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捨て時がやってきたのに
この間、世界がおもちゃ箱のようにひっくり返った。
当初は戸惑っていたけれど、やがて自分の持っているものを放出したくなってきた人たちは今、言葉や画像、映像で次々と自分の持っているものを披露している。
これが才能ってもんだよなあ。この期に及んで何も吐き出していない私は、やっぱりそういう才能なんてないんだろうな。ひっくり返った世界というおもちゃ箱が片付いてきたら、今放出している人たちはきっともっと強くなっているだろうな。
真っ白なテキストエディタの前に向かって私はこんなことを考えていた。
「自然に手を出してしまったもの」を「続けられる」ことであり、たとえせき止められたとしても出さずにいられなくなっていること、これが私の思う「才能」の定義だ。
私の「書く」チカラはこれらの定義から外れている。自然に手を出してしまったもののよいアイデアが出なくて続けられず、せき止められた今も同じ。
「こんな時でもコンクールの期日は迫ってますよ」
以前、それなりにやる気を持って加入した創作グループの先生からメールで連絡が来た。本来なら集まって話すところだが、今はそれもままならない。だがその連絡が誘い水になったのか、何人かがプロットを書いて送ってきた。
ノーアイデアなので何も送れない。気が引けてメールの返事すらしていない。
その時、部屋に突風が入り込んだ。
世間から求められているわけでもない。言うまでもなくお金になるレベルでもない。だから義務じゃない。書くのなんか辞めればいい。
おもちゃ箱がひっくり返ってしまったら、たいていの人はぶちまけられたおもちゃを箱の中に戻すだろう。そのついでに、長い間使ってないものは捨てる。そう、今は捨て時だ。
そうしてホイホイといらないと思ったものを捨てていった。たとえば資格試験の参考書とか。
さあ、これは?
白い画面に向かって意味のある言葉を書いていくこと、もういらないのでは?
3秒考えて、箱の中に戻した。
やがておもちゃ箱は整い、次の時代がやってくるだろう。そこに私はこれを抱えたまま進んでしまうことになる。重い。
片付けコンサルタントのこんまりさんは「ときめくかどうか」を捨てる基準にと言っているけど、ドロドロとした息苦しさがあるのに捨てられないものは、どうしたらいいのだろう。
捨てるチャンスなどいくらでもあるのに。
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