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金沢21世紀美術館に「DXP」展を観に行ったよ

東京⇄金沢は日帰りでも全然行ける

金沢21世紀美術館で開催されている「DXP」展を観に行った。20年ぶりくらいで深夜高速バスで行ったんだけど、シートがほぼフルフラット&カーテンで個室になっていて、新幹線の半額以下なのに快適!

目が覚めるともう金沢。

今回の目的、「DXP」展はデジタルが衣食住、生活全般に入り込むことでどんなふうになるか、ということをイメージできる展示。

身体がちゃんと適応できるかな…?

コンセプトはめちゃくちゃ面白いし、ビジュアルの強さは全てに共通しているんだけど、ずっと観ているうちに巨大なスクリーンやモニターに没入しすぎて気持ち悪くなってくる。

デイヴィッド・オライリーの360°巨大スクリーンに囲まれた映像作品とか没入感が凄まじく、催眠術にかかったように頭がぼーっとしてくる。

USJに行った時も似た感覚になったんだけど、単体で立体的な映像作品を見ると「すごーい!」と思うものの続けざまにそういうアトラクションに乗ると脳がぐわんぐわんして自分が何を観ているのかわからなくなってくる。それに似ていた。

でもこれ、私の身体が新しい時代のメディアに対応できていないせいなんだと思うと、ちょっと悲しい。途中にあったタレルの部屋にものすごくほっとした…。

この世界で人間である私ができることってなんだろう

ハンドアウトのクレジットを見たら、テキストがChatGPTによるものとあってたまげた。今まで良しとされていた基準が明確なものに関しては、デジタルでたやすく再現できるんだろう。

いちばん印象に残った作品のひとつに明治大学宮下芳明研究室の「スマホ画面に映された料理の味がそのまま再現される」という研究があった。ものすごく面白いと思う一方、私が美味しいと感じることってデジタルで解析できる味覚要素以外のことも多分に含まれる。雰囲気や会話や付随する思い出など。でも、それを言語化して自覚的であらねば、なきものとされてしまう未来もあるのかもしれない。

無駄を大切にしよう、とかちょっと言い訳っぽいし今まであまりピンときていなかったけど、それこそが人間にしかできないことになっていくような気がする。デジタルに再現されないニッチな領域を求める逃走が始まる。

亀の歩みで逃走。

イメージだけならAIにもできる。できるのは手を動かすこと

メルべ・アクドガンの廃墟をリノベーションして人が集まる場所にするという映像は、最近興味がある分野なこともあって永遠に見ていられるくらい楽しかった。

朽ちた箇所を修繕し、緑を溢れさせ、人々が集う。そうすると一瞬で見違えたように魅力的な場所に変わる。ずっと見てるとすごく簡単な気がしてくる。でも、スクリーンから目を逸らした瞬間、それは終わる。そして、それを実際に行うことはとても大変なこと。

想像するだけならAIでもできる。手を動かしてそれを現実にすることこそが人間ができることなんじゃないかなー。その優位性(?)もいつまで続くかわかんないけど。

行って体感してみないとわからないことだらけ

すべからくそうなんですが、今回の展示に関してはWebにある画像のみではイメージすらできないことだらけだった。身体を移動させて、自分の器官で感じ、言語化する、人間らしい営みをするのにぴったりな展示。このためだけに行く甲斐が大いにありました。

サポートしていただけたら、作品を作り続ける勇気が湧きます。どうぞよろしくお願いいたします。