026リアリティのダンス

#026「リアリティのダンス」

とりあえず、ホドロフスキーを解説するつもりなんてありませんよ。輪廻転生24回目くらいで、運が良ければ同じ生物になれるかも。

自伝的映画。ということらしいのだけれど、人生ってこんなに多種多様な世界を行き来するものか。と思う。物理的にも、精神的にも。
でも、多分、世界そのものは見渡すことも定義することも出来ない代物で、その人の視界に依って幾らでも伸びたり、拡散したりして、誰もが違う色を見ていて、誰もが全く違う物語を生きている。
この人の世界は、ずっとこうだったんだな。というものを見るのだけれど、私の知っているのとは同一のものではない。半端ない現実と、途方も無い夢の世界。

何か凄い才能を持った人とか、凄いことを成し遂げた(様に見える)人は、一つのことに一直線に進んだ結果だと思ってしまうけれど(そうやって取り挙げられるからだけど)、誰もが同じ様に行ったり来たり蛇行したり、時代や運命に阻まれたりしてきたわけで、後悔も迷いも、雑念も挫折も常にある。同じ分量で。
ただ、その行ったり来たりも、蛇行の仕方も、雑念も後悔の景色も、もう存在からして違う。そこに浮かび上がる世界は、全く違う色合いなのだと思う。
馬鹿みたいだけれど、十人十色とは良く言ったもので。
人の感じ方がそれぞれ違うんじゃなくて、その人が見て、抱えている世界がそれぞれ、全く異なっているんじゃないか!?と思うに至る。
そりゃあ、他人と分かり合うとか、何の冗談かしら。というくらい困難だなぁ。
隣の君は、パラレルワールドくらい離れているもの。

そんな少年の自分を迎えにいく映画。迎えに行って、一緒に見送る。
誰かが救ってくれる訳ではなかったし、誰かが導いてくれる訳ではなかった。けれど、今見えている世界の広さは少年が見てきた世界そのものだから、ずっと昔から今も、同じ二つの目から一緒に世界を見ているのだ。