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連作ショート・ショート『鼻たれ神』第一話

「願い事三つ」

 何か置いてあるのだと勇は思った。電柱の陰に白いゴミ袋が置いてあるのだと。傍を通り過ぎようとすると、その何かが動き出し、
「これこれ、そこの道行く若者よ」
 勇は驚いて足を止め、じっと目を凝らした。街灯の明かりの下、さっきゴミ袋だと思った物は、白い貫頭衣をまとった人のようだ。背丈は勇の半分ぐらい。恐らく1メートルないだろう。手に背丈より長い杖を持ち、表情は糸のように細い目のせいか温和に見える。髪のない頭が街灯に照らされて後光が差しているようだ。しかし長く垂れた鼻水のせいでどこか汚らしい。
「あなたは誰ですか? 僕に用ですか?」
「よくぞ聞いてくれた! わしは鼻たれ神ぢゃ」
「鼻たれ紙……ティッシュですか?」
「そんな訳なかろう。神様の神ぢゃ」
「へー、で、その神様が何の用ですか?」
「実はその……」と鼻たれ神は勇が手にしているスーパーの袋をおずおずと指した。「いい匂いがするのぅ。実はわし、腹が減って行き倒れておったのぢゃ。すまぬが何か食わせてくれぬか。もちろん礼はするぞ」
 アパートに帰るや否や、鼻たれ神は一心不乱に食べた。さっきまで垂れていた鼻水は食べる時は格納するらしい。
「すまぬ。お主の分まで食べてしもうた」
「しょうがないな。あんた、貧乏神じゃないだろうな」
「心配には及ばぬ。奴はただの友達ぢゃ。それより若者よ」
 鼻たれ神がまた長い鼻水を垂らした。
「約束ぢゃ。願い事を三つ叶えよう。何でもいいぞ」
「願い事ねぇ……じゃあ、一緒に来て」
 さっき買い物をしたスーパーに戻った勇は外から窓越しに、レジを打っている女性を指さした。
「ほお、きれいな人ぢゃなあ。さてはお主、切ない一方通行の想いにさいなまれておるな。さて、どうするかの?」
「あの人を振り向かせてほしい」
「お安いご用ぢゃ」
 鼻たれ神は鼻をズズっとすすった。するとレジの女性が顔を一瞬勇の方に向け、また仕事に戻った。
「あんなことでよいとはのう。お主、欲がないのう」
「あんなこと?」
「振り向いたではないか」
「違うだろっ」と思わず勇は鼻たれ神に詰め寄った。
「言っておくが、わしの姿はお主にしか見えておらんぞ。今お主は一人で怒っているのぢゃぞ」
 言われてみると遠くから刺さる視線が痛い。
「願い事は慎重にするのぢゃぞ。二つ目、いくか?」
「姿が見えないんだな。それじゃ中に入って商品を盗んできてくれ」
「よかろう。ぢゃが商品が宙を飛んでお主の所へ来るぞ。どんな言い訳をするか見ものぢゃ」
「……分かった。真面目に言う。あのレジの女性、香さんとデートの約束をしたい」
「それでいいのか? お主を好きにさせることもできるのぢゃが」
「あんたの力じゃ意味がない。嬉しくない」
「振り向かせろって言ったのは誰ぢゃったかのう」
「やっぱり分かっててやったんだな!」
「神ぢゃからな。お見通しぢゃ。さて」
 鼻たれ神は鼻をズズっとすすった。
「さぁ行ってこい。大丈夫ぢゃ」
「今は彼女、仕事中だから、終わるのを待つよ」
「そうか。ならわしは先に帰るぞ」
 二時間ほどして勇はアパートに戻ってきた。
「なんぢゃ。もっと嬉しそうにすると思ってたのに。断られはせなんだぢゃろう」
「うん。日曜に会うよ。でも、あんたの力だし、悪いことをしたのかなって」
「気にするな。わしは何とも思っておらん」
「そういう意味じゃないんだけど……」
 日曜日、出かけていった勇はすぐに帰ってきた。
「なんぢゃ。もう帰ってきたのか」
 会った瞬間彼女に、なぜ誘いを受ける気になったのか、なぜここにいるのか、自分でも分からないと言われたらしい。
「それで帰ってきてしまったのか。どうしてぢゃ。情けないと自分で思わんのか。なぜそこで楽しい雰囲気を作ろうとせんのぢゃ……まぁ、お主を責めてもしょうがない。お主はそういう奴ぢゃ。最後の願いで恋人になるか?」
「もういい。オレ、自分の力でやり直すよ。だから最後の願いは、彼女の記憶から今日のことを消してほしい」
「そうか。自分でのう。それもよかろう」
 鼻たれ神は鼻をズズっとすすった。
「これでよし。さて、勇よ。三つの願いが終わった今、お主ともこれでお別れぢゃ。わしはお主のくれた弁当を忘れたりはせん」
 そう言い残すと鼻たれ神の姿は消えた。
 しかし翌日、スーパーに入っていく勇を見守る鼻たれ神の姿があった。
「勇の分まで弁当を食ってしもうたからのう。四つ目の願い、特別に叶えてやろう」
 店内の勇が香に近づいていく様子を見ていた鼻たれ神が、ズズっと鼻をすすった。
「勇気をやろう。勇、がんばるのぢゃ」
 そして今度は本当に姿を消した。
                               <了>

二十代の頃書いたショートショートを少し手直しした作品です。
いかがでしたか? お読み下さり、ありがとうございます!

見出し画像のイメージイラストの一部は、はちドットビズさんからいただきました。ありがとうございます。ほんとはお地蔵様なのですが、お顔がかわいいので使わせていただきました。このような使い方は意図されていないかもしれません。ご容赦下さい。


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