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【報酬よりも、ほしかったもの】

はじめに。本記事の内容と、『soar』で起きた性的加害の件は、まったく別の話です。今日綴る内容は私個人の身に起こった出来事であり、私の感情を軸に置いて書きました。
もしも本記事をSNS等でシェアしてくださる場合、そのことを踏まえたうえでシェアしていただければ幸いです。

noteをはじめたのが2019年の4月。cotreeのアンバサダーをCOOのひらやまさんに依頼されたのが、同年10月でした。その前月9月に、とあるイベントでひらやまさんとお会いしたことがきっかけでした。イベントは、noteで発信するうえでのヒントとなるものを学ぶ場で、私は過去の原体験も含め、「書いて生きていきたい」旨をお話しました。

昔から、本を読むことがすきでした。小説に出てくる様々な文章に触れる時間だけが、唯一の安らぎでした。そしていつの日か、気がついたら自分でも書きはじめていました。過去、私がたくさんの本たちに救われたように、文章の力で伝えられるものがあるかもしれない。ほんの少しでも、変えられるものがあるかもしれない。その想いを、イベントでお話しました。

ひらやまさんからDMをいただいたとき、私は勝手にアンバサダーを仕事だと思い込んでいました。アンバサダーになれた喜びから、自発的に書いたnoteが広く拡散されました。それをきっかけに、「週1本noteを書いてもらえませんか」と依頼を受けました。喜んで引き受けたものの、一向に契約のお話はなく、不安な気持ちを抱いていた最中、再びイベントでお会いしました。

イベントでご一緒したある方が、ひらやまさんに尋ねました。

「はるさんのアンバサダーは、お仕事?」
「違いますよ。まぁ、でも、たまに飯くらい奢ります」

その会話を聞いて初めて、私はアンバサダーがただのボランティアであったことを知りました。「じゃあ、やめます」とは言えませんでした。これは体裁でも何でもなく、『cotree』というプロダクトが今の世の中に必要なものだと思っていたからです。そしてそれと同じくらい、その場の空気を壊す勇気が私にはありませんでした。

直接的にサービスの紹介に繋がるものばかりではなく、何気ない日常エッセイを書いた日もありました。それでも、cotreeの持つ世界感を損なわないよう内容に配慮しながら、cotree_advent_note(cotree専用マガジン)の毎週更新をおよそ9ヵ月続けました。

登壇イベントの際、共に登壇した方が私の交通費を心配してくださいました。その方にも交通費がかかるのだから、私だけというのは申し訳ない…とお話したところ、その方は「お金なんて大丈夫です!となりがちなんですが、続けるためにはとっても大切です」と言ってくれました。その言葉を受けて、ひらやまさんも「交通費はcotreeで出します!」と言ってくれました。私は都内に住んでいるわけではないので数百円で済む金額ではなく、正直とてもホッとしました。でも、今現在も尚、支払われていません。今後も支払われることはないと思っています。

登壇イベントは私だけではなく、その後何名か続きました。その方々も無料で登壇したのか、交通費も全額自腹だったのか、私は知りません。もう、この頃には感覚がマヒしていました。「こういうものだ」と思うようにしていたし、そう思わなければそれまでの自分さえも否定することになりそうで、ただただ現状維持を繰り返し、水曜日のたびに週1本2000字~3000字のnoteを書き、ひらやまさんにDMで共有する、を繰り返していました。 

無償のボランティアなんだから適当でいいや。そんなふうに思えたならよかったのかもしれません。でも、性格的に無理でした。そもそも、自分が最も大切にしている「文章を書く」という行為において、手を抜くことができませんでした。

2020年最初の水曜日は元日にあたりました。なので、年末のうちに記事を書き上げ、年内のうちに記事を共有したりもしました。今思えば、そこまでしなくてよかったのだと思います。依頼してきたひらやまさんも、軽い気持ちで声をかけてきたのかもしれません。

疑問を抱えたまま、「やめます」と言い出せなかった私にも落ち度はあります。でも、一つだけ言わせてください。一度頼まれて引き受けたものを、あっさり「やめます」と言える人間ばかりではないのです。辛くても、不安でも、それを口に出せない人間もいるのです。cotreeは、本来そういう人間に対して窓口を開いているプロダクトだったのではないですか?

