国民的歴史学運動と「月の輪方式」についての私見

こんにちは。

今日は前々回までとは少し違った話題について触れてみようと思います。
これはまた別の講義に対して私が提出した小レポートで、タイトルの通り、岡山県美咲町にある月の輪古墳の1953年における「月の輪方式」と呼ばれた発掘事業と、それに結び付けられた戦後の「国民的歴史学運動」について語られた講義に対して、私見を述べたものです。

なので、「月の輪古墳の発掘事業」と「国民的歴史学運動」についての予備知識がないと、何を言っているのか分からない文章になっています。まぁ、Wikipediaにも載っているので、気になる方は是非調べてみてください。

余談にはなりますが、自民党広報が掲載したダーウィンの「進化論」と憲法改正を結びつけたマンガが、これまた批判を浴びて話題に挙がってますね。

恥ずかしながら私はダーウィンの「種の起源」を読んだことがないのですが、どうもこの「最も強い者が~」とダーウィンが語ったと説明されている部分、どこにも出典がないみたいですね。過去には小泉元首相が所信表明演説で同じようなことを述べていたようなので、その踏襲と言うべきなのでしょうか。

よくダーウィンの進化論が「社会進化論」としてナチスの反ユダヤ人政策の理念として応用された、というような言い方をされますが、それはダーウィンの進化論を人間の社会・思想・文化というようなものに応用したに過ぎず、ダーウィン自体がそれについて述べた訳ではないようです。こんにちの私たちのダーウィンに対する理解は、良くも悪くも伝言ゲームのようになってしまっているのですね。(それを政権与党である自民党の広報がさも「ダーウィン本人が語った」かのように根拠の薄い情報を載せてるのはどうかと思いますが・・・)

兎にも角にも、「種の起源」そのものを読まなければ、彼の言う「進化論」の本質が分かりづらくなっているということが分かったので、今度暇ができたら読んでみようと思いました。

では何故このことを余談として取り上げようかと思ったのかについてですが、このマンガの「唯一生き残ることができるのは、変化できる者である」というセリフがきっかけでした。
一般的な自民党の政治思想とは真逆の立場になると思いますが、マルクスの唯物史観では人類の歴史とは弁証法的唯物論が適用された支配と被支配者の闘争の歴史であるとされ、彼もまたその史観の形成に役立ったものとしてダーウィンの「種の起源」を掲げ、彼に自らの『資本論』の第一巻を献本した、というエピソードがあるそうです。調べてみると、『資本論』第一巻の刊行が1867年で、この年既にマルクスはイギリスに亡命しており、ダーウィンも存命だったので、奇しくもこの二人は同じ国で同じ時代を生きた人物同士だった、ということが明らかになります。

ダーウィンの進化論とは「現生している生物種とはたまたまこの環境に遺伝的性質を変化させて適応した(進化した)生物種や、変化する環境に耐え抜く性質を持った生物種である」という風に思っていたのですが(これも「種の起源」を読んでいないので確かではありません。)、そこに人類の変革に対する意志、マルクスで言えば「革命」、この自民党のマンガで言えば「変わろうとする意志(憲法改正)」を付け加えられるのは、当のダーウィン先生も苦笑いなんじゃないかなぁ、と妄想した訳です。

マルクスは唯物論を基点として自身の唯物史観の理論を発展させていったのですが、そもそも「唯物論的に人類の歴史を見る」とは、一体どんなことであろうかということを考えました。しかしそれについて考えれば考えるほど、「過去のすべての社会の歴史は、階級闘争の歴史である」(エンゲルスとの共著の『共産党宣言』より)というマルクスの唯物史観は、「唯物論的に人類の歴史を見る」ことと反しているように思います。人類の歴史を「階級の闘争の歴史」と捉えることこそ、現在の私たちの精神からくる主観的見方に過ぎず、一切の歴史的なものは、未来の私たちについて語り得る何も持たず、ただ過去にあった物質的な事実だけを述べるだけなのではないでしょうか。

よく私たちは歴史という過去の失敗や成功に学ぶ、というような言い方をして、好きな歴史上の人物を挙げてその生き方を模範にしたりするのですが、歴史学や考古学の本質とはそういうことではなく、ただ現代に遺された過去の遺物から導かれる過去の出来事を、科学的に分析して列挙する。このことに尽きるのではないでしょうか。そこから現代の人間の有り様や社会の諸問題などに歴史をどう結び付けるかは、個人の主観に任せられていることであり、社会学や哲学の範疇であると思うです。だからマルクス先生は「歴史家」ではなく、「哲学者」であり、「思想家」になる訳ですね。

