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冷房すらないロンドンに何故私は帰るのか

2019年の1月にロンドンに経って以来、日本に帰ってきていなかった。そのため、コロナが落ち着いてきたタイミングと私のビザが切れる時期が重なった9月に一時帰国をすることに。実に、1年8ヶ月ぶりの帰国だ。

関西空港に到着した私を、家族全員で愛知から迎えにやってきてくれた。新型コロナのせいで公共交通機関は使えない。帰国して2週間は外界との隔離となった。帰国の間は実家にお世話になる。私の同僚がある日、I feel like 2020 was robbed by Covid. (2020年はコロナに盗られた気がする。)と言ったのを思い出す。

帰宅までに眺めた車の窓からは、どこを切り取っても私の母国、日本の景色が見えた。太陽を反射した眩しい高いビル群を潜り抜けたと思ったら、白い雲がぷかぷかと浮かぶ広い青空に抜けて、三角屋根の間から田んぼが見えた時は、「いやー日本ですな」と声に出ていた。遠くに顔を覗かせるのは名前も知らない山々。高速道路沿いに並ぶ建物の看板に書かれた馴染みのある社名。何故だか分からないけど、割れた道路の隙間から生える、すっかり枯れてしまった草も、日本特有の景色のように思えた。

家に着くと、自分の部屋に新しい空調が取り付けられていた。今年の夏は記録的な猛暑だったらしい。確かにロンドンも今年の夏は暑い日が続いた気がする。日本の夏はムシムシしてるけど、どこにいっても空調がついているので困ることはない。

ロンドンで住む家には冷房が付いていないが、古い家が多いロンドンでは別に珍しくないと思う。冷房を使うことを誰も想定していなかった気候なんだろう。地下鉄やバスでさえも、冷房がないので汗をだらだらかきながら乗った記憶がある。台湾人の友達が持ち運び用の小さな扇風機をくれたときは、「いやいやこれ使うかな」と半分笑ったものだが、今は彼女に心底感謝している。もう絶対手放せない。なんなら首からぶら下げておきたい。家宝にする。そもそも、30度の猛暑の中、在宅で働かなくてはいけないのに家に冷房がないことが信じられない。仕方がないので服装で調整することになる。でも、調整と言ったって肌を出すしか方法がないのでタンクトップに短パンとなる。そのままミーティングには絶対出れない格好でいたのを覚えている。

海外生活も5年目になるが、今回はいつもの帰国とは勝手が違い、ロンドンに帰ることが決まっていた。ロンドンで勤めていた会社が就労ビザを出してくれることになったので、ワーホリとして滞在していた1年8ヶ月に終止符をうち、ビザの更新のために一時帰国、そしてロンドンに戻ってまた働くのだ。これまでの帰国は、1年で終了するワーホリ後であったため、帰国時は仕事先どころか、次に向かう国が決まってないなんてこともあった。ただ、日本に残るという選択肢だけは何故か無かった。『意地』と『勢い』だけで乗り越えてきたと言うしかない。

どの国から戻ってくる時も決まって、日本に帰りたい気持ちよりも、帰りたくないという気持ちが強かった。それは、ディズニーランドから帰宅するときに感じる名残惜しさや寂しさのようなものではなくて、夏休みを終えて学校に戻らなくては行けないときの感覚に似てる気がする。めんどくさい授業や校則が生徒の帰りを待っているように、日本で何か嫌なことが私を待ち受けてるような気がするのだ。

振り返ると、その感覚を生み出していた大きな原因は私の強がりだったと思う。同級生は大学卒業後に決まった就職先でしっかりと社会人をして、結婚を視野に入れて動いていた。一方私は、住所不定の売れない駆け出しライター…?自分でもハテナがたくさん浮かぶ。イタイし、若いし、ナイーブだ。それでも、やりたくないことを避け、やりたいことを追いかけて、将来のことを考えた結果だったので、自分ではどうしようもなかった。私はただ私を受け入れるしかないんだけど、周りがどこまでそんな私を受け入れてくれているか分からなくて、皆んなと『違う』何かを証明しようと足掻いていた。

でも、それがしんどくて、しんどくて。だって私、『超』がつくくらいの一般人です。だから、突っぱねるように日本の嫌なところを血眼になりながら見つけようとした時期もあった。

もちろん、今回も抜かりなく私は日本にあまり帰りたくなかった。友達のベッドの上で足をバタバタさせながら「帰りたくない!!」と叫んだのは記憶に新しい。帰国前にロンドンで、「帰りたくないなぁ」と彼女らに話していたときは、「もう全然みんなと話が合わなくて」とか「親が認めてくれないのが嫌で」といったことを理由にしていた。でも、帰国してからわかったのは、それらは『帰りたくない』の理由として過去に確かに存在していたのだけど、以前感じたより大きな理由ではなくなっていたことだ。

それは自分が『海外に住む』という目標を達成し、ざっくりとでも安定の道が見えたことで湧いてきた自信からなのか、周りの対応が変わったのか、はたまた両方なのかははっきりとはしない。でも、数年前に感じていたようなトゲトゲとした気持ちはだいぶ緩和されたように思った。

