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旅路の一つになれた喜びと感謝を

先日、ある方が「note深堀キャンペーン」と題して私のnoteを一番初めのものから全て読み切ってくださった。心に残った記事は都度Twitterでもシェアしてくださり、そのツイートを一つのツリーにして残してくれた。


読んでくださったのは、マルモリさん。


マルモリさんとは、とあるイベントで出会った。それから少しづつ、マルモリさんがnoteを読みに来てくれるようになった。そして先日、たくさんの時間とたくさんの精神力を使って完走してくれたnote深堀キャンペーン。終了後、マルモリさんはその記録を一つのnoteにまとめてくださった。

繰り返し繰り返し読んだ。こんなにも重いものを、最後まで向き合い続けて読んでくれた。目を反らしたくなった日もあっただろうに、泣きながらもしっかり読みきってくれた。

はるさんのnoteは、読む側が痛みを伴うものもあるけれど、その中には人として目を背けてはいけない大切なものがたくさん詰まっていた。
こころがポカポカするものには、人を想うことの大切さがたくさん詰まっていた。

明日も生きてみよう。そう思わせてくれる作品たちだった。

”明日も生きてみよう”

私が書いたものを読んで、そう思ってくれる人がいた。生きる力を伝えられるものが書けた。それが何より嬉しかった。


私は、”悲惨な経験をしたこと”じゃなく、”その経験から伝えられること”を書きたい。そう思いながら書いていても、いつの間にか過去の記憶に飲み込まれそうになることはある。そういう時は数日記事を寝かせて、もう一度推敲してから公開するようにしている。俯瞰して書ければ一番良いのだろう。でもそれで感情が薄っぺらくなるのは何か違うとも感じる。虐待体験を柔らかく書くことは難しい。柔らかく書く必要もないと思っている。痛みは伴う。その痛みと、そこから這い上がってきた経験。それこそが私の原動力だ。


マルモリさんはこうも綴っている。

noteを通すことでその人の歴史、性格、人生観が垣間見える。
noteは人が書いていることを改めて実感させられる。

noteには、書き手の人生が詰まっている。どんなジャンルのどんな記事であったとしても、その人の生きてきた軌跡や伝えたい想いが垣間見える。それが、noteだ。

一人の人のnoteを深堀して読む。その人の見てきた景色の片鱗を見る。そのなかで生まれる感情は、とても新鮮なものなのだろう。

私もいつかそんな旅がしたい。人の心の奥に触れる、文章の旅。

マルモリさんがnoteを深堀してくれた1週間。毎日シェアしてくれる記事の帯を見るたびに、幸せな気持ちになった。書いてきて良かった。心からそう思った。

想いを書き残すことで、大切な人との出会いに繋がる。noteというプラットフォームの一番の魅力は、そこにあるのかもしれない。


マルモリさん、本当にありがとうございました。

此処で書き始めてからというもの、たくさんの温かい出会いに恵まれています。それこそが、私にとって何よりもかけがえのない財産です。




最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。