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【生きて朝を迎えたすべての人へ】

毎晩、叫んでいる。追いかけてくる悪夢が、私を過去へ引きずり戻す。逃げたい。そう思うのに、体が動かない。金縛りにあったみたいに、指一本動かせない。脳内で鳴り響く警笛アラームを、体がキャッチしてくれない。その矛盾に、ただひとり、絶望する。

言葉にならない声を喚き散らすたび、耳元で声がする。

「大丈夫、大丈夫だから。聞こえてるでしょ?」

その声を認識して初めて、金縛りが溶ける。馴染みの声を頼りに、必死に岸を目指す。沼の底にはヘドロが溜まっていて、もがいてももがいても前に進まない。でも、みっともなくジタバタする。全身が泥にまみれ、口にも汚泥が入ってくる。口内に無理矢理突っ込まれた草の根の味を思い出す。記憶と記憶は、電気回路のようにつながっている。回路を断ち切る術があるなら、誰か教えてほしい。

◇◇◇

特定の誰かを想って文章を書くことがある。そういうものほど、巡り巡って自分を救ってくれたりする。文章は、不思議だ。然るべきタイミングで、必要な言葉が届く。文章を食べて生きる人は、そういう“縁”みたいなものを持ち合わせているのかもしれない。

以前、とあるエッセイを書いた。大切な友人たちが、たまたま同じタイミングで落ち込んでいたときのこと。私には、問題そのものを解決する力はなかった。話を聴くのが関の山で、友人たちの重荷が少しでも軽くなってほしいと、祈るばかりの日々だった。何もできない歯痒さ。心だけは隣に居たいという願望。その二つを、文章に込めた。

這い上がってくれ。泳ぎきってくれ。
安全でも適切でもない道を、どうにか渡りきって岸に辿りついてくれ。

人は人を本当の意味では救えない。残酷なようだけど、自分を救えるのは自分だけだ。だから安易に「救いたい」とは言えない。でもそれは、「助かってほしい」と祈ることと決して矛盾しない。

このエッセイは、短い文章でありながらも、広く読まれた。「あなたのために書きました」とこちらから伝えることは、一切しなかった。しかし、不思議なもので、届けたいと願っていた友人すべてに届いた。

「ありがとう。這い上がって、生きます」

そう言ってくれた友人の言葉は、私にとって揺るぎない栄養になった。そこから出た芽は、今でもすくすくと育っている。蕾が膨らみ、花が咲き、やがて枯れて種が落ちる。そこからまた新芽が息吹き、花畑が広がっていく。

書いて、読まれて、受け取り、受け取られ、そうやって通わせた心の先にあるものは、美しい風景だった。私にとって“此処”は、そういう場所だった。

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先日、大切に育んできた花畑を、理不尽に踏みつけられた。それゆえに、私の中には強い怒りが燻っている。本当は、見たままの花の美しさや、おいしかった珈琲の味、届けられたやさしさを、素直に柔らかい言葉で書きたい。それなのに、不必要に言葉が鋭くなってしまい、うまくできない。

もう、書けないかもしれない。

日に何度も、そう思う。でも、同じぐらいの頻度で「書きたい」と思う。「書かねば」ではなく、「書きたい」と、「書かせてくれ」と、思う。


誰かを想って文章を書くとき、私は、同時に過去の自分をも救いたいと願っている。痛くて辛くて苦しくて、まともに息継ぎさえできなかった、昔の私。“見えない場所”で呪詛のような文章を書き殴っていたあの頃の自分。今でも、私の奥底には、あの当時の“わたし”がいる。小さく蹲り、怯えながら、あらゆるものを拒んでいる。その背中を「大丈夫だよ」と撫でてあげられる文章を、私は書きたいのだと思う。

泣き叫びながらも、今日も朝を迎えた。岸辺で待っていてくれる友たちの顔を思い浮かべ、毎晩、必死に泥の中を泳ぐ。この日々が、いつまで続くのかわからない。数ヶ月かもしれないし、数年かもしれないし、数十年かもしれない。それでも諦めずにもがき続けたら、いつかふっと重荷が軽くなることを、私は知っている。40年生きた。その体験から学んだ事実は、希望だけではないが、絶望だけでもない。

闇に飲まれない唯一の方法は、闇を見つめることだ。そこから逃げずに生きてきたこの40年の知見を、フル活用して生き延びる。その先のことは、そのあとで考えればいい。

温かく、柔らかい文章を書けるようになるまでには、もう少し時間がかかるだろう。でもきっと、不可能じゃない。それまでは、朝を迎えられた自分を褒め称えながら生きようと思う。

生きて朝を迎えたすべての人に、花束を贈りたい。そんな気持ちを、いつかまた、丁寧に綴れたらいい。大切な誰かのために、何よりも、自分自身のために。そんな日がくるように、まずは、今日一日を生きる。

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