帰国のたびに会ってくれる友達がいる。中学、高校、大学とそれぞれに友達グループや定期的に会っている人がいて、帰国前に声をかけてみて集まる。私はこれを、『1ヶ月まるまる忘年会』と勝手に呼んでいる。帰国時は毎日が忘年会であり、同窓会だ。

「うわー、私の人生って本当に人に恵まれているわ。」と今回の帰国で友達に会うたびに何度も思った。帰るよと言ったら「待ってたよ」と返信をくれる人や、1時間以上の道のりをかけて会いにきてくれる人、2泊3日の予定を私のために全部組めちゃう人や、完全に酔い潰れた私を介抱してくれる人。(その節は大変お世話になりました。)うちの家族と一緒にご飯を食べても気まずくならない、幼なじみなど。前回会ってからだいぶ時間が経ってるはずなのに、「久しぶりー」と言いつつも、誰と会っても全然久しぶりな感じがしなかった。結婚、出産や家を建てることを経験していても、仕事でどんなポジションに付いていても、どこか違う星に住む人になったわけではなく、私の友達は私の友達のままだった。

帰国時には、これまで私がいなかったことでできた隙間を埋めていくように皆んなと話す。私は皆んなの結婚式に参列することが出来ないので、色んな人の結婚式の様子を聞くのが楽しい。余興でダダズベリした話を聞いたときは、その場にいなくて良かった、と正直に思った。(すまん)でも、大好きな人たちの大切な日を一緒に祝えないことは、何かを逃しているような感覚になる。みんなが楽しんでいた様子を見聞きするとちょっとだけ寂しい。自分で聞いたくせにな。

これまでずっと話せてなかった人と話したりもする。今回は、なんとなく疎遠になってた、いとこ家族の家に泊まりに行った。離れてた期間に起きたことだけではなく、これまで私が全く知らなかった彼らが抱える悩みや、潜り抜けてきた歴史を教えてくれた。親戚って近いようで遠い。これも私が物理的に離れてたから、一緒に悩んであげれなかったのかもしれないと思った。

そして、友達と会ってないときは基本的に実家で家族と過ごす。一緒に旅行したり、買い物に行くこともあるけど、家でご飯を一緒に食べて、話しながらだらだらとテレビを見る時間が安心する。お母さんは、私の食べたいものを優先的に食卓に並べ、運転免許が切れている私をどこでも連れていってくれる。お父さんはというと、リモートで実家から働く私に、自分が購入したガジェットを使わせたがる。なぜかまだ新品同様のBOSEのスピーカーもくれた。親にすごく甘やかされている。実家に帰っただけなのに、中学生か高校生の自分に戻った気分だった。

では、なぜ私はそんな天国みたいな日本をでて、冷房もついていないロンドンにしがみつこうとしていたのかと言うと、逆説的にはなるが『海外に住む選択をした私が間違ってる』と思いたくないので、帰りたくなかったと言ったほうが納得が行く気がする。

日本は便利で綺麗で安全で、何不自由なく生きれる。それに日本には、自分に無条件で愛情を注いでくれる人たちがいる。でも、私が日本にいないことで、会えない分だけお互いいつもどこか寂しい。当たり前だが、祖父も親も歳をとってきて、ずっと元気なままとは限らないし、次はいつ会えるかなって楽しみにしてくれてることも分かってる。いつも使うトイレのシンクは壊れたままなのに、私と妹が帰省するときにだけ使う部屋のエアコンは新調されていた。うちの親は自分の子供たちのことを一番に考えてくれているのも理解している。家族や友達と過ごす時間はいくらあっても足りない。こんなに恵まれているのに、どうしてもここを出ていきたいと感じる自分が間違ってると思う方が自然だ。

だからこの帰国中に、これだけ尽くしてくれる親の側にいてあげれないことや友達と一緒にいれないことに泣きそうになったり、実際に涙が止まらなくなったこともあった。家にいるのにホームシック、高校生ばりのセンチメンタル、実はオフレコにしたかった『誰にも話せない秋の夜2020』だ。

それでも、何故かロンドンに帰る選択肢は消えなかった。恵まれているからこそ、私のやりたいことは日本の外にあると強く感じた。もっと自分が成長できる場所に身を置かなくては。逆境に立ったときほど燃える、強い人になりたい。振り返ったときにイタイイタイ!!と頭を抱えてしまうくらい、ドラマチックな人生を後世に語り継ぎたい。

6週間の日本滞在は本当にあっという間だった。一瞬を大切に思うほど、時間は早く過ぎていく。関西空港に降り立ったときに感じた蒸し暑さをまだ思い出せる。すっかり寒くなってしまった10月の終わり。ロンドンに帰る便が飛ぶ関空に戻るために、名古屋から乗った新幹線から、気球が見えた。またどこかで誰かが夢を叶えている。皆んながそれぞれの夢を叶えていくように、私も私の夢を叶えていくだけなのだろう、と思った。

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ハルノ
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