校に通えなかった私は全く周囲になじめなかった。こうして、私という人物が出来上がったのだ。
「うん。じゃあ、君にガウチョを授けよう」
「いやです」
「、、、というのは冗談で。明日、僕とデートしない?」
「いや・・・え?」
 にやりと笑うユウキくんは、甘くて爽やかでスイートボーイで、私の胸が音を立てた。

 それが、人生初めてのときめきだと理解したのは、それから数日後のことになる。

第2話 ユウキくんと公園デート

「なるみちゃん、この街初めてでしょ? 案内してあげようと思って」
「ありがとうございます」

 翌日、私はユウキくんに街を案内してもらうことになった。
 今いるのは、アパートに一番近い、住人御用達のコンビニ。一番近いフレンドマートだ。
 最近のコンビニの品揃えはかなりエグい。お弁当から、化粧道具、ひいては生理用品まで、おひとり様の生活にはなに不自由がない。しかも全ての電子マネーに対応してるから、いざとなったらスマホだけで生活ができる。
「なんでじゃー!どーしてじゃー!」
 そんな私の感慨もよそに、壁際で無精髭のおじさんが叫んでいる。
 あれは、コピー機のあたり。こまるんだけどな。今から私、そこで住民票を取ろうと思っているだけど。
「ああ、そうか。夏アニメのキャンペーンが始まったんだっけ」とユウキくんは頭を掻いて、ツカツカとそのおじさんに歩み寄った。「『おかっち』。ちょっと、コピー機をいいかな?」
「なんだ。今はひとりにしてくれ」
 おかっちと呼ばれたおじさんががっかりした顔で、振り返る。
 なんだ、お前ら、知り合いかよ!
 色の入った遠近両用メガネに、落胆の顔。悲壮感が漂っている。いや、それ以前にクールなのか情熱家なのか、よくわからない眼光が宿っている。
「俺とマヒロの絆が、この程度の障害で引き裂かれるはずがないっ!」
「推しのアニメキャラが印刷されないからって、やけにならないでよ」
 うなだれるおかっちを背に、ユウキくんが振り返った。
「どうぞ、なるみちゃん。住民票取るんでしょ?」
「う・・・うん」
 私は頷いて、恐々、マイナンバーカードを取り出した。300円を入金し、コピー機のボタンを押す。
「え・・・」
 出てきたのは、、、住民票ではなく、水着姿のアニメのアイドルポスター。
 どうやら。私がおしたのは、住民票発行のボタンではなく、アニメくじの印刷ボタンだったらしい。
 瞬間、頭の中が真っ白になる。
 その衝撃は、実家の愛犬ジェニファーが死んだ時以来だった。
 予想のはるか斜め上をいく、その現状に私は一瞬放心状態になる。
「まだ、大丈夫。望みは捨てないで、なるみちゃん」
 冷静に、ユウキくんがポスターを拾い上げた。
 ニヤリと振り返る彼。
「・・・ねえ。おかっち。ウルトラレアのマヒロちゃん水着ポスター。今なら、1500円で手を打つけど?」

「ジェニファーごめん。いま、私、とーっても美味しい♡」
 300円の一命を取り留めた(?)私は、おかっちさんから巻き上げた感謝の限定スイーツを頬張っていた。フレンドマート、今年の新作特製アイスケーキは勝利の気持ちも加わって、格別の味わいだ。
 私たちは、バスの中にいる。武良尾公園前行きの県営バスに乗っているのだ。
「でさ。なんで、おかっちもついてくるの?」ユウキくんがジト目で隣を睨む。
「いや、だって。格言にいうじゃないか。『人は集えば、嬉しさは3分の1に、悲しさは3倍に』」
 おかっちさん。逆です。それだと、魂が救われません。
「・・・まあ、いいけどさ」
 ユウキくんはため息をつき、そこでバスのアナウンスが次の停留所を案内した。
 降りたのは、菖蒲が咲き乱れる公園だった。
 季節は6月初旬。梅雨の晴れ間の青い空が、初夏に向かって、吹き抜けている。
 ここは串間城跡が改装された武良尾公園。
 堀を改装した池を周り、入り口で買った高級な麩をばら撒くと、たちまち生き物が寄ってきた。鯉にボラに亀。しまいには、雄鶏や雌鶏も飛んでくる。
 自然が豊富で生気に満ちている、と思った。
 私は横浜生まれの横浜育ち。母が再婚するまで、こんな辺鄙な片田舎にやって来るとは思っていなかった。恵まれた緑は心身を休めるのにちょうどいい、という親戚の口車に乗って、私は故郷を去り、誰もいない過疎地の病院に入院した。体良く、親戚からも厄介払いされたわけだ。
 その憂いを、心地よい風が洗い流す。
「ほら、これがガウチョ」とユウキくんが見せたスマホには、1羽のガチョウ。
 大きめの体躯だろうか、人の背丈くらいはありそうだ。
 不意に、周囲を見渡すように、ユウキくんは草むらをかき分けた。
「?」
「ちょっと、待っててね。なるみちゃん」
 ユウキくんが、私たちをおいて、草むらにもぐりこむ。なぜか唐突に、初恋の人を追いかける少年のようだ、と私は思った。
 私とおかっちさんは、そばのベンチに腰を下ろした。
 ユウキくんを待つ間、そっと水筒から、飲みかけのレモングラスを飲み下す。少し、胸の支えが降りて、ざわめきが落ち着いた。
「許してやってね。ユウキのこんなところ」
 おかっちさんは、意味深に、ただ、有無を言わさない響きでタバコを吸った。

