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「ないものねだり」の天秤

人生に正解はない。
でも何となく有名になっていたり、活躍している、引っ張りだこの人を見ると、
こうやると売れる・成功する…そんなイメージが付いていると私は思う。
私自身、それに揺さぶられていることもあるから。

でもそれはあくまでも一選択肢であって、正解はないなかで、それぞれの形が正解として表現しているものにしかすぎない。

それでもそもそも選択肢があることは奇跡的だし良いことである、と今の私は感じている。

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一月に腫瘍があることが分かった。
そして切除の方法は2つあると言われた。
「ここの病院では一つの方法でしかできないので、他の先生にも話を聞いてみてください」とのこと。

つまりはセカンドオピニオンだ。
そう言われる前から、知り合いの先生にはこの状況を話しており、病理検査での結果を待って判断しようと言われていたので、この結果を持って病院に行った。

「うーん…これは手術一択だと思うのだけど…」

もう一人の先生もやってきて、二人でエコーをあてながら、うーん…と考えてくださった。
おそらくという結論はいただきつつ、さらに専門医を紹介していただいてまた別の大学病院へ行くことになった。

普段クリニックにしか行かないので、大きな病院はやはり気持ちが堪える。

診察や検査を踏まえて出た結論は「手術しかありません」だった。
それでも色々な話や相談に丁寧に答えてくださってありがたかった。

専門の先生が出した結論なのであれば致し方ないと思う一方で、
この結果を色々な人に話すとみんな口を揃えて「あら…」と言われた。

「あら…」の後に続く言葉はそれぞれ定かではない。
全てに「致し方ないですよ〜」と言って返すものの、何だか息苦しさを覚えた。

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普段の生活でつい「普通」「当たり前」の価値を忘れてしまう。

多くの人が日々何かしらを選んで生きている。
選ぶことは比較的簡単にできる時代である。
選択肢がありすぎて決められないと息苦しさを感じるかもしれない。
選択肢がなくなれば意外に覚悟が決まって、スッと腹落ちする感覚もある。
それでも「ない」よりは「ある」方が良いというのが今の私の中での結論だ。

色々考えると「ないものねだり」の天秤でゆらゆらと揺れていることに気づく。

好きな曲の一つにまさしく同じタイトルの曲がある。

なぜ人は誰も目の前にあるこの幸せで今日を生きられないの
もう十分でしょう 私ないものねだりしたくない
何かを失うのであればそこまで欲しいものは一つもない
いま持っているすべてが私のすべてでいい

彼女の卒業に際するソロ曲であるが、歌詞の一部にこんな歌詞がある。
卒業の衝撃は今でも鮮明に記憶しているが、そんな彼女の歌詞には何だか納得させられる。

私の今回の話も、ある意味大したことはない事例の一つにしかすぎない。
それこそもっと大変な状況で選択肢は一つだけと余儀なくされている人もいる。

選択肢がたくさんありすぎて悩むよりも、まずはこの目の前の状況に感謝して一つひとつゆっくりでもチャレンジしてみよう。

ありがとうございます。今の私はたくさんの人生の先輩方にお世話になったからこそだと感じています。いただいたサポートでは、後輩が迷った時に話を聞く際のカフェ代に恩送りさせていただきます。