覚えておきたいことを教えてくれるのは、いつだって君たちなんだ

救急車のサイレンの音がする。おそらく、後続しているであろうパトカーの音も。

降りしきる雨は止んだものの、まだまだ混乱は続いているようだ。

昨日降り続いた大雨は、車ごと人をも押し流してしまうほどの威力を持っていた。近隣の歩道で土砂崩れが起き、徒歩5分以内の道路が冠水した。ちびの幼稚園のお迎えも、普段使っている道路が湖のようになっていて立ち往生した挙げ句、ぐるりと迂回して10分の道のりに小一時間かかった。予定より随分遅れてしまったお迎え。不安そうに待っていたちびの顔を見て、胸がぎゅっとなった。


引き続き長男のお迎えに今度は小学校へ。駐車場には長蛇の列が出来ていて、みんな焦ったようなピリピリした表情でハンドルを握っていた。長男は比較的落ち着いていたが、校舎内もあちこちが雨漏りしていてブルーシートやタオルが敷き詰められていた。

二人の息子を車に乗せて家路を急ぐ。まだ冠水していない道路を抜けて自宅に辿り着いたときには、心底ホッとした。

私はテレビ画面のニュース以外で水没している車を見たことはなかったし、自然災害の為に通園、通学中の息子たちの安否を確認出来ない状況を経験したこともなかった。初めてのことに対処するには、知識だけでは全然足りなかった。落ち着こうにも落ち着けない。ひたすらに不安で、パニックを起こさないように奥歯を噛みしめるくらいしか術がなかった。


息子たちを急かして風呂に入れる。停電や断水になる前に。気持ちが慌てているせいで、口調がいつもよりきつくなる。

そんなとき、電話が鳴った。長男の友達のママからだった。


県内道路のあちこちが通行止めで、渋滞が発生していた。迂回するにも時間がかかる。仕事先から自宅に戻れるのが遅くなりそうとのことで、ママが帰宅するまで子どもたちを預かることになった。時間差であちこちから連絡が入り、あっという間に我が家はプチ避難所状態になった。

子どもたちは思いがけず友人たちと集まれて一見嬉しそうにも見えた。テンションも高く、賑やかにはしゃいでいた。でも、いつもと様子が違うところが一つだけあった。車の音にやけに敏感になっていたのだ。

エンジン音や車の走行音が聞こえる度に、窓の傍に駆け寄る。そして、そっと息を吐き出して戻ってくる。そんな光景を何度も見た。低学年の子は素直に口に出していた。

「ママの車のエンジン音に似てたのに……。」

そう言えないお兄さんたちは、その言葉を聞いて眉を下げるだけだった。寂しい、とか。不安、とか。そういうのを口に出せない年頃の子たちは、心にたくさんのものを抱えながら頑張っているんだな……と改めて思った。


お腹が空いていると余計に不安になる。私は炭水化物をメインに、冷蔵庫の中のものを片っ端から使ってご飯を作った。なにせ急なことだったから、大したものがない。焼きそばと炒飯。じゃがいもをフライにして、冷凍庫の隅に突っ込んであったハムカツも揚げた。

旨い旨いと言いながら、みんな笑顔で食べてくれた。あっという間に食べ物が吸い込まれていく。いっそ気持ち良いくらいに。満腹になった彼らは、表情にも力が戻ったように見えた。


それからしばらくして、順番にママたちがお迎えに来た。ママの方はもちろんのこと、子どもたちは本当に安心した表情で帰っていった。いつもなら「もっと遊びたい」とごねる子達でさえ、今夜は大人しく車に乗り込んでいた。


つくづく思った。

子どもは、ママが大好きなんだ。ママに限らず、親のことが大好きなんだ。

怒られるから嫌いだとか、ゲーム買ってくれないから嫌だとか、言い方がムカつくだとか、いつも散々悪態をついていようとも。反抗期でこちらの血管がぶち切れそうな言葉を投げ付けてこようとも。結局それらは甘えられる相手だからこそのもので、大好きで大切に想っていることは間違いないのだと肌で感じた。

「ただいま」というママに「おかえり」という声が、嬉しさで爆発しそうになっている低学年の子どもたち。無愛想な声で「遅いよ」という高学年の子どもたち。

会えて嬉しいね。会えるまで不安だったね。

みんな、「おかえり」と「ただいま」が言えて本当に良かった。


みんなが帰ったあと、長男が言った。

「良かった……。」

吐き出すように、絞り出すように。感受性の強いあなたが、友人たちと一緒に不安になっているのは分かっていた。でもそれは、彼が自分で体感しながら己の感情との付き合い方を身に付けていくしかない。

「良かったね、ほんとに。」

そう答えた私に軽く頷いて、「疲れたから寝る」と短く告げて息子は2階の寝室へと向かった。ちびも遊び疲れて私の腕の中で眠っていた。


色んな感情が溢れてきて、涙が出た。


親も人間だから、いつも優しくなんて出来ない。何ならまさに今日、私は理不尽に声を荒げた。

それでも子どもたちは、親を求めるのだ。こんなにも真っ直ぐひたむきに愛してくれる。何を根拠にと不思議になるほど、こちらを信じきっている。


不安げに窓の外を見ていた子どもたち。チャイムが鳴った瞬間のあの表情。ママに会えたときの空気。


こういうのを、忘れてはいけないのだと思った。親として生きるうえで、この無条件に寄せてくれる信頼を叩き潰すような真似だけはしたくない。大好きでいてくれることに、胡座をかきたくない。そして、当たり前のことをちゃんと伝えたい。

「大好きだよ」

「おかえりなさい」

「ただいま」


言えるって、いいな。言えて本当に良かった。


まだ少し、心がざわざわしている。深呼吸して、目を瞑ろう。ちゃんと眠ろう。

明日には、落ち着いていますように。

被害がこれ以上酷くなりませんように。

大好きな人が大好きな人に、ちゃんと「おかえり」が言えますように。

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