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【小説】菜々子はきっと、宇宙人。(第4話)


「ちょっとお風呂セット家から取ってくるから、川の音聞きながら待ってて!」

そう言って菜々子はすぐ裏にある家へと消えていった。取り残された私はとりあえず、菜々子の言う通り、目の前にある川のほとりに腰掛けて、川のせせらぎに耳を澄ませた。

季節は、一般的に、もうすぐ秋がはじまろうとされている9月。けれどまだ、その気配は遠く、じりじりとした焼きつける太陽の光に反発するように、川の水たちはその光を吸収することなく反射させて、キラキラと湖面が輝いている。

腰掛けた川のほとりは、昼間の灼熱の暑さが緩和されていて、少しひんやりとした風の感触がひどく心地よく感じた。

目を閉じて、川の水の流れる音に耳を澄ませる。一定のリズムで、止まることなく川の水たちが、上流から下流へと流れていく。

こんな風にぼうっと何もすることなく、川の音に耳を傾けたのは果たしていつぶりなのだろうか。

よくよく聞いていると、一定のリズムの中に、時々パシャっと跳ねる魚たちの音や、飛んでいる虫たちの羽音、それを狙っているのかゲロゲロと鳴くカエルの声、ちょっと向こうのほうで釣りをしているおじさんが振りかざすシューっという竿の音、さまざまな音色が重なって、心地よいメロディーになっている。

そのメロディーによって、私の中で、絡みついてほどけなくなっていた糸たちが、少しずつ、少しずつほどかれていくような、不思議な感覚に陥る。

なぜ、こんなにも私はがんじがらめになって、いつのまにこんなにも身動きが取れなくなってしまっているのだろう。

足元に落ちていた小石を拾って、軽く川の方に向けて投げる。「ポチャン」と落ちる小石の音が、まるで、新しい打楽器のように、川のメロディーの一員になった。

「お待たせ!この川いいでしょ!気に入った?」

可愛らしいエスニック柄の、エコバッグを携えて菜々子が私の隣に座った。

「うん、ものすごく、心地よいね。」

「だよね、私はまだ見てないんだけど、夜にはホタルも飛ぶらしいよ。」

「えー、すごい!だってすごく川の水綺麗だもんね。」

「後ろみて!私この裏のアパートに住んでるんだけど、この間大家さんに相談したら、この川に面してるあの古民家見えるじゃん。そこ、空いてるらしくてさ、そこだったら、この川綺麗に見渡せるし、住むといいよ。職場からも近くなるしね!」

いつのまにか、菜々子の中で、私は彼女と一緒の職場で働いて、彼女の家の裏で住むことになっているらしい。
そういえば、今日、急に菜々子の職場にも案内されて、職場の人からも、来年の4月には求人の空きが出るからぜひ働いてほしいなどと、とんとん拍子で話が進んでいる。

「うん、ここで暮らすのも悪くないかも。。」

「でしょー。最後にさ、私のとっておきの場所に連れていくよ。言ってたお風呂セット持ってきた?」

「うん、持ってきた。」

「よし、行こう!」

そう言って、菜々子が住むアパートの前の車が停めてある場所に移動して、私のお風呂セットを座席にあるバッグから取り出すと、ほんとすぐだから歩いて行こうと、菜々子が標高約200メートルに位置する小さな温泉街の中の、年季の入った外観の、情緒あふれる小さな温泉に案内してくれた。

「この温泉ね、大衆浴場みたいなかんじなんだけど、この町に住むと、毎日100円で入れるんだよ!」

そう言って、菜々子は町民価格の100円と、私は一般客価格の350円を払い、だいぶ色褪せた朱色の暖簾をくぐって女湯の中に入った。
休日の夕方に差し掛かった時間帯だったからか、結構な人数の女性や子どもたちで脱衣所が賑わっている。

「ロッカー、ロッカー、、」と小言を呟きながら空いているロッカーを探したのだけれど、それなりに埋まっているし、空いていると思った場所もほとんどが鍵が壊れていた。やっと見つけた空きのロッカーに荷物を入れて、準備をしようとしていると


「そんな、ロッカー使わなくても、こっちの棚のカゴに入れとけば大丈夫だよ!じゃ、先に入ってるね!」

あっという間に素っ裸になった菜々子が、タオルで身体を隠すことなく、堂々たる足取りで、浴場の中に入っていく。

「大丈夫」って何が大丈夫なのだろう、普通に貴重品危ないと思うんだけどな、、、。と戸惑いながらも準備を終えて、しっかりと身体をタオルで隠しながら、菜々子のあとを追って浴場に入った。


