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#078 「生きてるだけで、愛」

感情の振り幅は、人それぞれ。
他者の感情に振り回されることも、自分の感情に振り回されることも、とっても疲れる。そんな毎日はとてもやっていられないから、みんなコントロールしようとするし、平穏さを求めてしまう。
制御することが苦手な人や、そもそもの振り幅の大きい人が居ることは想像出来る。決して比べられないけれど。
コンディションによって制御不能になることもあるだろうし、特定の人に盛大に感情が乱される場合もある気がする。
誰しも、大きな意味では躁鬱を行ったり来たりしている。
どこまでが正常なのか分からないけれど、やっぱり社会生活に影響が出る程の辛さは病ってことになるのかな。その線引きさえも無意味だけど。

映画は、ちょっとコンディションが悪かったら引っ張られてしまいそうなくらい、誰しも片足突っ込んだ記憶が蘇るだろうリアリティだった。
調子の悪い時期を超えて、何かをしようとようやく始めるものの、少しの躓きが積み重なる度に、ひとつひとつ絶望していく。あの感じ。
見ていて、あぁ、そんなに頑張ったら駄目だよと。大丈夫だよと念じてしまう。
幸せそうな普通の人達(それだって、内面は分からない)の中で繰り返される、励ましや寛容さや優しさや応援に、耐えられなくなる。大丈夫だよ。きっと立ち直れるよ。という視線は、現在への全否定で、自分がそっち側に行くことを望んでいるのかも分からないのに、正しさに抗えなくなる。
だけど、その中には入れない自分を知っている。

コントロールして生きるということは、驚く様な美しさを見つけることを放棄することだ。ある瞬間、頭の中心に降りてくる光を諦めることだ。
あの瞬間が無い人生なんて、それこそ死んでいるのに等しいではないか。とさえ思える。
躁鬱の彼女を曖昧な相槌で流して、毎日の起伏に付き合いながら自分もどんどん擦り減っていく彼が、彼女のその煌めきの一瞬を手放せなかった気持ちも分かる気がする。