見出し画像

切れないものなんてない?

前回のnoteで父親とは仲が良かった、という事を書いたけれど子供の頃は、特に小学校低学年くらいまでは厳しい父だった記憶がある。

小学校に上がる前ぐらいまでは、毎晩正座して手をついて頭を下げ(いわゆるお辞儀)「おとうさんおやすみなさい」「おかあさんおやすみなさい」をしてから寝るのが日課だった。
(別段由緒あるおウチで〜とかでもない)

それが当たり前だったので親戚一同が集まった時には困った。正確には覚えていないけど父も母も10人くらいは兄弟がいたからで、プラスそれぞれの配偶者様がいたからだ。

とりあえずいつものように片っ端から
「◯◯おじさん、おやすみなさい」
「△△おばさん、おやすみなさい」
と正座して手をついてお辞儀をした。
長女の私に倣って私の後に長男が、その後に次男が、と続くので途中からカエルの合唱状態になる。
慌てた母親が(皆さんおやすみなさい。でいいわよ)って耳打ちした。

父親はその様子を見て満足気だったような気がする。挨拶を厳しく躾けたかったのかな。

そして普段は優しいけど怒る時はちゃんと怒る、という人だったから怒られた記憶もちゃんとある。
娘だからか、さすがに手をあげられた事はなかったけれど。

まだ小さかったある日、なにをしでかしたのかは忘れてしまったけれど、反省のために暗い部屋に入れられた事がある。「反省して100数えるまで出るんじゃない」と言われ、必死で数え始めた私はなぜか「99」「100」が出てこなかった。
「98、98…98……98………。」
磨りガラスの向こうで逆光シルエットに映っていた父はきっともどかしかっただろう。そこまで数えられたのになんで?!って笑
ただ怒鳴らずに、教えるでもなくガラスの向こうで無言で待ってた。

いつも明るくていつも笑顔な父が怒った理由ってなんだっけ…。
って記憶の糸を辿ってたら思い出した。アレだ。

ある日珍しく私と弟で留守番をすることになったんだ。

母「誰か来たらどなたですか?って聞いてね。いま誰もいないのでまたきてください、って言うのよ」「電話は鳴っても出なくていいからね」

急に大人になったみたいな、まかされた感じにワクワクして気分は「初めてのお使い」のよう。軽いシミュレーションをしたり張り切っていたのに特に来客はなくて時間は過ぎていく。ドキドキ。誰か来ないかな。電話も鳴らないな。

緊張感も薄れて弟と遊び始めた頃、目についたのは黒電話。本体自体じゃなくて、どこかから伸びて本体に繋がってる太い電話線?の方。

↑左下へと伸びるコード。この電話懐かしいなぁ
photo by リリ子さんによる写真ACからの写真

それを見てなぜか私は
「…これ切れるのかな」
ふとそう思ってハサミ(か父親の工具か忘れた)を持って思いっきりジョキッ!!っと。
あ、切れた。切れるんだ。ふーん。

その後、隣の父母の部屋で往復ハガキを発見する。
まだ往復ハガキの存在を知らなかった私は
「ハガキって繋がって売ってるんだ。これじゃー使えないよ。使いやすいように切っておこう」
ジョキジョキ

そして父母が帰宅。

「おかえりなさい。電話鳴らなかったよ!」
今の私なら全力で言うだろうな。「でしょうね!!」って笑

そりゃー怒るわけで。うん、私でも怒る。

他にもカレンダーを止めてあったホチキスの針を見てまた思う。
「…これって切れる?」
ジョキッ!

ホチキスの針がハサミで切れるわけがなくて、切れたのは私の手。
隣で呆然とする母親。(傷は全然たいしたことなかった)


あほだな私…。なんでこう、なんでもかんでも切ろうとしてたんだろうか…。天職は美容師とかだったのかしら。

あぁ、いや危なすぎてハサミなんか持っちゃいけない人だ私。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?