本音で話すってなんだ?

「本音で話してほしい」と言われた。
私は本音で話しているつもりだった。正確に言うと、本音の一部はしっかり話している。
本音と言うのは一つではないし、矛盾しているものもあると思う。例えば、恋人が夢に向かって頑張っている時。本音は、めちゃめちゃ頑張ってほしい。夢に向かって行動しているのかっこいい。頑張れよ!!!これは本音。そして、恋人が忙しくなるにつれて、会う頻度が以前より圧倒的に減ってめちゃめちゃ悲しい。ほぼ毎日していた夜の電話も生活リズムが合わなくなって殆どしなくなった。悲しい。手を繋いで歩いているカップルを見て泣きそうになる。私もただ手繋いでゆっくり散歩したいだけなのに、いつできるの?色々考え過ぎて、そもそも私のどこが好きなの?私自身ではなく、周りの環境ありきで好きなのでは?とかいうクソダル思考にまでたどり着き、夜中に2時間くらい泣くこともしばしばある。朝は泣きすぎて涙で肌がパキパキになっている。どうせ涙で流れるなら目の周りは美容液塗らなくてよかったよなあ。そのような負の感情、悲しい、もっと構ってほしい、と言うのもまた本音である。

この二つの感情は私の中に本音としてある。
しかし、悲しいという負の本音を夢に向かっている相手に伝えたとして、なんのメリットもない。相手に負担をかけるだけである。マリオカートだったらバナナの皮であり、赤キノコな訳が無い。完全に足を引っ張る行為である。ゴールに向かって走っている相手にそのようなことは絶対したくない。赤キノコでありたい。本音を伝えることをメリットデメリットで考えることはそもそも違うかもしれないけれど、夢に向かって頑張っている相手に対して、負の本音を伝える必要性を全く感じない。

例えば、恋人に負の本音を伝えたとして、恋人が「悲しい思いさせてごめん、夢に向かって進んでたけど、全部諦めてずっと側にいるよ!」なんて言い出したら、罪悪感で死んでしまうかもしれないし、死んだ後も成仏できないと思う。

今まで書いたような考えがあるから、私はポジティブな本音を相手に伝えている。
しかし、相手は私に負の本音があることを気づいているらしく、「本音で話してほしい。」と言われたのである。
これは、負の本音を隠しきれない私の落ち度なのか。それとも全てを壊す覚悟で負の感情を伝えるべきなのか。



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