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【小説】菜々子はきっと、宇宙人(第12話)
「えー、優也くん帰っちゃったの?今日まだいるかと思って、仕事終わりはるの家行こうと思ってたのに。」
「あー、ごめんごめん。今日の朝帰っちゃったわ。」
3人で晩御飯を食べた翌日、私は休みだったので、優也をいろんなところに連れて行って、そして今朝、優也が帰途に着くのを見送ってから私は仕事に出社した。
「えー、ほんと残念。ねね、連絡先は共有していいって確認してくれた?」
「それはしたした!いいって言ってたよ!あとで共有する。てか、菜々子もしかして今日化粧してる?」
「ありがとう!やだー気づいた?優也くんに会えるかもって思ってたから張り切っちゃった。」
普段全く化粧をしない菜々子は、化粧の経験が少ないのか、メイクが明らかに浮いている。アイシャドウは濃い水色で、唇はなんだか異様なくらいに真っ赤だ。
「菜々子は化粧しなくてもかわいいよ。この調子じゃずっと来てなかった生理も無事に来そうだね。」
「うん、なんか私の中で眠ってた女性本能が目覚めたってかんじがしてる。」
「それはよかった。何より。」
「あのね、優也くんが言ってたスティーヴィーワンダーのCD、図書館で借りたんだ!すごくいい曲がいっぱい!それにクラシックのCDもたくさん借りてさ、はまっちゃった。あれからずっと聴いてる!」
「そっか早速。よかったねぇ。」
「優也くんが言ってた好きな映画のDVDもまた今度TSUTAYAで借りようと思って!楽しみなんだ。報告しちゃお。」
「おうおう、えらく積極的だね。」
「こんな気持ちになったのはじめて!恋っていいね!」
想像をはるかに超えて、驚くほどに菜々子は恋に落ちていたらしい。好きな人の好きなものを好きになりたい。そんなどこかにありそうなラブソングの歌詞のように、恋に積極的な菜々子が可愛らしく思えた。
少しばかりこの猛烈なアタックを受ける優也が気の毒になったけれど、まぁよしとしよう。
それからというもの、菜々子は毎日のように、スティーヴィーワンダーやクラシック、そして優也とのLINEのやり取りを、まるで、会社の業務日報くらい事細かに報告してきた。そして、約1週間という月日が流れた。
「ねぇ、はるごはん食べた?」
ある日突然菜々子が夜に電話してきた。
「食べたけど、なんで?どうかした?」
「ううん、ちょっとさ見て欲しいものがあって。今からはるの家行ってもいい?」
「いいよ!私の家ごはんとかないけど大丈夫?」
「うん、大丈夫!そしたら今から行くね!ありがとう!」
家に何もなかったので、とりあえずこの間知り合いにもらった、ちょっといい紅茶を準備することにして菜々子を待った。5分足らずで菜々子が私の家に到着した。
「どうした?ん、なんか元気ない?」
いつもの菜々子のような元気がない。それに気のせいか、少しげっそりしているようにも見える。
「なんだか、最近食欲がなくてさ。今日もごはん食べれてないの。」
「え、菜々子が?一体どうしたの?大丈夫?」
私は慌てて、そういえば、紅茶をもらった知り合いに一緒にクッキーまでいただいていたことを思い出して、菜々子に紅茶と一緒に出した。
「なんかね、わからないの。優也くんにね、連絡取ってるんだけど、ほら、会えないでしょ?遠いし、なんだかね、寂しくて、心がキュッてなるの。心がキュッてなってね、お腹は減ってるんだろうけど、食べてもなんだか満たされないの。」
「なるほど。」
「優也に会いたい?」
「うん、会いたい。」
「そっか、菜々子、それきっと恋わずらいって言うんだよ。」
「恋わずらい?」
「そう、恋わずらい。すごく好きな人にね、想いが届かなかったり、会えなかったりしたときに、それが寂しくてしょうがなくなって、何でもないのにつらくなったり、苦しくなったりする病のこと。」
「えー、病かぁ、ちょっとそれはつらいなー。
はる、いい薬とか治療方法知らない?」
「うーん。」
そういえば、あの、過去の盲目的だったときの、恋の記憶を思い出す。どこにも行き場のない、逃げ場のない、息苦しい胸の痛みの感触を思い出して、私はそっと胸に手をあてた。
「うーん、こればかりはなかなか治療が難しいと思う。薬とかあるなら私も教えてほしいくらいだもん。」