 それから、30分後に帰ってきたユウキくんは他愛のないダジャレは話しても、真面目に取り入ってはくれなかったし、ガウチョのことも話してくれなかった。私のこと放っておいて、、、と、私はひとりで頬を膨らませる。ただ、私が感じたのは、あの写真の鳥がユウキくんにとって意味のあるシンボルだと言うこと、そしてガウチョが彼の大事な何かだと言うこと。
 ただ、ひとつだけ進展したことがある。
 今夜も、ユウキくんと夕食をとることになったのだ。
「ディナー!夕食!ごちそうさん!」
 無邪気に茶碗を箸で叩くユウキくん。
 タツキくんはそれを尻目に、料理を作る。意外とタツキくんは懐も大きく、多少のおふざけ程度では機嫌を悪くすることはないようだ。
「お嬢ちゃんは何が食べたい?」
 ユウキくんの居宅介護で、私がご飯を食べる。いけないことだとわかっているけど、とりあえず材料代を協力させてもらっている。
「おい。ユウキも手伝え。一応、あくまで俺は、お前の家事の訓練に付き添っている立場だぞ」
「ふっ。遠い昔に、そういう言い伝えがあった気がするなぁ」
「・・・私もお手伝いします」
 たまりかねた私は先日、新調したエプロンを巻いて、タツキくんを手伝う。
 ため息をつく、タツキくん。
 今日のメニューは、豚肉の生姜焼き。
 デートの帰りにアパートから30分離れた大手スーパーで買い出してきた。
 助かるなぁ。田舎は肉も野菜も安くついて。
「ん?」
 外でタツキくんのナナハンを見送ったときだった。

 いつの間にか、ユウキくんの部屋の前に、1人の女性が立っていた。
 ロングヘアで髪をすいた小柄で可憐な人。一瞬、服装の奇抜さから私より年下かと思ったが、違うと見破った。動きがキビキビとして、表情も柔らかい。成熟した表情は、どう見ても少女の無邪気さではない。
「どうかされましたか?」
 私が声をかけた。「ユウキくんは今、うちに遊びにきてるんです。呼んできましょうか?」
 気を利かせた私に、女性は寂しげな笑顔を向けた。
「いいえ。いいんです。あらたくんが元気にしてくれているんなら」
 ・・・あらたくん?って誰だろう?
 言うなり、彼女は私をかわして、コーポアマニスを去っていく。
 うーん。なんだったんだ?
「どうしたの?なるみちゃん?ご飯が冷めるよ?」
「はーい」
 ドアから顔を出すユウキくんの声がして、私は生姜焼きの待つ部屋にそそくさと帰って行ったのだった。

第3章 おかっちさんの恋

「こんにちは、おかっちさん」
 翌日、お昼の直前、私たちはフレンドマートの入り口で黄昏てタバコを吸っているおかっちさんに声をかける。
 私とユウキくんが狙っていたのは、シャケ弁。
 ネットでクーポンを手に入れたのだ。ずばり、最安値の280円は定価ののり弁より魅力的だ。
「はあ」
 おかっちさんのため息のつき方が半端ない。先日のアニメの推しキャラのプリントが外れた時より、がっかり度が違う気がする。ああ、なんか切ないなぁ。はるか遠い目を見る目つき。
「はっ!」
 19歳の私の乙女心が、ピンときた。
 ユウキくんのシャツの裾を引っ張る私。たびたび掴んでいるユウキくんの裾が、どんどん、たるんできているのも気のせいだと思いたい。
「うん。そうだよ。なるみちゃん。あれが厨二病なんだ」
「ユウキくん。・・・だから、あれだよ。気になる異性にときめくとき、君にもあるよね?」
「だから、厨二病・・・」