「プハー、汗かいた後の温泉って最高だよね!」

とりあえず頭と身体を洗ってからお湯に浸かろうと、菜々子の横に座るや否や、彼女はすでに、頭と身体を洗い終えて、最後に顔を洗おうとしていた。

「洗顔私の使う?菜々子もってないみたいだし。」

「ありがとう!でもいらない!ここの固形の豆腐石鹸最高なんだよ!」

そう言って、顔に豆腐石鹸の泡をよく泡立たせもせずにゴシゴシと塗りたくって、5秒と経たないうちにジャーとシャワーで流し終わっていた。

「じゃ、お先に湯船つかってるね!」

そのスピード感に呆気にとられながらも、私は私のペースで、頭と身体を洗い流して、菜々子の後を追って、お湯に入った。

「え、めっちゃぬるいんだけど、びっくりした。」

「そうそう、この温泉はね、ぬる湯って言われてて、ぬるいからずっと浸かってられるでしょ?だから、温泉のいい部分身体がしっかりと吸収してくれてさ、すごく美肌になるんだよ。」

「なるほど。」

普段、熱いのが苦手な私は、サウナにはもってのほかで入れないし、温泉だって、熱いので入浴料がもったいないくらいにすぐに上がってしまう。けれど、このぬる湯だったら全然熱くないし、ゆっくりとリラックスできる。
よくよく周りを見渡すと、家族連れに混じって、おそらく、地元民ではないかと思われる高齢の女性たちが井戸端会議を開いていて、みんな揃ってお肌がツルツルしていた。

「この温泉気に入った?」

「うん、とても!」

「よかったー、絶対にはるをここに連れてきたかったんだよね!うれしい!」

「どうして私なの?」

「うん、わかんないや、けど絶対気にいると思ったから!」

「そっか。」

菜々子から連絡がきた約3ヶ月前、私は彼女に返信できずに無視してしまった。
けれど、菜々子はそんなことであきらめるような女じゃない。何度か電話がかかってきて、仕方なく私が出ると、2時間くらいかけて説得されて間はあいてしまったけれど今、私は貴重な休日を使ってここにいる。
とりあえず来るだけにしては、驚くほどに何もかもがきれいに整えられていて、私が「うん」と決意すれば、家だって、新しい仕事だって、ほっと一息つけるお風呂タイムだって用意されている。

「ねぇ、私がここに住みたいって言ったらどうする?」

「そりゃ、うれしいよ!だって友だちと一緒に暮らせて、しかも仕事も一緒だなんて、最高じゃん!」

「ともだち、、か。」

あんまり意識したことはなかったけれど、菜々子は、高校卒業以来の5年間、一度も連絡をしたことのなかった私のことをきちんと「友だち」として認識してくれているらしい。

誰も知らない土地に住むにしても、こうしてたった1人でも、友だちが自分のことを知ってくれているというのは心強いのかもしれない、と、いつのまにかここに住む自分の姿を想像してしまっている自分がいる。

ぬるっとした、いかにも美肌になりそうなお湯を両手に取って、顔全体にかける。

「私ね、嫌なことがあったときでも、1日の終わりにこの温泉にきて、ぼぅーっと何も考えずにお湯に浸かってるとさ、なんだかどうでもよくなってきて、元気出るんだよね笑」

「菜々子も嫌なこととかあるんだ笑」

「そりゃあ、いろいろあるよー。けどいつもここにきて、元気になって、おいしいご飯食べて、よく寝て、そしたらまた頑張ろって新しい1日がはじまるんだ!」

「そっか。よい生活だね。」

気がつくと、いつのまにかぬるいお湯の中で、私の心と身体が十分すぎるくらいに、ぽかぽかと温まっている。
それから、温泉の入り口に売ってある菜々子おすすめのフルーツミックス牛乳を2人で買って、飲みながら菜々子は私を駅に1時間かけて送ってくれた。

「今日はありがとう。」


「ううん、全然!また連絡まってるね!」


帰り道の電車に揺られながら思う。
「運命」と呼ばれる類のものが私はすごく苦手だ。
それなりに生きてきて、自分が「運命」だと思っていた選択に苦しめられた経験が何度かある。今だってそう。「運命」だと思って選んだ会社で働く中で、私は死にそうになっている。

けれど、今日、1年が365日もある中で、今日というたった1日の間で感じたこの感覚は一体何なのだろう。
一度も訪れたことのない見知らぬ川のほとりで感じた、今までの人生で味わったことのないあのときほぐれるような安堵感、見知らぬ小さな温泉の中でゆっくりとゆっくりとあたたまった身体と心の感触、そして、どこからともなく急に現れた菜々子というぶっ飛んではいるのだろうけれどどこか私の心を落ち着かせてくれる不思議な案内人、これを、私の苦手とする「運命」と定義づけたときに、その先に今まで味わったような苦しみの感覚があるのだろうかといささか疑問に思う。

世の中一般的に言われている「運命」というものが、こんなにもあたたかくて、心が穏やかになって、安堵の気持ちに満たされるようなものだとしたら、その「運命」に身を任せてみる選択に後悔はないのかもしれない。

結局のところ、菜々子から連絡がきたあの日、あの日から私の運命は決まっていたのだと、電車の中で意思を固くした私は、その日から1か月後、退職願いを会社に提出した。














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