「そっかぁ、どうしよう。」
「まぁ、手っ取り早いのは会いに行くことだけど、優也関西に住んでるし、九州から行くのは遠すぎるもんね。」
「そうなの。遠いのよ。」
「うーん、あとは時間を経て慣れるとかかなー。」
「そんなの無理!」
「そうだよね、、。あとはラブソング聴くとか!」
「ラブソング?」
「そう、ラブソング!恋の歌って沁みるよ。うーん、ほら、菜々子大黒摩季好きじゃん!らららとか、よく歌詞聞きながら聞いてみると心が落ち着くよ。切なくはなるけど。」
「えー、あんまり歌詞意識して聞いたことなかったな。ありがとう!聞いてみる。はぁ、何だかなぁ。」
「まぁそうなるよね。でも、今の菜々子かわいいよ相当。」
「え、ほんと?うれしい!」
「生理きた?」
「やだ、からかわないでよ。まだきてないよ。まだ男性ホルモンが優位みたい。」
「そっか、でもそのうち来そうだね。そういえば、さっき電話で見て欲しいものがあるって言ってたけど、なんかあったの?」
「あーすっかり忘れてた。えっとね、、。」
菜々子が飲んでいた紅茶のカップをテーブルの上において、持ってきていたエコバッグの中から、何やらA4より少し大きな、スケッチブックのようなものを取り出した。
「これさ、こないだ買った、曼荼羅の塗り絵の本なんだけど、、。」
「曼荼羅の塗り絵?」
「そうそう。曼荼羅って、なんかよくアジアのイメージの幾何学の絵あるじゃん?高校の頃、世界史の授業で出てきたやつ。それがね、色が塗られていない状態で、塗り絵するやつを見つけてこないだ買ったのよ。色鉛筆と一緒にね。」
なんだか、パラパラとめくったページの1枚1枚に、それぞれページごとに違った素敵な模様が描かれているのが見える。
「それでね、えーっと、、。あっ、あったあった!これこれ!」
白いページが並んでいた中から、菜々子が色を入れたページにたどり着いて指をさす。
「うわー、綺麗に塗ったね!菜々子、塗り絵の才能あるんじゃない?」
「えへへ。ねぇ、はる、これ見て何か感じない?」
「うーん。」
そのページには、主として、ピンク、水色、紫、肌色の色たちが、多くの面積を占めていた。
「なんだか、ちょっといやらしいっていうか、卑猥な感じがする。」
「やっぱり?気づいた?」
「どういうこと?」
「何かね、さっきも話したと思うんだけど、恋わずらいってやつ?ここ最近ほんとひどくて、、優也くんに会いたいのに会えないし、寂しいしもうどうしよーって思って、そんな気持ちを曼荼羅に込めて、色を塗ったの。そしたら何だかエロくなっちゃった。」
「はぁ、ムラムラしてたからなのか。こんなにエロく感じるのわ。」
「ムラムラ?あんまり意味わからないけどそうなの。たぶん。」
「ムラムラする」という感情を説明しようとしたけれど、うまいこと言葉が見つからない。とりあえず口に出すとさらに卑猥になりそうだったので説明することをあきらめる。すると、菜々子が曼荼羅に込めた意味を説明しはじめた。
「これね、たくさんある中から選んだのはね、ほら、この部分、子宮みたいじゃない?だからこの絵を選んだの。」
菜々子が指をさした先には、半分ピンクで半分肌色に塗られた、たしかに女性の子宮のような形をした模様が描かれている。
「それでね、こっちの丸い輪っかみたいなのが、女性器で、この棒みたいなところが男性器が勃起している状態ね。それでそこから出てる水色に塗った水滴みたいなやつが精液ね。射精をイメージしてるの。」
なんという卑猥な曼荼羅だろう。菜々子もよくこのページを見つけたものだ。なんだか、言われてみると、描かれた模様がもともと意図されて描かれているような気がしてきた。
「それでね、この黄色で塗った小さな丸は受精を意味してて、中にある模様はね、黒で付け足したの、精子。あとね、このヒラヒラしたカーテンみたいな紫の色のところは自分の欲求を意味しているんだ。全体的にピンク色で締めて、ラブホテルの空間をイメージしてるの。行ったことないけど。」
私は思わず言葉を失ってしまった。その絵の強烈なインパクトと込められた意味に。
それに、何だろうこの違和感は。まるで、中学生の頃の保健体育の授業を受けているかのような用語が並べられている。
「なんだか、すごいね。もはや芸術だよ。」
「え、そう?私性交渉とかしたことないからあくまでイメージだけどね。」
