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陰謀論に対して「まて」ができるかという話

最近、陰謀論者やそれらを信じる人達を目にする機会が結構ありました。
陰謀論って否定されても否定されても湧いてきますよね。
中には明らかにおかしいだろってのもありますが、広まってるからには信じてる人が相当数いるわけです。
じゃあ何故人は陰謀論を信じてしまうのか?
騙されてる人はホームラン級のOBAKAなのか?
騙されない人達はホームラン級に賢いのか?

残念ながら、騙される / 騙されないの間に決定的な「壁」はないと思います。
何故か。
ある陰謀論を「一顧だにする価値もない」と批判しつつ、別の陰謀論はナチュラルに信じてる人を見たからです。
しかも陰謀論にハマってる人と同じぐらいの頻度で。

なんでこんなことになっちゃうのか。
陰謀論Aを「証拠と称するものは悪質な捻じ曲げ」「論者の物言いはただの妄想」と論理的かつ冷静にズバズバ切ってる同じお口で陰謀論Bを「動かぬ証拠が出た!」「○○氏は陰謀と戦う正義の戦士!」と大絶賛しちゃうような現象が起こるのか。

答えはシンプルです。
「目の前の美味しい餌に飛びついちゃった」からです。
美味しい餌って?何が美味しいの?

例えば「自分の思想にとって美味しい」です。
物を考えたり意見を言ったりする人間は、多かれ少なかれ政治的スタンスというものを持っています。
勿論、中庸であろうとしている人も少なくありません。
しかし、やはり動かせない立ち位置というものはあります。私もそうです。
自分と異なる思想を持った政治家・知識人・インフルエンサー。
「物事は是々非々である。100%正しい思想など存在しない。
異なる思想でも傾聴し、中庸を目指すべきである」
…頭で分かってはいますが、やはり異なる思想を傾聴するのは感情的にあまりよろしくありません。また、異なる思想が優勢になってしまう状況も、簡単には受け入れられません。
悲しいかな、人間は論理と非論理を併せ持った生物です。
こういうことは珍しくありません。
そんなとき、ぽろっと目の前に何かが転がってきた。
「○○党の政治家のなにがしはどこぞのなんちゃらとズブズブ!」
「ネット論客として有名なあいつはナントカ党の手先だった!」
「間違った思想を広めてる工作員がえっくすに跳梁跋扈している!」

抗える人間は思いのほか少ないのではないかと思っています。残念ながら。

「何故間違った思想が蔓延っているのか、自分が言葉を尽くしても理解を得られないのか、所詮世の中の流れなど自分一人の言葉で変えられるものではないのか、このままでは日本も世界も滅んでしまうのではないか」
…そういう閉塞感や危機感、無力感を抱いているところに
陰謀論は ポンっと スルッと ごく自然に 入ってくるのです
そう、ごく自然にです。騙されているという実感なんてないです。
むしろ「主体的かつ論理的に選び取った」と思わせます。
「これ以上不快感を味わいたくない」という100パー感情論にも関わらず。

これが「美味しい餌に飛びついた」ってことです。

「美味しい」というのは決して誇張ではありません。
実際甘美で魅力的です。そして謂わば心の清涼剤です。

「○○ちゃんは間違ってないのよ。
ほらごらんなさい、間違った人達は皆後ろ暗いことがあったの!
あいつらの名声なんてみんなインチキだったのよ。
さあ、インチキを暴いて世界を正しく導きましょう!」

陰謀論は優しいママンのごとく語りかけてきます。
甘えてしまう彼彼女らを、意志薄弱と責めることができるでしょうか?
少なくとも、私は酷ではないか…と思います(主張を批判することは別として)

それでも、私は言わねばならないと思います。
「『出された餌に飛びつくな
こんなことは犬でも躾けられるぞ。
人間であるお前になぜできない?
『まて』を覚えろ

…えらっそうな口調で申し訳ないですが、自分のくっそよわよわな心にも向けているので。
あえて罵倒気味に言っています。

しつこいようですが、陰謀論は蜜の味です。
こんな記事を書いてる自分も既に飛びついて美味しいですモッシャー!してるかもしれません。
しかし、意識するとしないとではやはり心構えが違ってくるのではないか?そう思いたいです。

目の前になんかめちゃくちゃ都合の良い話が転がってきたら、まず「まて」をしましょう。
匂いを嗅ぎ、つんつんし、ぺろっこれは?してみましょう。
その上で、本当に安全な餌なら食べても良いと思います。
しかしまあ、そんな美味い話は9割無いので。
ネット簡単!月100万稼げる!あなただけに教える副業!みたいな話に対する距離感で接するのが良いのではないかと思う次第です。


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