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スーパーのおじさん

よく行くスーパーの入り口付近で毎日のように昼間にだべっているおじさんがいる。毎日長々とおばあさんやおばさんと話をしている。田舎だから、先祖から受け継いだ土地などがあり働かなくて生活できる人がいるが、そういう人だろうか?連れてきている犬が、待っている間、スーパーのカゴをなめたりしていて、不潔だと感じていた。

しかし、ある時から、スーパーの入り口付近が少し変わり、そのおじさんを見かけなくなった。

それからどの位経ったか、久々に昨日そのおじさんがいた。いつもの定位置ではなく、店の前にいて、犬は連れていなかった。きっと、見かけなくなったのは、お店の人が注意したからなんだろうなと思った。

お店の前に、他には誰もおらず、私はもう帰ろうとしていたが、そのおじさんの前を2度横切らなくてはならなかった。おじさんは缶酎ハイを飲みながら手持ちぶさたげに横切る私を凝視した。誰かを捕まえて話したいというオーラがぷんぷんしていた。いつも話をしていた人達もこうしてつかまったんだろうか?

今はコロナで外飲みにも注意の目が向けられているというのに、おじさんにつかまって仲間だと思われたらかなわないと思い、気づかないふりをして無視して立ち去った。

しかし、その後思った。


マザーテレサならどうする?


おそらく、彼は、マザーテレサの言うところの"The poor"なのだろう。

おそらく金銭的には何も困っていないが、寂しい人だからこそ、犬を連れてこんなところでお酒を飲みながら、人を捕まえて話し相手になって貰おうとしているのだろう。

マザーテレサはそういう人に仕えなさい(serve)と言った。助ける(help)のではなく、仕えるのですと。

彼はああして救いを求めている。。


マザーテレサは、どうして日本は豊かな国であるにも関わらず、"The Poor"に対して無関心なのかと疑問をなげかけていた。そこにはおそらく3つの理由があるのではないかと思う。

1.日本は基本的に無神論者の国である(マザーテレサはキリスト教で、インド人はヒンドゥー、イスラム、仏教など信心が強い。それと比べて日本人は無神論的な考え方の人が多い)。

2.おそらく「君子危うきに近寄らず」という考え方の人が多い。つまり、変な人に関わって、なにかに巻き込まれたり被害を受けたくない。

3.路上生活者などは彼ら自身が事情を抱えていて、自分をせんさくされたり自由を奪われたくないと考えている場合が多い。


しかし、少なくともあのおじさんは、自分から救いを求めているのではないだろうか。コロナ禍の中で、孤独な人達にどう接していけば良いだろうか。

かつて、ショッピングモールの休憩イスには、昼間座って人々を眺めているお年寄りたちがたくさんいた。外出することで健康作りをしつつ、さみしさをまぎらわせていたのだろう。そういう人達は、コロナ禍で外出制限の今、どうしているだろうか。


マザーテレサによれば、"The poor"は食べ物に飢えている人だけではなく、孤独な人、社会から必要とされない人たちという事だった。

コロナ禍の今、何ができるだろうか。

私はあのおじさんに、今度会ったら何をしようか。

私を目で追ってくれたのに、無視してしまって悲しい思いをさせたかもしれない。今度会っても、もう私を目で追ったりしないと思うけれど、もしもまた見てくれたら、次はあいさつをしよう。


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