「なるほど。」
そういうことかと私は気づく。先程からの違和感は、菜々子がウブすぎるからなのだと合点が行った。おそらく菜々子は、性の経験もなければ、大人になる過程で身につけるいわゆる下ネタという、性をオブラートに包むような言語を兼ね備えていない。菜々子の性の知識は、中学生の保健体育の授業で習った事柄のまま、時が止まっているらしい。
そういえば、人は大人になる過程のどこで、俗にゆう下ネタみたいな知識を身につけていくのだろうか。ふと疑問に思う。
「はるは、性交渉したことある?」
「あるよ。」
私の場合は、周りの友だちから、ネットから、読んできたたくさんの小説などの書物からだったように思う。
きっと菜々子の周りには、そういった友だちもいなければ、ネットだって文明の功だからとか言ってあまり使っていないし、菜々子が読んでいる書物はいつだって図書館で借りてくる絵本だ。
「いいなぁ、ねぇ、好きな人と性交渉するってどんな気持ち?」
グサっと何か心に矢が突き刺さった気がして、食べかけていたクッキーをお皿の上に戻した。
そういえば、好きと自分が想う対象の誰かと私は性交渉をした経験がない。そんなことを想う。
私が好きだと想い続けた誰かは、いつも遠く、手に届かないところにいる存在だった。
遠くて、つらくて、悲しくて、その気持ちはどこにも行き場がなくて、もはや何もしたくなくなるくらいに虚無感に襲われて、けれど、目の前に立ちはだかる仕事や日々の生活という現実は嫌というほどに、嫌な形のまま自分の前から離れてはくれなかった。
「うーん、素敵で、なんだかあったかい気持ちだよ。」
私は咄嗟に嘘をつく。
「そっかぁ。」
言えなかった。恋わずらいと、その病に伏していたとして、目の前から消えない容赦ない現実から少しでも逃げ出したくて、一夜限りの関係や、身体だけの関係を複数人と続けて、わずかな時間だけでも、そこから解放されようと奮闘していたことなど、言えない。
そしてそのわずかな時間が過ぎ去ったあとは、その代償というべきか、驚くほどに、心がすり減ってしまっている感覚からまた、逃げ出したくて、解放されたくて、他の誰かと寝ることを繰り返しループしていだなんて、とてもじゃないけれど、言えない。
「いつか、菜々子も、素敵な初体験ができるといいね。ちゃんと菜々子のことを大切に想ってくれる人とさ。」
「そうだね〜。そうなってくれるといいな。」
きっと、菜々子にはこの先、必要ないのだと思う。根拠はないけれど、一夜限りの関係とか、身体だけの関係とかの意味を知って辞書に載せておく必要はない。そもそも説明しようとしたとして、どこから話せば伝わるのか検討もつかなかった。
「あー、なんかはるに話してだいぶスッキリしたわ。ありがとう!」
「あんまり感謝されるようなことしてないけどね。てか、この曼荼羅、素敵だから1枚写真撮ってもいい?」
「ちょっと恥ずかしいけど、いいよ!もしかして気に入ってくれたの?」
「うん、というかこれはもはや芸術だよ。」
「えー、うれしい!」
そう言って、その絵をしっかりと携帯のカメラに収めて、大黒摩季の「ららら」をyoutubeで再生して聞いた。そして、だいぶ夜もふけってきたので、そのあと私たちは解散した。
食べ終わったクッキーのお皿と、紅茶のカップを片付けて、歯を磨いて、布団に入る。電気を消して、アラームをセットしたあと、菜々子が描いた卑猥な曼荼羅の写真を暗闇の中で見つめた。
状況は違えど、届かない恋をわずらっていて、いわゆるムラムラしてしまっているという点において、菜々子と私は一緒の局面にいた。
そうだとするなら、その恋わずらいという病を治療しようと、好意のない相手とのセックスを選ぶ私と、曼荼羅に想いを込める菜々子の、この違いは一体何なのだろう。
私なんて、逆に虚しくて、悲しい気持ちに、結局のところ、蝕まれてしまうだけなのに。
携帯の画面を落として、私は目を閉じた。
そうしよう。また、つらくなったら、私も曼荼羅を描こう。芸術に耽ろう。一夜限りのセックスの代わりに。
そう考えたら、心の隙間が少しだけふさがった気がして、あたたかくなって、そのまま私は眠りについた。
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