月曜日の友達 2

今回は月曜日の友達のみならず阿部共実作品について。いきなり本題に入るので前回読んでからをオススメします。

さっとググれば出てくる感想や考察とかインタビュー記事を読んで初めて気が付いたんですが、月曜日の友達は擬音語(オノマトペ)をほとんど使っていないらしいです。幼少期の頃からどっぷりとマンガを読み耽っていた自分を含めた昨今の若者にとって、マンガにおける擬音語(特に書き文字で表されるSEなど)は当たり前でありむしろ無いほうが違和感というか読みにくさを感じても良いと思われるが、それはまあマンガのジャンルによるものもあるんじゃなかろうか。バトルマンガならドカーン!バコーン!チュドーン!といったSEが臨場感を演出してくれるが、月曜日の友達はそんなバトルシーンがあるようなマンガではないのだ。しかしそれを差し引いても、例えばセミの鳴き声なんかはミーンミーンとかシャワシャワとかジージーだとか、擬音を用いて一言でも表わすことができるが、作中では
「蝉と蝉と蝉の叫びが入り乱れ激しくぶつかりあう。」
という水谷の回想でのセリフがある。やはり擬音語を使うと一目で簡単にイメージはしやすくなるんですが、あっさりしすぎてただの水みたいな、何もないのと変わらなくなっちゃうんですよね。ただ夏を表現してるだけですよみたいな。水谷の回想の場面の言葉遣いに注目してみたら、こんな感じで事細かに心象や風景を描写してるんですが、多感な時期を表しているのもあるかもですし、ちょっと大人びたいことを表現してるのかもしれませんし、水谷にとって世界はこう見えてこう感じているんだよという作者からの呼びかけのような感じがします。
ここの場面の前後を読み返して改めて感じましたがやはりこの作品というか、阿部共実という人は文章による表現の限界に挑んでいる気がします。
「激しく光を照らされた葉が重なり合ったセロハンのように真緑に透ける。」
「もう太陽が沈んで街灯もない辺り一面は自分の色を忘れたかのように真っ黒なのに、西の空はまだ炎のように赤く赤く燃えている。
お前はまるで写真に放った火のにおいを吸い込むように思い出を噛む(しがむ)んだ。」
やっぱり洗練されてキレイな文章だと思います。文章ってスゲえ。文才ってスゲえ。

 で、もう一回絵のことについてちょっと触れるんですが、このマンガ、背景の書き込みとかモブキャラの描き分けとか、細かいところすごい丁寧に描いてるんですよね。そこを見ながら読むのもまたおもしろいかもしれません。直線一つ見てもフリーハンドで引いたかのような細かなギザギザがあったりして、それがまたいい味を出している(ような気がする。個人的にはかなり好きな描き方です)。瞳の中に映り込んでいるような細かな描写もすごく丁寧に描いていて、あらゆる事象が読み取れるんじゃないでしょうか。

 そんな阿部共実の最新作「潮が舞い子が舞い」も超おもしろいのでぜひ読んでみてください。こっちは気軽に読める高校生たちの青春コメディです。でもそんな高校生たちの何気ない日常を描いている中にもハッとさせられるような発見があったりなかったり…。おすすめです。

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