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【おいしい約束】

誰かの言葉を支えに、夜を越えた経験がある。自力では這い上がれないほど深い沼に沈んだとき、自らSOSを出すのは勇気が必要だ。SOSは出せたほうがいい。私自身、何度もここでそう書いてきた。しかしいざ自分がその立場になってみると、なかなかどうして難しいものだ。

そんなとき、さりげなく手を差し伸べてくれる人がいたら。声をかけてくれる人がいたら。それだけで人は、迷子になった自身の感情を取り戻すことができるのかもしれない。

昨夜、【DRESS】にて新しい連載エッセイが公開された。

私が取った行動のすべてを、間違いじゃないとは言いきれない。でも、間違いだったとも言いきりたくない。長い目で見て間違いだったとしても、友人が言ってくれたように、「そのときの私にはそれが正解」だった。

心がぎゅうぎゅうに絞られ、息も絶え絶えだった夜。そっと隣に座るように、穏やかに声をかけてくれた友人がいた。そのおかげで、私は自分を嫌いにならずに済んだ。自分の行動のすべてを、否定せずに済んだ。

喜怒哀楽のうち、「怒」と「哀」はどうしても表に出しづらい。周囲の反応が気になるのはもちろんのこと、それらを表に出すのには多大なエネルギーを要する。泣きたいだけ泣く、もしくは怒りたいだけ怒るというのは、それだけでへとへとになってしまうほど大がかりな作業なのだ。しかし、そういうデトックス的な感情の発露を、人の心は定期的に欲する。少なくとも、私はそうだ。

何でもかんでも出せばいいってもんじゃない。時と場合、相手、場所は選んだほうがいい。だが、それさえも不可能なほど追いつめられ、堪えきれず悲鳴を漏らしてしまった人を、「感情的ですね」と切り捨てたくはない。人は誰しも感情を持ち、理性とそれの狭間で狂おしいほどダンスしている。ステップを踏み間違えた人を指さすのは容易いが、どうしてそうなったのかにもきちんと目を向けたい。

やさしい記憶と言葉だけを食べて生きられたなら、どんなにかしあわせだろう。でもそれは、生身の人間には不可能だ。生きる限り「後悔」は付きものだし、辛いことすべてから逃げるのも難しい。だからこそ、私はそのどちらも書いていきたい。闇夜にも星は降るし、太陽にも影はある。片側を毛嫌いするのではなく、私から見た景色を素直に文章にしたい。


後ろ指をさすのではなく、手のひらでそっと包む。あの夜、そんなふうに言葉を届けてくれた友人と、オムライスを食べる約束をした。だいすきな人と食べる、やさしいオムライスの味。とろけるような半熟卵と、ほかほかのケチャップライス。あの神々しいフォルムを前に、私たちは何を話すのだろう。おいしい未来に想いを馳せ、私は一人、パソコンの前で頬を緩めた。


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