クズ男の魅力ってなにかしらね
昨今流行りのいわゆるクズ。
主に色恋沙汰の場でよく見かけるこの概念。
人間のクズという言葉があるように、マイナスなイメージだったクズは、気がつけば少しばかりその意味合いを変えて私のそばにいた。
異性にだらしなくて、それ以外の生活やお金なんかにもルーズ。でもなんだか離れがたくなってしまう、クズ。
クズの魅力ってなんだろう。恐らく、ハマったことのない人からすればそれは意味のわからないものだろう。
一緒にいても生産的なことは起きないし生まれない。時間もお金もかかるのに、恋人にもしてくれない。
コスパ最低である。結婚や交際といったゴールを見据えている人からすれば愚の骨頂、時間の無駄オブザイヤー。わかる。言いたいことはわかる。ついでに、はまってる人は一種の洗脳状態に傍目に見えてしまう。まるで宗教か何かだ。
でもそれはあながち間違いではない気がする。
最近の私たちは気がつけば、目標だとか信念だとか抱負だとかを持たさせれる。
小中学生の頃は学期ごとに作文をしたためさせられ、それがプラスチック製のファイルに入れてズラーっと壁一面に貼り出された。
受験にはもちろん、就職活動に目標校や第一志望の御社が不可欠だ。
そして学生から抜け出し社会の一員になっても何歳になるまでにあれしなきゃ、それにならなきゃと奮闘してしまう。
なんとなくいつも何か成し遂げなければいけないような、そんなものに背中を押し続けられ小走りさせられているように感じる。
そういったものから1番遠い存在、対極に位置するものがそう、クズに沼っている時間なのである。
クズとの時間が生み出す唯一のものは、本人の脳内で分泌される純度100%、利益や生産性、コスパとは完全に切り離された自身の幸福感情なのだ。
まどろっこしい目標や社会の目だとか、普段常に自分に付きまとうそんなものたちを取っ払い、自分の欲だけに従える瞬間は、年齢を重ねるごとに減っていく。
日頃何かしらの役割を担いがちな私たちが自分の気持ちに正直に誰かを求める瞬間を、クズは本人も知らないうちに生み出しているのだ。
心も体も文字通り丸裸。そこにつけ込み自分の欲を満たすから彼らはまたクズと呼ばれてしまうのだけど。
でも、彼らへの憧れを抱く人々もまた多い。最近は自称クズなんて言葉でそのブームにのっかる人を揶揄する言葉も見受けられる。
自分の欲を他人より優先することが美徳とは程遠いとされてきたこの日本に反逆し、他者からの好意を集めてさらにそれを無碍にしてみせるクズは確かに他とは違う、“もってる”やつのように見える。
と、いうことはわざわざクズにならなくても、クズに沼らなくても、自分の気持ちと欲にだけ従えば、私たちって幸せになれちゃうのかな。
まぁ、そんな簡単なことに集約して抽象化して解決できるくらいなら、だれも沼に沈んでないってな。
沼の中を泳いだつもりになってはだかんぼで溺れながら周りの非難するような目を嘲笑うことも、今の世の中に必要なのかもね(^ν^)
ごぽぽ。🥐
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?