要するに何が言いたいのかというと、私たちが生きている現在と過去の歴史を何もすぐに直結させて考える必要はない、ということです。例えば戦争の惨禍、大戦の歴史を見て反戦平和について考えることは大切ですが、「過去の人物はこうしたから、自分もこうしなきゃいけない」と考える必要はないというこということです。何故なら今生きる私たちとはかけがえのない「私たち」であるからです。変わることのない過去と比べて、今を生きる私たちには実に様々な選択肢が開かれています。そこに「過去と同じ選択、過去とは違う選択をしなければならない」とわざわざ選択肢を狭めることをする必要はないでしょう。歴史とは現在の私たちに対する教訓であると「縛られる」必要はないと思うのです。あくまで教訓である、と私たちが必要に応じてそう捉えるだけです。

余談、終わり。

以下、原文ママ

私は学者と学生の手に限られてきた考古学調査が、広く民衆の手によって拓かれ、より主体的、実践的に過去の歴史を掘り起こすという意味での月の輪古墳の発掘、その原点となった国民的歴史学運動の目的の一つに賛同しますが、そこにマルクス主義と関連付けて語られる「労働者階級の物語」が含まれることには、少し疑問を感じました。

例えば、この遺跡の発掘風景の中には鉱山で働く被雇用の労働者、女性たち、朝鮮人など、社会によって様々な抑圧を受けてきた人たちが登場し、

「日本人が自分の本当の歴史を知れば、朝鮮人と本当に手をとりあって仲良くすることができるはず」

「自分たちの祖先が、この一人の人の墓のために、どのような苦しみとたたかわねばならなかったのかを知ったろうし、葬られた人の主は男で、その妻の墓はそれよりも小さく、側に寄せられている」

と語っていることは、現在の差別的社会の構造を安直に古代の「王-奴隷」の関係に紐づけているに過ぎず、そこには本来の歴史研究に対する視点が喪われているように感じます。

確かに歴史とは連続性を持ち、戦後の自由民主主義の背景にはそういった過去の支配構造と共通するような貧富や男女、人種に対する差別があるのですが、何も歴史とは常に「支配と被支配」の連続なのではないということもまた確かなのではないでしょうか。しかしながら、国民的歴史学運動や、その理念に賛同して月の輪古墳の発掘に参加した人の一部には、「歴史学を国民のものに」というスローガンを、「支配者によって紡がれてきた歴史を被支配者である「私たち」が掘り起こし、逆に「私たち」が語り直すのだ」という逆転の発想、被支配者による支配者階層の打倒(=革命)の実践として遺跡の発掘に意味付けようとする意図があったのは、見ていて非常に残念なことでした。

そうした意味付けでは、宮家でありながら古オリエンタル史の研究に取り組んだ故三笠宮がこの運動に賛同したことに対しても、批判的に捉えざるを得ないでしょう。三笠宮がこの運動に賛同したことは、文字通り「国民が主体となって歴史を学ぶ」という国民的歴史学運動の「歴史学を国民のものに」というスローガンの持つ純粋な意図そのものであったと思うのですが。

私は考古学や歴史学について多くを学んでる訳ではないのですが、むしろ純粋な唯物論の観点から考古学を見るのであれば、発掘された考古物とはそこから科学的に得ることのできる物質的な情報(例えば、矢が刺さった痕跡のある頭蓋骨、多くの装飾品に彩られた棺など)から、過去に起こった断片的な事実(戦争の形跡や、支配的階級の存在)を知ることができるものであり、そこから先の未来の私たちの精神における問題や思想(現代戦における戦争の惨禍、資本主義社会における労働者階級の受ける抑圧)について何ら語るものではない、と捉えるべきではないかと思います。よって、過去の遺物である考古物やそれに対しての科学的な調査を行う考古学に対して、現代の労働者階級が語る「支配と被支配の物語」を当てはめ、そこに「歴史学を国民のものに」というスローガンを掲げ社会的運動と連鎖させようとするのは、そこに語られる抑圧に対する復讐の連鎖を社会に生み出しかねない危うさもはらんでいるのではないかと思いました。



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