見出し画像

【被害者の口を塞ぐ行為は、性暴力を加速させる悪手であるーー二次加害をなくし、加害者が正しく裁かれる社会に】

昨今、性暴力を受けたとして告発する被害者が後を絶たない。告発は、被害者にとって多大なるリスクを伴う。被害者の責任問題にすり替えられる、根拠のないデマを流されるなど、悪質な二次加害による堪えがたい苦痛に悲鳴を上げる被害者を、これまで数多く見てきた。そんなリスクを背負ってまで、なぜ「告発」という手段を選ぶのか。一重に、「それしか選択肢がなかった」からだと推測する。

本記事には、性暴力を想起させる描写が含まれております。読み進めるかどうかのご判断は、各自でお願いいたします。

事実を覆い隠すためには、加害者に罪を償わせるより、被害者を黙らせたほうが圧倒的に早い

性暴力は、大抵密室で、もしくは閉鎖的なコミュニティの中で行われる。れっきとした犯罪であるにも関わらず、証拠や証人の確保が難しく、立件が困難な現状がある。また、被害者が声を上げられるまでに長い時間を要する点も、性被害の特徴といえる。これらの要因と加害者の悪意ある隠蔽を持ってすれば、被害そのものは簡単に「なかったこと」にされる。
「よきことをなす」組織の中で被害が起こった場合、事実の露呈を防ぐために被害者の口が塞がれるケースも決して珍しくない。事実を覆い隠すためには、加害者に罪を償わせるより、被害者を黙らせたほうが圧倒的に早いからである。

元女性自衛官の五ノ井里奈さんが、自衛隊内で性暴力を受けたとしてインターネット上で告発した件は、記憶に新しい。組織に隠蔽されてきた事実を明るみに出し、先日ようやく加害者4名から謝罪と手紙を直接受け取ることができた五ノ井さん。「加害側が被害を認め謝罪するまでに1年以上を要している」事実だけでも、今日に至るまで被害者がどれほどの辛酸を舐めてきたか、察するに余りある。


「抵抗の有無」が争点となる性暴力ーー卑劣な「エントラップメント(罠)型」被害に対抗する術がない、現行法の落とし穴

現行法では、性暴力の立件において、「抵抗の有無」が争点となる。「被害者が抵抗したかどうか」で、「性暴力」だったか「合意の上の行為」だったかが決まる。なんともバカげた話である。

私は、幼少期より父親から度重なる性暴力を受けていた。「強く抵抗したか」と問われれば、答えは「否」だ。しかし、当然のことながら、その行為は「合意の上」なんかじゃない。抵抗すれば何をされるかわからない。そう擦り込まれた証は、未だに心身の至るところに残っている。

大人と子ども。男性と女性。ひとりと集団。どう足掻いても勝てないであろう相手に対し、命の危険を顧みず暴れて抵抗できる被害者が、果たしてどれだけいるだろう。映画の中で被害者が躊躇いなく叫ぶシーンをよく見かけるが、あれは「叫んでも絶対に殺されない」確証があるからできるのだ、といつも思う。

大げさな暴力や暴言、恫喝など用いずとも、不均衡な力関係の上において、加害者は被害者に沈黙を強いることは可能である。

たとえば「レイプ被害」と聞いたとき、夜道で見知らぬ人から襲われたり、一人暮らしの住居に侵入されての被害を思い浮かべる人の方が未だに多いかもしれない。実際はそうではなく、レイプの多くは、家族や親族を含む「知人・顔見知り」から行われる。

「まさかこの人がそんなことをしないだろう」という信頼を逆手に取られ、言葉巧みに陥れられることがある。ここでは詳細しないが、齋藤さんたちの研究チームは、その構造を「エントラップメント(罠)型」と名付けて発表している。

性暴力の被害者が、驚くほど「自分を責めてしまう」理由 小川たまか

上記の記事にもあるように、「エントラップメント(罠)型」犯罪の場合、被害者はわかりやすい暴力を受けていないぶん、自責の感情に陥りやすい。周囲の心無い言葉や、SNSで氾濫する無理解な揶揄により、本来抱える必要のない自責感情はさらに膨れ上がる。

知人や顔見知りからの性被害の場合も、加害者から「君が誘ったんだよ」「君もその気だったはずだ」と言われることがある。被害者は、被害後も変わりなく接してくる加害者を見て混乱し、「傷つく自分がおかしいのだ」あるいは「関係を受け入れてしまったほうが楽だ」と考えてしまうことがある。

性暴力の被害者が、驚くほど「自分を責めてしまう」理由 小川たまか

私自身、直近でこのパターンとまったく同じ苦痛を被った経験がある。友人として信頼していた相手の家に招かれ、「友達だから何もしない」「信用して」などと言われていたにも関わらず、性行為を迫られ、避妊なしで挿入されたのだ。その相手は翌日、当然のような顔で私にLINEしてきた。

「(帰り道の運転に)疲れたら途中、寄り道してもいいですよ!笑」

ひとり旅の道中に起きた出来事で、帰り道のルートに相手の家があった。「途中寄り道」したら、私はまた性行為を迫られるのか。それをこの人は「当たり前」だと思っているのか。あの行為に、あの裏切りに、傷ついている私がおかしいのか。
自責と憎しみの感情が螺旋のように交錯し、たまりかねて旅先の宿で嘔吐した。“せっかくの旅なのだから”と無理をして詰め込んだモツ煮が、便器の中で醜い吐瀉物となって散らばった。胃は痙攣し、喉は焼け付くように痛み、とめどなく涙があふれた。

