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人生の最後について「だからもう、眠らせてほしい」を読んで考えたこと

 西智弘先生のツイッターがタイムラインに時々流れてきて、吸い寄せられるようにその文章を追っていたのは義母の終末期に接していたからだろうか。

 『だから、もう眠らせてほしい』この本に登場する患者さんはいずれも癌を患っており、この場合の安楽死や鎮静の話とは少しずれるのだが、感想文を書くにあたり、どうしても自分の事と重ねて考えてしまう。

 持病をいくつも抱えていた義母はかねてから、「延命治療は受けない」と家族に伝えていた。その言葉が差すことの意味をちゃんと理解しないままに、いつの間にか終末期を迎えていたのだと思う。
 通院中も入院してからも、主治医に何度か確認された。その都度意思を伝えてはいたが、いざ呼吸や心臓の動きが止まりそうになった時の、人工呼吸器の使用や心臓マッサージなどの救命行為はしないということが共通認識となっていただけだった。その前の段階のことを、それを迎えるまでは想像できていなかった自分が残念でならない。

 終末期をどう過ごすのか。そもそも終末期であるという判断はどのタイミングなのか。その辺りを納得いくように勉強や話し合いをしておけば良かった。

 義母はいつの間にか、もうこの状態からは良くならない、ただ点滴と胃管で命を繋いでいるだけの状態になっていた。
 意識はあるけれど会話はほとんどできず、身体はむくみ、尿も出辛くなってきたタイミングで、家族から主治医に積極的な治療の中止をお願いした。このことはもちろん、家族の意向だけで決めるべきではなく、本人にも説明をして本人の意向を最優先するということもお願いした。

 先生は私たちの要求を理解してくれた上で、「あと数日今の治療を続けさせてください。それから判断しても良いですか」とおっしゃった。「今の状態は、本人にとってはそんなに痛かったり苦しいものではないと思いますよ」とも。

 それを聞いて私たちは少し安堵し、先生にお任せすることにした。
 お話の後病室を訪ねた時は、とても気持ちよさそうにスースーと寝息を立てて眠っている様子も確認でき、思ったより楽そうにも見えた。

 今思えば、先生のこの提案は私たちを(少なくとも私自身を)助けてくれることになった。

 その話をした次の日に義母を見送ることになってしまったのだ。こんなに早く最期が訪れるとは思ってもみなかった。

 葬儀や色々な手続きが済んで落ち着いてきた頃から、こんなことを考えるようになった。
 私たちが先生にお願いしたことを、果たして義母は望んでいたのだろうか?延命は望まないと言ってはいたが、最後まで治療を諦めるつもりはなかったのではないか?一分一秒でも長く生きていたいと思ってはいなかったか?
 もし、私たちの要望と義母本人の望みが違っていたとしたら、家族から死を早めることになる提案がされたと知ったらどんな気持ちになっていたか。そしてそれが実行されれば、家族の判断で命を縮めることになる。

 実際、そのことを本人に伝える前に息を引き取った事で、私は後悔せずに済んだ。
 先生の、あと数日判断を待ってくださいという提案に助けられた。

しかし、ネット上の情報ではあるが、終末期の点滴や胃管は患者を苦しめているという人もいて、思考は堂々巡り。モヤモヤとした気持ちでいた。

そんな時本書に出会い、何か答えやヒントになるものがあるかもしれないという期待も持ちながら読むことになった。

 そういう点では、Y君や吉田ユカさんがしっかりと自分の病気や生き方についてよく考えて、家族ともその想いを共有できているということが素晴らしいと思った。
 そうすることがいいとは思っていても、なかなか実現するのは難しいと思う。普段の生活の中で、死を話題にすることはなんとなく憚れる。死は誰にも必ずあるものなのに、いつも遠いところにあって、無意識に遠ざけているのかもしれない。だからこそ意識して考え、家族とも恐れずに話し合えるようになりたい。
 そうすることで、いざ死が近づいてきた時、医療者に対して要望をしっかりと伝えることができる。西先生や及川さんのような、その想いに寄り添ってくれる医療者と出会うことができれば、ユカさんが最期に言ったように「この病棟に来られて、過ごせた時間は無駄ではなかった」「心を看てくれている」と感じられるのだろう。

 ある程度長生きをして、枯れるように老衰で死ぬことができたらそれが理想的だろう。しかし、命に関わるような病気に罹ったり、事故や災害で身体の自由がきかなくなるということは誰にでも起こりうる。その時に自殺を考えることもあって当然だ。

 私は今まで、安楽死というのは、最期のもの凄い苦しみからの救いとして、あるいはどこかの国の死刑の手段としてくらいのイメージしか持っていなかった。
 本書に出てきたように、自殺したい人の苦しみを話すチャンスとしての窓口になれるとしたら、日本にも安楽死制度ができてもいいのかもしれない。
 飛び降り自殺をしようとしている人が、最後まで携帯電話を握りしめているという事実は、ハッとさせられる。
 徹底した論議を経て作られる安楽死制度は、そんな人たちの希望になるのだろう。

  晩年病気を抱えていたら、最期は緩和ケアを受けながら尊厳死へと向かいたいと思った。それが在宅で受けられたら一番いい。苦しみながら命をながらえるだけは辛すぎるだろう。
 以前、看護師の友達から聞いた「病院はなかなか死なせてくれない」という言葉が印象に残っている。ユカさんの「日本には、安心して死ねる場所がない」と言う言葉と重なる。もっと尊厳死が当たり前になるように、同じような緩和ケアが全国で受けられるようになったらいい。
 

 安楽死や持続的な深い鎮静については、もう少し勉強をしていきたい。今私は、本書によってこの問題の入り口に立たせてもらった。
医療に関しては全くの素人なので、勉強して答えは出ないと思うけど、考え続けることが大事なのだろう。
 継続的に考えること、そして自分の考えを押し付けないことを忘れないでいたい。


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