そのうち、noteを読んでもらうことさえなくなり、シェアさえもなくなり、ただcotreeのマガジンにピックされるだけの日々が続きました。私はますます、何のために書いているのかわからなくなりました。

ある日、「担当が変わりました」と連絡を受けました。その担当さんは丁寧にnoteを読んでくれて、ご自分の言葉を添えてシェアしてくださいました。私はそれに救われた気持ちになり、それまで自分が辛かったことをようやく認識しました。

もうやめよう。そのときやっと、そう思えました。

担当者さんとひらやまさんと私。3人のグループDMに、体調が不安定であること、元夫との別居に伴い生活が落ちつかないことを理由に、毎週更新から不定期更新に変更してほしい旨を連絡しました。新しい担当さんからは、温かいお言葉とこれまでの労いの言葉をかけていただきました。でも、私にアンバサダーを依頼してきたご本人からは、たったの一言もお返事をもらえぬまま、今日に至ります。

無報酬だった。交通費さえ払ってもらえなかった。でも私が一番傷ついたのは、この瞬間でした。そして、気がついたときにはTwitter、noteともにフォローを外されていました。基本的に、フォローするのも外すのも自由だと思っています。でも、企業のCOOにフォローを外されるアンバサダーとは、一体何なのでしょうか。私は一体、cotreeにとって何だったのでしょうか。

この文章を泣きながら書いている自分が、とても惨めです。こういうのを書いて表に出すことを、ずっとずっと我慢してきました。誰かを傷つけるとわかりきっている文章を表には出さない。それが私の信条であり、自分との約束でもありました。でももう、限界です。

先日、「アンバサダーをやめます」と信頼している担当さんに連絡をしました。cotreeは、私の記事をマガジンから外す作業も滞りなく終えたそうです。丁寧に対応してくださった担当さんや、同日に私の体調を気遣って連絡をくれた友人(cotreeの社員さん)には心から感謝しています。しかし未だ、COOからも代表からも、一切の連絡はありません。何も悪くない人たちだけが、私に謝ってくれます。そのたびに、申し訳ない気持ちになります。

今の私に言えることは、以下4つです。

・書き手になることを目指している初心者ライターを「ただで使える広告塔」として扱うのはやめてください。

・どうしても無料で何かを頼みたい場合は、無料である旨をはじめに必ず提示してください。

・無料で何かを頼むのなら、せめて感謝だけは忘れずにいてください。感謝さえない無償の働きを延々不満も抱かずに続けられる精神力は、私にはありません。

・自分を守るための知識を身につけてください。現状、これがないと傷つくことが圧倒的に増えます。知っていれば避けられる事態もあります。

我慢強いと言えば聞こえはいいかもしれません。でも、私の場合は幼少期の虐待体験による認知の歪みからきています。
「耐える」ことが日常でした。だから、それ以外の選択肢を取るまでに、人よりも多くの時間がかかります。そのことも、COOの方には以前グループDMで共有済みです。

本来であればSNSで発信するのではなく、直接言えばいい話なのはわかっています。でもじゃあ、どうして公にされては困ることをするのですか? 
私には、上記のような扱いをされた相手にクローズドの場所で本音をぶつけるなんて、怖くてできません。

楽しかった思い出も、笑いあった時間も、全部が真っ黒になってしまうのは嫌でした。自分が我慢して黙っていれば、誰も傷つかずに済むと思っていました。そこに先日の櫻本さんの発言があり、私のなかの糸が切れました。

ごめんなさい。このnoteを公開することは、おそらく正しくないです。
ごめんなさい。読んで傷ついた人がいたら、ごめんなさい。でももう、いい加減、限界です。

底なしの”いい人”になんて、なれません。粗末にされたら、苦しいです。平気なふりをして笑うのが得意だからって、平気なわけじゃないんです。

私は報酬以上に、「今までありがとう」の一言が、「ごめんなさい」の一言が、ほしかったです。





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