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石焼ビビンバの涙

わたしは最近、『感謝ノート』なるものを記し始めた。

寝る前のひとときに、その日あった良かったことや
なんだかありがたいことだなあと感じたことを記していく。

小さなことでいい。むしろ小さなことでいい。
日常の細かなところや当たり前のように受け取っている日常の奇跡に気がつく、そんな感度を磨くためだからだ。

例えばこんな感じに。

今日は、電車にタイミングよく乗れた。
バスソルトの香りが最高で、バスタイムが至福だった。

当たり前のように、朝起きて、仕事して、ご飯を食べて、帰ってお風呂入って、ベッドで寝る。

それって、当たり前?

心臓はここ何十年も文句も言わず動いてくれてるし、
血液はものすごい距離を循環してくれて、内臓は毎日せっせっと消化に勤しんでくれている。

これって、当たり前?

いや、どれもこれも、なかなかの奇跡なのではないか?

ってことは、わたしはかなり運がいい?
ってことは、わたしはかなりの奇跡を生きている?

なのに、これまで、わたしはこの肉体に一言もお礼を言ってこなかった。
そして、自分へもねぎらいの言葉をかけることはほとんどなかった。

感謝を見つけて記し始めると、そんなことに気がついた。
どこかで、誰かが言っていたことだけど、それをわたしも体感した。


そして、ついに、こんなことも起きた。

ある日のランチで、わたしは一人で韓国料理の店で大好きな石焼ビビンバを心底味わって食べていた。
キムチをよく噛んで、おこげを味わって、とうもろこし茶で喉を潤しながら
幸せが込み上げてきて、涙が滲んだのだ。

一粒残さず綺麗に食べ切ったお膳をおばさんが片付けてくれるときこんなやりとりがあった。

「あらー、完食ね!」

「はい!美味しかったですから。」

「よかったね〜!」

「ごちそうさまでした。」

わたしのうまうま味わいエネルギーがおばさんに伝わったのかはわからないが、最高のランチタイムだった。


『幸せ』というのは、自分の感度が作り上げるものだと思うのだ。
だから、目の前にあるものを味わうこと、丁寧に味わうことは
きっと、何かと繋がっていくんだと思う。

石焼ビビンバは、わたしに『幸せ』を教えてくれた。



晴海 たお

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