形態を軽んずべからず

『え!?そんなことが気になるの!?』と言われたら、この話題はおわってしまうので、そのセリフは禁句です。
あ、『心が狭い』と言うのもダメ。

私は本オタで、基本的に『読めればいい』というスタンス。
本はきれいにこしたことないけど、古本でもオッケー。

が、今回コラムとして書くのはどうしても許せないというか、なんでだろうなぁと思ったから書いてみる。

私はとある作家さんのエッセイが大好きで、気に入った部分を何回も読んだり、全体通して三回は読んだ。
ちなみに、形態は単行本。
表紙も硬く、ハードカバーの名に相応しい本当に硬い本。
柔らかい単行本もある(表紙が柔らかめ)けど、そこはやっぱり『読めればオッケー』スタンスの私はどっちでもいい。

だが、しかし!
先日、この作家さんの新作エッセイが発売になった。
Twitterで発売を知った私は即、Amazonで予約。届くのを心待ちにしていた。
で、届いた。よし、読むぞー!と本を手に取って気づいたのだ。
なんと、今回のエッセイは柔らかいバージョンの単行本だったのだ……!

だから??って思ったあなた!私にはこれは、由々しき問題なのだ!
だって、考えてもみてよ!
今回のエッセイは前回と同じ新潮社で、表紙の感じもおそらく海外の画家の絵を使っていて、見た目はほぼ変わらない。
なのに、なぜ、今回は柔らかい単行本なんだ!
この作家さんのエッセイを本棚に並べたときに、違和感ありまくりだろ!

どうして。どうして同じ出版社から発売されて、内容こそちがうとはいえ同じ作家さんの本だというのに、形態を変える必要があるんだ。
例えばね、例えばの話し。
内容がまったく違うテーマを扱っていたとする。
食に関するエッセイを集めた、旅行に関するエッセイを集めたとするなら、同じ出版社から発売されたとしても、形態は違っていいと思う。
けれど、この作家さんのエッセイは海外セレブのゴシップだったり、洋画の話しだったり、バレエの話しだったり、サブカルの話しだったりと、前回と基本のスタンスはまったく変わっていない!
な・の・に・な・ぜ・!

ゼーハー、ゼーハー。
違和感というのは人によってちがうし、これじゃあ『読めればオッケー』スタンスが矛盾してるような気もするが、気になってしょーがないんだよ。
そもそも形態をどうして変える必要があるの??
前回から数年経って出版したエッセイだから??
でも、ちょっと『フェミ』についての記述が多くなってうっとおしいとは思ったけど、基本好きな海外の俳優や女優についてだったり、洋画のここがよかったとしてしか言ってないから!
それなのに、形態だけ変えたら不自然だろうが!

という、心の狭い(あ、自分で言っちゃった)読書コラムを書いてふと思う。
もしかして、新潮社は前回のエッセイとは別物として扱ってる……?
これは前回とは大幅に洋画のことを語ってるからもう違う形態で出しちゃえ!って思って出版した……?

そ・こ・だ・よ!
違和感のもとは!

ぜひ、新潮社の方は、この二冊(と言いつつ書名は出さない。考えてみてください)の並べて違和感を感じて、次に出版するときはとくと考えてからの出版をお願いします。
見た目も形態も、本にはすごく大切だと思った私でした。

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