「何もしない」と約束した。私が性的虐待の被害者である過去を相手は熟知していた。それでも、警察には「被害届は受理できない」と言われた。
どんな約束があろうとも、どんな前提(性虐待の後遺症で、男性に迫られれば恐怖で思考が固まる等)を共有していようとも、「部屋に上がった私に落ち度がある」と判断される。現在の司法は、被害者を守るためではなく、加害者に抜け道を与えるために存在しているように思える。


被害者を追い詰める、「善意」の名の元にはびこる「二次加害」

上記の事実を公にしたのち、テンプレのような二次加害を受けた。二次加害の厄介な点は、相手が「良かれと思って」言っている場合が多いことだ。しかし、言った側が「善意のつもり」であろうとも、許されない言葉はある。

「相手の家に上がったあなたにも落ち度があったのではないか」
「被害に遭わないようにもっと警戒心を持つべきだったのではないか」

これらはすべて、二次加害に当たる。また、このほかにも私のパートナーに対する侮辱とも取れる言葉を投げつけられた。まるで、この件が起きたのは「私のパートナーが頼りないからだ」といわんばかりの言い草だった。その一文を読んだとき、絶望的な気持ちになった。なぜ、私のパートナーまでもが責められなければならないのか。自分の人生計画を曲げてまで、私の命を守るために最善を尽くしてくれた彼に対し、「頼りない」などと言われる筋合いはない。

性暴力も、そのほかの犯罪においても、「悪いのは絶対的に加害者である」。どんな理由があろうとも、どんな状況であろうとも、「人を傷つけていい」わけがないのだ。そして、「傷ついた」と発信している人の背中を蹴り飛ばしていい理由も、どこにもない。

訳知り顔で口に出す前に、考えてみてほしい。「こうすれば被害は防げたのではないか」「ああすれば被害は起きなかったのではないか」ーーそんなのは、見ず知らずの第三者に言われるまでもなく、被害者が一番に思っている。

「家に上がらなければよかった」
「あんな人の『何もしない』を信用しなければよかった」
「あんな人に会わなければよかった」
「友達だと思っていたのに」

毎日、毎朝、毎晩、思っている。悔やんでいる。苦しんでいる。そして、私のパートナーも数えきれないほど思っている。

「会うことを自分が止めていれば」

被害者やその家族、親しい恋人や友人たちが何度も何度も悔み続けてきたことを、遠いところからもっともらしく突きつける暴力性を認識してほしい。二次加害による苦痛は、当人にとって地獄の苦しみである。事実私は、昨夜布団の中で叫ぶように泣いた。そんな私を抱きしめるしかできないパートナーもまた、どれほど苦しかっただろう。
被害者に寄り添う気持ちがあるなら、「追い詰めるかもしれない」と予測できる言葉は、伝えるべきじゃない。

被害者の心理状態を想像せず、被害者に責任があるような考えを投稿することは二次加害にあたります。

二次被害をなくすために、私たちができること

二次加害がなぜ「いけない」のか、どのような発言が二次加害に当たるのかを、上記の記事が詳しく解説してくれている。
性暴力被害当事者にどのような距離感や言葉で寄り添えばいいのか、「わからない」と感じる人は、ぜひ一度読んでみてほしい。

「知る」ことは、「悪意なき加害」を減らす第一歩である。悪意の有無に関わらず、加害されれば痛いのだ。繰り返さぬためには、「痛い」と訴える相手の声を聴き、真摯に己を顧みるしかない。私自身、決して間違えない保証などない。だからこそ、間違えてしまった際には、「あなたのためを思って」の枕詞で反論するよりも、「傷つけてごめんなさい」と頭を下げられる人間でありたい。

被害を訴える人に「自衛の甘さを指摘する」のではなく、「被害そのものが正しく罰せられる」社会に

悩み、苦しみ、やっとの思いで声を上げた当人に対し、「自衛すべき」と指を突きつける前に、ぜひ「加害者」に問うていただきたい。

なぜ、加害したのか、と。
あなたがしたことにより、被害者がどれだけ苦しんでいるかわかりますか、と。

声を上げた被害者の口を塞ぐ行為は、性暴力を加速させる悪手でしかない。自衛が必要ないとも思わないし、するに越したことはない。ただし、「すでに被害に遭ってしまった人」に対し、「自衛の必要性を説く」行為は、被害者を追い詰め、加害者をつけ上がらせる。その点を多くの人が認識するだけでも、被害者は声を上げやすくなるのではないかと思う。

性暴力に対する現行法は多大なる問題があるとして、各所から法改正を求める声が上がっている。

「自衛したか」
「抵抗したか」
「強く拒絶したか」

このような加害者優位の物差しではなく、「性的同意があったか否か」で、性暴力が正しく裁かれる社会に変わることを、被害当事者のひとりとして強く願う。


最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。 頂いたサポートは、今後の作品作りの為に使わせて頂きます。 私の作品が少しでもあなたの心に痕を残してくれたなら、こんなにも嬉しいことはありません。