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話すことは、シェアすること。心の荷物を下ろすこと。

2022年12月17日、初めてアーユルヴェーダのワークショップを開いた。

まだまだ、アーユルヴェーダの知識は乏しかった。
正直、五大元素も満足に理解してなかった。(風と空ってほぼ一緒ちゃうんって思ってた)

だけども、まーさん(ヨガスタジオのオーナー)が、やってよ!って言ってくれて集客をしてくれた。そして、遠方に住んでいる友人からも、オンラインで受けられたら受けたいです、と問い合わせをいただいて、お伝えする機会を整えてもらった。

ワークショップ冒頭、「なぜ私がアーユルヴェーダを伝えるのか」、お話させてもらった。
知識なんてまだまだ足りてないと自覚していた私がこのワークショップで伝えたかったことは、主にそれだったから。私がどんな経験をして、アーユルヴェーダとの出会いでどう変わっているか。
15歳で鬱を発症したこと。それから度々鬱状態を繰り返していたこと。
自分の健康を考えるときに、何かを変えたい、食事か?と思って色々調べているうちにアーユルヴェーダに辿り着いたこと。

「15歳の時に鬱になって、」
と話す私の目は潤んでいたし、声は震えていたと思う。
初めてお会いする方もいた。ネット上ではちょくちょくと、自分の過去を話し始めていたけれど、面と向かって人に自分のことを話すのはとても緊張した。

先日、ひとひさんでのヨガとアーユルヴェーダのワークショップがあった。
第一回を終えて、アンケートを読ませていただき、たくさんのリクエストをいただいて、連続講座にさせていただくことにした。単発のワークショップよりも学びに深みが出てくるので、正直、やっている方もとってもとっても楽しい。(単発参加もできますが)
この連続講座ができてきたら、また、オンラインでもお伝えしてみたいなぁとも思っている。

話はそれたけど、今ワークショップやヨガクラス、インドの通訳などで初めましての方にお会いする機会が増えていて、
ひとひさんのワークショップでのお話も、「私も鬱病だったんですけど」っていうお話をしたりしたんだけど、

前のように、「う〝ぅうぅっっ」と振り絞るように苦しみながら自分の話をするような感覚はもうない、と気づいた。

とても軽く、話すことができるようになった。

自分の経験を話す度に、心が軽くなっていくのを感じていた。

なぜそんなにも自分のことを話すのを恐れていたのか、考えてみると
「鬱」という枠にはめられてジャッジされる恐怖、だったのかなぁと思う。

だけど誰よりも、鬱という枠で自分をジャッジしていたのは私なのだ。
鬱になるような、弱い人間だと思われたくない。
鬱だと知られることが、恥ずかしい。
きっとそんな思いがあった。

今は、鬱だった自分も含めて認めることができる。
「鬱」は自分のただほんの側面に過ぎなくて、「鬱」=私じゃない、と心から理解している。
それに、鬱に苦しんでいた私も自分の大切な一部だと思える。

もう、鬱は完治しました!とは言えなくて、
これから妊娠、出産、閉経、更年期、など大きなホルモンの変化を経験する時にはまた落ち込む時期もあるかもしれない。
(この前のアヌジのオンライン講座を聞いて、私が最近落ち着いているのはもちろん私自身の変化や生活の変化も大きいけど、10代、20代よりホルモンも整ってきたのかなぁと気づいた。)

だけどそれはみんな同じ。そしてそんな時にも、その落ち込みや不安定さは心やホルモンの作用であり、自分の弱さが原因ではないし、色々と整えていく方法があるということを知っている。
から、きっと、大丈夫。

鬱の時、誰にも言えなかった時、自分は一人だと思っていたけど、
話してみると、みんなそれぞれにいろんな経験をしていて、私のことを馬鹿にする人は誰もいなかった。

みんな、色々乗り越えて生きているよね。
話すことで、シェアすることができる。同じように苦しんでいる人の光になることができる、そして何よりも、自分の心の荷物を下ろしていくことができる。

全部下ろしてしまって、軽く、軽く、生きていけばいいと思う。

Inspired by ともちゃん、なお話。

いつも素直にいろんなことをお話ししてくれて、ありがとう。

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