文句を言う年齢は終わったんだな
ライター活動を始めてまだ三ヶ月ほどで、媒体も一つでしか書いてない私だけど、本を読んで本の記事を書くという幸せを噛み締めてる(ちなみに「Reajoy」というサイトで書いています。宣伝すみません)。
途中でフォーマットが変わり戸惑って、かなり頭を悩ませた。
書かせてもらっているのに、文句をぶつぶつ、ぶつぶつ……。
思えば私は文句が多い。
学生時代の体育祭。
夏にやることが多かったため、とにかく暑い。
それに加えて、中学時代の体育祭は運動場に机と椅子を出さないといけなく、重い机と椅子を三階から運ぶ重労働がとにかく嫌で、毎日友達と文句ばかり言い合っていた。
高校時代は、運動場までバスで移動。
それもかなりの距離を。
朝早くスクールバスに乗って、たった数時間の体育祭のために移動するのが当時は本当に意味が分からなかった。
自分の出場する競技(一つだけ)以外は日陰でジュースを飲みながら、友達とおしゃべり。
それが楽しくなかったわけではないけれど、文句を言ってないとやってられなかった。
勉強に関しても文句が多かった。
数学と理科と英語が苦手だった私は、こんなもの将来何の役にも立たない!と、学生なら一回は言ったことがあるよう台詞をテストのたびに吐いて勉強をしてこなかった。
当時の私を叱り飛ばしたい衝動に駆られるが、自分というものの性格を分かっているので、何とも言えない。
文句を言わないと行動できない年齢ってあるのだ。
思春期は特にそうだ。
すべてに落ち度を見つけて、文句をつけたがる。
すべてが文句の対象になる。
あぁ、そんなときもあったなと今はなつかしく思う。
ただ、最近思うのは、文句を言う年齢は終わったんだな、ということだ。
どういうことかと言うと、文句を言ってもしょうがないことにちゃんと気づいたということ。
文句を言ったって記事を書かなければいけないし、文句を言ったって仕事をしなければ生活はできないし、文句を言ったって朝は来る。
もうやめよう。
文句と意見はちがうのに気づいて、ふつっと黙って作業するというのが大人というものである。
私自身、記事を書くときに「あぁ、あらすじ書くの難しいな」「あぁ、文字数オーバーだ」などと自分に対する文句を言わなくなったら作業効率が上がるという事実に気づいた。
「文句」というのは子供でもできる。
「文句」を「意見」に変えるのが大人である。
早いとこ文句から卒業しないと、いつまで経っても駄々っ子のまま齢を重ねてしまう。
このことに気づけた私は、自分を褒めたいと思う。
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