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【ネットの海を無数に漂う文章のなかで、自分が読むと決めて終わりまで読み終えた。確率で言えばそれは…】

書くのに勇気が要っただろうな。

そう感じる文章を時々見かける。noteに限らず、SNSのあらゆる場面や書物のなかでも。そういうものを読むたびに心は大きく揺れ、くらりと眩暈がする。それは決して悪い意味ではない。私はむしろそういった文章を好む傾向にある。その趣向は昔からで、それはおそらく自身の生育環境に大きく起因する。

暗闇のなかで生きてきた時間が、あまりにも長かった。そんな私にとって、昼の光は往々にして眩しすぎる。もちろんそれは精神状態によって大きく左右されるもので、昼日中の解放された空気や明るい光を好む日もある。それと同じくして、窓のシャッターすら開けられない日もある。強いフラッシュバックや悪夢に晒された翌日などは、特に。

夜行性の小動物のように光を避け、己の闇にとっぷりと浸かる。それはあまり生産的な時間の使い方とは言えないが、私には必要な時間だ。環境が変わったとて、人は急には変われない。無理に急激な変化を強いると、呆気なく人は壊れる。長年の経験からそのことを知っている私は、何らかの糸が切れたときに気が済むまで堕ちていく時間を自分自身に許している。

そういうとき、私は夜の色や香りのする文章を強く好む。頻度の違いはあれど、そういう人が少なからずいることにはうっすらと気づいている。

理解されやすい習性ではないだろう。別にそれで構わない。
息子たちは、私と同じ習性を持っていない。彼らは驚くほどすこやかで、今の複雑な家庭環境に於いても、のびのびと育っている。昼を好み、光を受け、全身から朗らかなエネルギーを発している。そんな彼らを見ていると、私はホッとするのだ。
理解してほしい。そう思う自身の仄暗さを、息子たちが理解しきれないことに安堵している。大きな矛盾を抱えながらも、私はそれを別段不思議に感じていない。知らなくていい苦しみはある。むしろ味わう苦しみは、少なければ少ないほどいい。

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