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プロクラブに恋して③

寄りかかるように、松葉色の扉に身体を当てて押し込む。もれてくる薄闇と珈琲の香り。

カフェ"CORRIENTE"に通うようになって久しい。コルク色を基調とした調度品と穏やかなBGM。窓から差し入る光の角度。無表情で白髪の店主。凜とした(おそらく)夫人。笑顔の絶えない給仕の(ちょっと胸の大きい)女の子。このカフェを構成する全てが心地よくて、長居をしてしまうのが常だった。久しぶりに文庫本片手に訪れたのだけど思いのほか混み合っていた。僕の定位置(ゆったりソファーの一人席)は奪われていた。やむなく小窓に面して配された横並びのカウンターに小さく座る。いつも通りキリマンジャロを注文。文庫本を取り出して、ブックカバーの手触りと栞の角度から物語の続きを思い出す。そうして僕の時間がはじまる。置かれたオールドノリタケの白磁も、縁取りの金彩も、いつしか僕の一部となって香りと共にまどろんでいく。

「失礼します」斜め後ろからの声に振り返ると、黒髪の女性が僕の横の椅子を引いている。「お隣、失礼します」混み合っている店内、空いているのはカウンターの僕の横だけだった。「どうぞ」反射的に答えて、形だけ椅子をずらして意志を示す。会釈を投げて、彼女は蝶が羽を畳むように静かに席に止まった。音も立てず柔らかな物腰。黒髪からのぞく横顔が美しい。

注文を済ますと、彼女は馬車柄のハンドバックからタブレットを取り出してカウンターに置いた。長い黒髪を分けてイヤホンを耳に挿し入れる。細長い指で液晶をなぞってYouTubeを起動。この美女は一体どんな動画を見るのだろう。僕は何となく気になって、目だけ動かして彼女のタブレットをのぞき見た。




今週のチンピク。

「FIFAじゃん」思わず声を上げた。彼女はイヤホンを外して怪訝な顔でこちらを向いた。

慌てて手を左右に。「いや、あの、自分もFIFAが好きで。面白そうな動画を見ていたのでつい」正直に伝えると、彼女は嬉しそうに笑った。「ここのチャンネル楽しいんです。よかったら見てください」

カフェで隣り合った女性がまさかのFIFA好き。

こうして僕たちは、コーヒーを飲みながら、動画を見て幸せなひと時を過ごした。これが漆黒のファンタジスタ”黒蝶”モカリッチとの出会いだった。