「恋だってんだよ、朴念仁!」
 
「なるみちゃん、怖か」
 珍しく声を張り上げたものだから、フレンドマートの店員さんが思わず、私を垣間見る。
 何年ぶりだろう。界王拳10倍の肉声を使ったのは。
 というか、今の大声でヒソヒソ話のはずが、おかっちさん本人に気づかれてしまった。
「実は、二人に相談したいことがあるんだ。胸がキュンとしたこの気持ち、、、、どうしたらいい?」
 普通にキモい状態で腰をくねくねしながら、おかっちさんが相談する。
 ほら、言わんこっちゃない。案の定、恋愛問題じゃん。真剣な表情で、ユウキくんがおかっちさんを見る。
「おかっち。きちんとリスペリドン飲んだ?」
「こいつは・・・!」
 超有名な精神安定剤をあっさり言い切るユウキくんと、それを全否定する私。
「実は、推しキャラ、、、」おかっちさんが腰をくねくねしながら、話しだす。「ーーを演じている声優の金沢華さんから、今朝、間違いメールが届いちゃって・・・」
 ・・・。
 目が点になる私たち。
 おかっちさん、ロマンス詐欺って知ってます?
 私とユウキくんがそこまででかかった言葉を飲み込んだ。
 そして、顔を見合わせる。
 思ったんだけど、これは、おかっちさんを再教育して、現実に向き合ってもらうためののチャンスじゃない?
 こくりと、うなづきあう私たち。
「アダムとイブがエデンの園を追い出された時・・・」「お花にも、おしべとめしべがあって・・・」
「2人ともそろって、39歳独身を馬鹿にしてるでしょ?」
 さりげなく、自分の年齢をカミングアウトするおかっちさん。
 うーん。
 独身アラフォーの恋愛かぁ。実際、考えさせられるなぁ。

「障害者で結婚している人はいるかって?」
 その日の夕方、ユウキくんの家事援助に来たタツキくんを捕まえて、私とユウキくんは声を合わせて話しかける。
「うん。普通にいるな。特別でもなんでもないと思うぞ?同僚でも、そういった方のケアに行っている人は結構多いから」
 器用にさばを3枚に下ろしながら、タツキくんが答える。
「2人とも、まさか結婚するのか?」
「えーっと。その話はいったん置いといて」
 私は必死で、ユウキくんを意識しながら、タツキくんに弁解する。まだ、私たちって出会ったばかりだし。デートしたって言っても、そんな仲じゃないし。
「実は仲間にロマンス詐欺のメールがきちゃって」
 そんな私の戸惑いを気にせず、あっさりユウキくんが説明する。その声に全然照れた様子はない。なんだかちょっと悔しいな。
「あー、よくある話だな。無視してればいいんじゃないか?」
「やっぱりそうだよね」
 ため息をつく私たち。
「でも、実際、私たち障害者って、実際には恋も結婚も難しいよねえ?」
 私はため息をもらす。
 実際、私がコーポアマニスに引っ越す前、通っていた作業所では交際が禁じられていて、それ以前に友達と連絡先を交わしでもしようなら退所対象になっていた。これって人権侵害だよね、と実際思う。
 だから、おかっちさんのように幻想の中に生きていても、ある意味幸せといえば幸せでいられるのだ。
 そうこうするうちに、夕食ができて、私は今夜もユウキくんとご飯を食べることになった。

「あれ?なるみちゃん、一人?」
 その夜、コンビニにすずみにくると、喫煙所の前におかっちさんがいた。
 初めて、上機嫌に私に声をかけてくる彼。
 何か、いいこと・・・あ、そうか。彼は声優さん(ロマンス詐欺)に恋をしているんだっけ。
「あれから進展したんですか?」
 夢を壊さないよう、慎重に言葉を選ぶ。
「ふっ。よくぞ聞いてくれた・・・ようやく、世間が僕の魅力に気づいたようなんだ」
 タバコの煙を吹き出しながら、キラキラと輝くおかっちさんの瞳。「今度は、若草あおいさんからもメールが来た」
 あちゃー。しっかり悪化しとるよ、この人。個人情報大丈夫なんだろうか?
「大丈夫。なるみちゃんの魅力に気がつく王子様もきっといると思うから」
 私の沈黙に饒舌に言葉をかぶせる、上から目線のおかっちさん。
 うん。勘違いがウザい。
「・・・ユウキくんはどうなんでしょう?」
「? ユウキがどうしたんだって?」
 おかっちさんが言葉を切り返す。
「い、いや。他のみんなは恋愛について、どう考えてるんだろうなぁ、と思って・・・あ、私。店内から、アイス買ってきますね」
 私はそそくさと歩みを進めて、フレンドマートの店内に入る。
 最安値50円の梅アイスバーを2本買った私は、一本をおかっちさんに差し出した。
「はい。私からの祝杯の代わりです。・・・まあ、餞別だと思って」
 武士の情け、、、この先、いろんなアプリで炎上は必至だろうけど、頑張ってくれたまえ。
 と、心でそっとつぶやく。
 相槌を打って、夜空を見る。
 少しもやいだ星の夜に、天の川が流れていた。

 そう。「王子様」と聞いて、とっさに浮かんだのは、ユウキくんの顔だった。
 今では、彼とは夕食のほとんどを共にする仲だけど、そこからの進展のない私たち。
 そもそも、私はそれ以上の進展を望んでいるのだろうか。
 このまま、この好意を育てていいんだろうか。

 絶叫があたりをこだまする。
 ついに、おかっちさんのスマートフォンがウイルスに感染してしまったらしい。
 その隣で、ため息と頭痛を十二分に味わった私なのだった。

(後編につづく)


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