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映画『関心領域』を観ました

※この記事には映画『関心領域』のネタバレが含まれます。予めご了承ください。

これは、アウシュビッツ収容所の隣で暮らす家族の話。
そんな家族の一番の揉め事は「父親の異動に伴って家族も引っ越すか否か」。
「いや、そんなわけねぇだろ。もっと大変なこと起きてるだろ……隣で……」と言いたくなる映画、『関心領域』。
2024/06/01に観てきました。

眠たくなる程淡々としていて、それが異常で恐ろしい映画

まず初めに言っておくと、非常に申し訳ないのですが、当日寝不足なのもあり、映画を観ながら何度かうとうとしました。朝イチで映画を観るのに、前日に金ロー→転スラまで視聴した私がアホです。
これについては「嘘だろ?これを観ながら眠たくなるの?壁の向こうに収容所があって、そこでずっと人が殺されているのに?」と自分を疑いました。

そう、この映画ではずっと恐ろしいことが起きているのです。
全体的に淡々とした映画で、収容所で起きていることが直接目に入らないだけで、それと繋がる出来事はいくつも描かれているのに。その描写と、自分が元々持っている知識で、何が起きているのか知っているのに、眠くなるなんてあり得るのか?
でも、映画を観ながら眠たくなったのは紛れもない事実なので否定はしません。私は『関心領域』を観ながら寝そうになったのです。
あの内容で退屈に感じてしまうという異常さ。それが、本作の恐ろしさの肝でしょう。それは制作陣も意図したものだと思われます(色々な感想を見るに)。
そして、そこから生まれる問いは、また新しい恐怖に繋がります。

「何でこんなことができるのか?」「自分はそうしない、と本当に言えるのか?」という問い

この映画は、6〜7割はルドルフ・ヘスとその家族の、何の変哲もない、というか戦中にしては結構豊かじゃない?って思うくらいの日常生活シーンで構成されています。
家族で川(湖かも?)で遊んだり、パパの誕生日にサプライズしたり、パーティーをしたり……。
平和です。実にいい生活をしています。
でも、その日常の中にも「え?」「ん?」となるものがかなり入り込んでおり、それに気付くと、その豊かな日常に「おかしいだろ……」と言いたくなります。
何で平気でコート着てんだ、口紅使ってんだ。何でそんな話題で談笑できるんだ。何で普通に暮らしてるんだ。何でそんなことができるんだ。壁の向こうで人が沢山殺されているんだぞ。ずっと、収容所が稼働している低い音が聞こえているじゃないか。
そんなことを思いながら観ていたのに、先程述べたように、中盤辺りに私は眠くなったのです。
背景には、低く静かで重い音がずっと響いてる。その音が何なのか分かっているのに、徐々に慣れていって、終いには眠くなる。

そんな経験をしてしまっては、自分の倫理観や良心すら疑わしく思えてしまいます。

「何でそんなことができるんだ」と思うような行為を、自分は本当にしないでいられるのか?
「そんなこと」が日常に入り込んできた時、自分は抗えるのか?
自分や自分の家族、友人がいい暮らしをできていれば、自分はそれで満足して、あらゆることから目を背けることができてしまうんじゃないのか?
「そんなことはしない」なんて、本当に言い切れるのか?

映画鑑賞後、暫くそんな恐ろしい問いが脳内を巡っていました。
その問いに、私は今も答えを出すことができていません。
もしかしたら、一生答えが出ない(出せない)問いなのかも知れません。
私は、私の良心をずっと疑って生きていくのかも知れません。

映画『関心領域』は、そんな問いかけを私に残した、恐ろしくも、大事な作品となりました。

今日はこの辺で。
ではまた。

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