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モテる人生を送ってきました。

太宰治の書き出しみたいな

恥の多い生涯を送って来ました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。

太宰治『人間失格』

が、大した内容を書くつもりもなく、次に書きたい記事のために書いている(プロローグのような)。重い話ばかりだと息が詰まるので、しょうもない話を書きたい。オチもない。


モテ=顔でもない

私は、顔のわりにモテてきた人生だと思う。

顔のわりに、というのは謙遜ではない。
学生時代は美人な同級生から「中途半端な顔だから、不細工な男にもイケると思われるんだよ」と言われたり(失礼がすぎる。不細工な男性に謝れ)、仲の良い友人からは「お前は特徴のない顔をしている」とモブキャラ認定されたこともある。どうも、モブ13号です。
実際に、自分でもそういう顔をしていると思う。どこにでもいそうなキャラクターだ。

すごくモテた24歳

1番モテた時期は24歳だった。当時はモラハラ気味の彼氏と別れた直後だった。

3年付き合ったモラハラ気味の彼氏は、会うたびに「なんで、今日はマスカラしてないん?」「前髪がうねってるで」「今日、顔が浮腫んでない?」とか言ってくる口うるさい男だった。指摘されると面倒くさいので、彼とデートする時は直前にメイクを全部落として1から化粧を直して会ってたりした。無駄に、梅田と難波のメイク直しスポットを熟知することになった。

おかげで当時外見を褒められることは多かった。元彼よ、ありがとう。おかげで次に飛び立てたぜ☆フライアウェイ

自由になった私は、1人の人を探すべくデートを重ねた。よくモテたので、いたるところに出会いがあった。
20代で結婚と出産をしたいと思っていた24歳の私は、誕生日前夜に1人、当日に4人、翌日に1人の計6人とのデートスケジュールを組み、そのうち1人と付き合って結婚しようと考えていた。それだけ吟味したのに、その後セックスレスに悩まされるとは計算外はなはだしい。

今も彼のことは好きなのだが、反省するとすれば、恋愛と結婚相手は切り離して選ぶべきだったと思う。が、当時に戻っても同じ愚行を繰り返すと思うので、あまり後悔もしていない。早く別れろ、というぐらいか。

あと同時並行は3人が限界だ。6人もいると、誰に何を話したか分からなくなる。

いいこともあれば、悪いこともある

モテて良いよねーと言われたことがあるが、いいことばかりでもない。

例えば、ある1日…

  • 朝の駅ホームで「待って!初恋の人に似てて」とおじさんに追いかけられて名刺を渡され

  • 電車から降りたあと女性に「あなた」と声をかけられてスカートを見たら、精液がべっとり付けられていたり

  • 執着してくる痴漢野郎がおり(今でも御堂筋線に1人で乗る時は動悸がする)

  • 飲み物を買ったコンビニの店員さんからメールアドレスを渡され

  • 昼休みの喫茶店で、サラリーマンからナンパされ

  • 会社の前で「いつも見てました。1度お茶でも」と声をかけられたり

そんなことが朝から昼の半日で起きたりした。
同僚に「なんかフェロモンでも出てるんちゃうか?」と言われてたりした。ついでに上司に階段で追い詰められて壁ドンされてチューされた。さすがに、何でやねん…と悩んだ。取引先の社長から「俺の用意するマンションに住む気ない?」と言われたこともあった(冗談めかした感じではあったが)。

そういうことが度々重なって「なんで普通にしてるだけやのに放っといてくれないん」と泣いてたりした。うぶだったなー

モテていいことばかりでもない。

で、何でまだ結婚してないん?

いや、いろいろあったのよ。
同時に興味もある。適齢期にモテた女が、なぜ結婚しなかったか。

結婚する努力

24歳で選んだ恋人は結婚に踏み切るのが遅く、30歳手前でようやく結婚する運びとなった。その後、入籍直前に色々あって別れたわけだが、気がつけば29歳。

「人生後悔しないよう生きる」がモットーな私は、20代という貴重なカードを有効に使うべくIBJに登録して婚活を開始。我ながら生きるエネルギーに溢れている。

活動期間は2、3ヶ月程度だったが、まだ若いだけあって、30代前半・年収800万以上・清潔な外見としっかりコミュニケーションできる男性と幾人かマッチして食事を重ねた。が、本交際になるとすぐ結婚の文字がみえて「え、私って、そこまで結婚したいんやっけ」と、スピーディーに結婚することが怖くなってしまい、IBJを退会した。もったいない

ついでに、そのあいだ知り合った台湾人やシンガポール人男性とデートしたりもした。彼らもジェントルマンだったのだが、熱量や宗教の違いもあって、お断りした。

そして「やっぱり仕事だー!」と恋愛を捨てて、東京転勤に手を挙げた。友人たちから「インドに行くような感じで、東京に行ったな」と言われた。当たり前だが、インドで自分を探しても自分はいないように、東京に新しい自分はいない。

30代に突入して

東京転勤と同時期にコロナ禍に。
仕事も上手くいかなかった。「並程度に仕事がこなせる」と思っていた私は、エリートな(というか優秀すぎる)人たちに囲まれて毎日職場で撃沈していた。RPGでいえば、草原でイキった状態でラスボス戦に連れて行かれたみたいな。毎日一撃で倒されていた。優しく優秀な上司や同僚のポーションでなんとか息継ぎをして、関西に帰ってきた。死ぬかと思ったぜ

東京でできた恋人とは、遠距離になって別れた。

気がつけば30代半ば。
そこでもう出産とか結婚なんてしなくてよくない? という境地に達してしまった。20代の頃は「今は楽しくても、30代は一緒に遊べる人もいなくなって寂しいよ」と脅されて結婚と出産に焦っていたが、30代になっても一緒に遊べる人はいくらでもいた。むしろ友人が増えた。

30代になっても、(アプリとか合コンせずとも(?)という表現が適切か分からないが)友人が多い分だけ職場以外の知り合いで2人で遊びに行こうと声をかけてくれる男性は年下、年上に関係なくいる。バツイチ男性の増加が、30代の生々しいところだけど。
『恋人を作ろうと思ったら、いつでも作れる』という余裕のなくなる時が来年か、はたまた5年後か、という恐怖はある。ということで、結婚したかった女は余裕をぶっこいて開き直って生きている。

占い師に「あなたは老人ホームでも彼氏を作れるタイプ。一生恋愛できるから、結婚しない方がいい」と言われた。アグレッシブ婆ちゃんになってしまうのか。ということで、次回占いに課金しまくった話をしたい(壮大なプロローグやった)。

太宰治風に言うなら、
 モテの多い生涯を送って来ました。
>自分には、人間の 結婚生活というものが、見当つかないのです。
という感じだろうか(呆)。

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