父への手紙〜丙申・秋の太陽の人〜
わたしの父は、丙申(ひのえさる)だ。イメージは秋の太陽。実りの秋の収穫に精を出す人々を、静かに見守る、そんな秋の太陽だ。
わたしの父は、家族をとても大切にする人だ。父の命式には、家族想いで、家系を守る、墓と親分肌で情にあつい偏官がある。
父は4人兄弟の長男で、色々な事情があり金銭的に厳しい家庭環境で育ったという。苦学生で、自分の力だけで働きながら夜間大学を卒業した。だから、お金のありがたみを心底知っている。墓を持っている人は貯蓄が上手だと言われているが父も例外ではない。自分は贅沢することもなく、父の収入だけで、二人の子供を私大まで通わせた。いつも自分のことよりも、家族を優先してきた。車を買うために貯めてきたお金を、私がピアノを習いたいと言うと、そのお金でピアノを買ってくれた。
父は、体格がいいわけではないが、身体を張って大切なものをしっかり守る人だ。実家を出た初めての冬。わたしが部屋がなかなか暖まらなくて寒いとぼやくと、次の日の朝、スーツ姿で出勤前にわたしの住む部屋までストーブを持ってきてくれた。電車が混んでいて大変なんだから送ってくれても良かったのに、と思った。でも、玄関先で、満足そうに少し笑った父を見て、父の優しさを噛み締めたのを覚えている。
父の自星は、偏財だ。男性にとって偏財は、恋愛を表す。父が恋愛体質?!はじめはピンとこなかった。しかし、以前、母から父との馴れ初めを聞いた、その内容を思い出して、答え合わせができた。
父は、連絡がとてもマメだ。会社勤めの頃は、毎日必ず帰るコールを欠かさなかった。母とのお見合い後、結婚までの半年、名古屋で働いていた母と東京で働いていた父は遠距離で愛を育んだ。その間、数回しか会えなかったわけだが、今のようにスマホがあるわけでもなく、ましてや寮に入っていた母と電話など難しかった。そこで、父は毎日のように手紙を書いて送ったそうだ。マメで、そして何だかロマンチストだ。
それでも、たまのデートでは、無口で、レストランもなかなか決められず、スタスタと先を歩いて行ってしまう、不器用な父。そんな父の後ろ姿を母はどんな気持ちで追いかけていたのだろう?
脳出血で、歩くのが不自由になって、大して趣味もない父は静かに母との日常を過ごしている。
ある時、母が父に聞いた。
「お父さん、今幸せ?」
父は照れることもなく笑顔でこう言ったそうだ。
「お前がいるから幸せだ。」
このやりとりを、母は、嬉しそうにわたしに話した。わたしは何も言えなかった。何か話そうとしたら、泣き出してしまいそうだったからだ。
わたし達兄弟が知らないところで、大人同志で色々なことがあったらしい。病気がちな母の事で、周囲から別れ話も提案されていたことを大人になってから聞かされた。その時、父はきっぱり、『別れることはない』と言い切ったそうだ。
子供のわたしにはわからない、想像もできない、夫婦のカタチがこの短い会話のやりとりに凝縮されていた。愛を確認するのに、時間の概念なんてないんだ。45年連れ添った2人の愛の証は、この時のこの会話が全てだ。
照れることなく、『お前がいるから幸せだ。』なんて言えてしまうのは、ソフトなチャラさの偏財の影響だ。
こうして振り返ると、父は、実は、我が家の太陽だったんだと思う。家族を守るために本当に大切な決断ができた父。それは、晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、遠くから、静かに、照らし続けてくれる太陽。なんの見返りも求めず、与えることと見守ることに喜びを感じる太陽なんだ。
いつか、自分が親になったら、父の太陽の要素を思い出そう。
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