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童話『アリ、そしてキリギリス』前編

「仲間がみんな一生懸命働いているのに、君はいいのかい?」
「いいのいいの。それよりもう一曲聴かせてよ」
 太陽の下であちこち歩き回って食べ物を巣に持ち帰る仲間を横目で見ながら、一匹のアリが大きな葉っぱが作る涼し気な陰で、友達のキリギリスの歌と演奏を聴いています。
「そうかい? じゃあ、この歌を聴いておくれよ」
 キリギリスの奏でるバイオリンと澄んだ声が、風に乗って流れます。
「なんていい歌なんだろう」
 アリは目を閉じて、うっとりと耳を傾けています。
「ねぇ、アリ君」とキリギリスは歌を止めて言いました。
「なんだい?」
「ぼく、この秋に町へ行こうと思うんだ」
「町へ? どうして? 野原から出て行くって言うのかい?」
「虫の音楽コンテストがあるんだ。そこで優勝すれば音楽家になれて、いろんな場所へ行って演奏できる。それに出ようと思うんだ」
「そう。夢があるんだね。うん。ぼくは止めないよ。君の歌なら優勝間違いなしだ」
 夕方になってアリが巣へ帰っても、キリギリスは一人で音楽を奏でました。野原に美しい歌声が響きます。
 暑い夏も終わりに近づき、風に涼しさが感じられるようになった頃のことです。アリはキリギリスに言いました。
「キリギリス君、まだ町へ行くまでには日があると思うけど、ぼくは今日から食べ物を探すことになったんだ。だから……」
 ずっと一緒にいられない。アリはそう言いました。
 アリは一日中歩き回って食べ物を巣に持ち帰っては、また出ていきます。暗くなるまで何度も何度も繰り返し、食べ物を探します。その仕事は危険です。出かけたアリが戻ってこないことが、毎日のようにあります。数が減ったために食べ物まで減る。そうならないように働きアリの内何匹かが常に待機しており、仲間が欠けると活動を始めるのです。
「ぼくはね、サボってたんじゃないんだ。今日から減った仲間の分、頑張るんだよ」
 キリギリスは寂しく思いましたが、自分ももうすぐ旅に出るのです。別れが少し早くなったと思うことにしました。
「じゃあ、夜に巣の近くで歌ってもいいかい? 歌は聴いてほしいな」
「もちろんだとも」
 賑やかに鳴いていた蝉の声がなくなった頃、キリギリスは町へ旅立ちました。アリにとって毎日聴いていた歌がないことは、とても寂しいことでした。朝、太陽の光を浴びて輝く草の露を見ても元気が出ないし、西の空に沈んでいく夕日を見ると悲しい気持ちになるのでした。でも、とアリは思うのです。キリギリスの歌をたくさんの虫や動物達が聴くのなら、それはキリギリスだけでなく、自分にとっても嬉しいことなのだ。
「ぼくが一番、彼の歌が好きだと思うけど」
 アリは毎日一生懸命食べ物を探しました。アリは寒い冬はほとんど活動できません。そのため秋にたくさん食べておかないといけないのです。大勢の巣の仲間の食べ物を集めることは、とても大事で大変な仕事です。
 野原には小さな池がありました。そのほとりを歩いていた時です。アリは食べ物探しに気を取られ、恐ろしい敵がいたことに気づきませんでした。
 カエルが、じっとアリを見つめていたのです。
 目の前を歩いていた仲間の姿が急に消え、アリはカエルに気づきました。すぐにまた舌が伸びてきて、すぐそばの地面を叩きました。振り向いて全力で走るアリのすぐ側に、何度も舌が伸びてきました。
 逃げるアリにカエルがジャンプして追いつこうとした瞬間でした。急に辺りが暗くなったと思うと周りの草が倒れました。鳥です。鳥は鋭い爪でカエルを捕え、空へ舞い上がりました。
                             〈つづく〉                        


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