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【アヒルと鴨のコインロッカー】 答えは風に吹かれている

本記事は、“言葉と戯れる読みものウェブ”「BadCats Weekly」にて掲載していた映画エッセイを転載したものです。
※本稿は、初出の記事に大幅に加筆・修正を加えております。

世界的なミュージシャンである、ボブ・ディラン。彼は「音楽の神さま」と言われている。彼の存在を知ったのは20代後半の頃、とある映画がきっかけであった。

伊坂幸太郎原作の小説を中村義洋監督が映画化した、「アヒルと鴨のコインロッカー」。濱田岳と瑛太がダブル主演を務める他、関めぐみ、松田龍平、大塚寧々ら実力派俳優がそれぞれ個性的なキャラクターを見事に演じている。

大学進学とともに仙台に引っ越してきた椎名(濱田岳)は、荷ほどきをしながらボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」を口ずさんでいた。その歌声に引き寄せられた隣人、河崎(瑛太)との出会いが、椎名の運命を大きく変える。
河崎は、不思議な空気感を持つ男性であった。出会ったばかりの椎名に、河崎は言った。

一緒に本屋を襲わないか。

河崎は「広辞苑がほしい」のだと訴えた。隣の隣に住むブータン人が、恋人を喪った悲しみから引きこもりになっている。彼を元気づけるために辞書をプレゼントしたい。そのために本屋を襲いたいのだ、と。椎名は当然の如く、「買ってプレゼントする方法」を提案した。しかし、河崎はあっさりそれを却下した。買ったものではなく、盗んだものでなければ意味がない。そう言いきる河崎に、椎名は戸惑いながらも惹かれていく。

普通に考えてみれば、どこまでも突拍子のない話である。しかし、気付けばすっかり河崎のペースに飲み込まれていた。椎名も、鑑賞者である私も。
過去と現在を行ったりきたりしながら、あちこちに散りばめられた伏線が回収される物語後半、圧倒的な哀しみが画面越しにあふれた。

河崎が本当に盗みたかったのは、広辞苑ではなかった。彼が取り戻したかったものは、空高く舞う鳥よりも、はるか遠くにいってしまった。大切なものを奪われたとき、それを取り戻したいと願うのは人の性であろう。しかし、この世には決して取り戻せないものがある。一度壊れてしまったら、二度と元通りにはならない。そういう類の喪失を味わったとき、悲しみが怒りに置き換わるまでに、さして時間はかからない。

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