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スピリチュアルに染まるのが私ではなく、個性を探ったらスピリチュアルが好きだったのが私

考え方が好きで、YouTubeの投稿を追ったり、本を読んだりしている、尊敬するスピリチュアルな発信をしている方がいる。
その方が仰ることはとても素敵な発想で、自分もそういう考え方をしたいと思うのだが、どうしてもできないことがあった。

どうしてできないのだろう、と思っていたが、あるきっかけで潜在意識について学ぶ機会があった。
潜在意識の知識も混ぜて考えていたら、もしかしてこれかなと思う原因に気づいた。

スピリチュアル的な考え方は好きで、今までガチガチにルールで縛って生きてきた私を変えてくれた考え方なので、むしろ取り入れたいと思っている。
でも、「親子関係」についてのポジティブな捉え方がどうしても私にはできない。

暫く何故だろう、と考えていたが、原因は案外シンプルなのかもしれない。
その発信をされている方の潜在意識には、「親とのどうしようもないドロドロとした記憶」が無いのだろう。
有ると無いとでは大きな違いだと思う。
私の場合、親子関係だけが原因ではなかったが、精神疾患を引き起こす程の記憶の有無は、考え方を作る上での障害物の有無にもなるのではないだろうか。
精神疾患まで行かなくてもいいが、憎らしい程の人間関係や、トラウマレベルの体験の有無は、考え方の組み立て方に影響すると思う。
あまりにもその記憶が濃い人は、カウンセリングなどの医療が必要になるのかもしれない。

でも、記憶があるからといって、スピリチュアル的な考え方を否定しようとは思わない。
ただ、私がスピリチュアル的な考え方に寄るうえで、健康な人よりは障害があることには違いない。

それに、スピリチュアルの考え方全てが自分にとって受け入れられるとは限らないし、取り入れるところと取り入れないところがあってもいいと思う。

大事なのは個の考え方で、どれを取るも取らぬも、その個の性質でいいと思う。
スピリチュアルを通して私が学んだことは、スピリチュアルに染まりきることではなく、個性を出すとスピリチュアルの考え方(特に最近は波動の考え方)に寄るのが私なんだな、ということだし。

あくまで私は私なのだ。

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