『五等分の花嫁』の革新性 敗者のいないラブコメ

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この記事にはネタバレが含まれます
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「五等分の花嫁∽」放送決定おめでとう!

それはそうとして、自分はこの作品を原作でリアルタイムで追っていたが、ひとつだけ納得のいかなかった部分がある。
先に、あらすじを少し説明する。

◆「ミステリーラブコメ」というジャンル

五等分の花嫁のあらすじを簡単に説明すると、勉強のできない一卵性五つ子ちゃん(性格は違うが全員同じ顔)のもとへ、超勉強できる風太郎が家庭教師となり、そこで喧嘩したり仲良くなったり、まぁラブコメする話である。

そしてそのストーリーの大きな特徴のひとつは、風太郎の「未来の花嫁」が第1話から登場することだ。

『ある日突然、超個性的な五つ子と出会って、その家庭教師となった風太郎が「悪夢のはじまりだ!」と嘆くが、時は経ち数年後、未来の花嫁に風太郎が「君と出会ったあの日は夢のようだったよ。とんでもない悪夢さ!ハハハ」と当時の思いを振り返る』というのが第1話のプロットとなっている。

ふつうのラブコメならば「未来の花嫁」なんて登場しない。というか出せない。なぜならば誰と最終的に結ばれるか確定してしまうからだ。
しかしそこが「五つ子」というのをヒロインに据えた最大の利点である。顔が全員同じであるから「誰が花嫁になったか」はわからないのだ。

五等分の花嫁をお笑い芸人の天津向さんは「ミステリーラブコメ」というジャンルで呼んだ。これは非常に的を射ている。

ラブコメが進む中で、読者は「一体だれが未来の花嫁になるのか」と、ドキドキしながら読むわけである。しかも、「未来」だけでなく「過去」にも既に風太郎は五つ子の誰かと会っていることが明らかになり、その「思い出の子」が誰かもまた物語を牽引する「謎」となっていく。

そしてこの作品のクライマックスは「3年生時の文化祭」編である。風太郎も五つ子もすっかり成長し、それぞれの絆が育まれ、美少女ゲーでいうなら「個別ルート」全員編終わった後、「じゃあ結局誰を選ぶのか」、つまり「未来の花嫁は誰になるのか」が確定するのがこの文化祭編である。

ネタバレ注意を最初に書かせていただいた(し、もう割と相当に日がたっているし、いいよね・・・・?)ので、書いてしまうが、選ばれたのは五つ子の4女、「四葉」であった。

「思い出のあの子」とか一切関係なく、勉強しか頭になかった風太郎が陽気で明るい彼女と触れ合う中で、「青春」・「友達と過ごす日々」もまた大事なんだと学ばされたことが決め手となったのだ(他のヒロインからも同様のことを学んでいたが、物語当初から陰キャの風太郎のことを構っていたのは四葉だった)。

この文化祭編の締めとなる「誰が選ばれるのか」というのは物語の根本にあった「未来の花嫁」の正体が明らかになる作中最も重要な部分であり、当然注目度は大きかったと思う。五つ子それぞれのファンは熱く見守り、1秒でも早く続きを読みたい、と思っていたはずだ。

◆予想がついた「未来の花嫁」の正体

ところが、この実際に誰が「選ばれたか」が判明した回で、個人的にはファンの間で大きな驚嘆は無かったと思う。(おそらく)一番人気だった三女の三玖ファンも四葉が選ばれた瞬間を読んで「なぜだ!?」と思わなかったはずだ。

なぜならば文化祭編、誰が「未来の花嫁」になるか、について99.9%の読者は予想がついていたからだ。

つまり、誰もが、「これもう四葉だろ」って思っていたのだ。

実は四葉はこの文化祭編前の「修学旅行」編ラストで、「過去の思い出のあの子」であることを激白している。
そして長々とモノローグ編が始まり、四葉の過去が描かれる。

四葉は風太郎と過去に出会ったことで、自分は五つ子の中でも一層努力しなければならない、と考える。
だがそれがどこかで変になってしまい、「自分は他の姉妹より努力してて偉い」と選民感すら芽生えしてしまう。しかし彼女は途中から勉強でなくスポーツに熱中してしまい、結果として彼女は最初の高校で成績不振で退学措置を宣告される。
そして混乱し、絶望をした彼女を救ったのが他の姉妹たちだ。「自分たちも成績不振なので、四葉とともに他の高校に移りたい」と四葉と共に学校を出ることを申し出てくれたのだ。
「自分はあなたたちは違う」と信じていた四葉は、他の姉妹のおかげで救われた。そのことが四葉の心に大きく残った。
そして四葉は「他の姉妹」あるいは「他の誰か」が幸せになれることを第一に考え、他者に献身的な性格へと変わっていく。
その後、四葉たち姉妹は転校先の高校で風太郎と再会する。当初の四葉は「私が過去のあの子だ、と時間が経てば告げていいかもしれない」と思ったが、風太郎が次々に姉妹を落としていってしまい、「自分は姉妹のおかげで救われたから、姉妹の恋をサポートとする側でないといけないんだ」と思い込み、以降は自分の気持ちを抑え込むようになっていく。
夜の公園で1人でブランコをギコギコとこぎながら「好きだったよ、風太郎くん」と自分で勝手に失恋し、姉妹に尽くすのを誓うのであった。

というのがモノローグ編だった。そしてそっから夏休み編になり、文化祭編へと話が進んでいくのである。
四葉が勝手にブランコをこいで終わったのである。

つまり、四葉は救われていないのである。
勝手に失恋して、悲劇のヒロインのまま終わっているのである。

それは読者からしても「えっ、これでいいの?」と思う。
更に「過去の思い出のあの子」の話も、読者に明かされても風太郎には明かされていないままである。
ずっと思い出のあの子のことを恋愛感情ないしはそれに近しい感情を持ちながら想い続けていたのに、いまだに明かされていない。

こうした状態で、文化祭編に突入するのだ。そして「さぁ、五つ子ちゃんの中から好きな娘を選びない」、である。
これで三玖を選んだら、四葉はどうなるのだ、という話になる。悲劇のヒロインのままである。

文化祭編は風太郎と各五つ子ヒロインたちと育んできた絆の集大成のような話となっている。各ヒロインの個別回が2話ずつあり、終わりにヒロインは(1人のぞき)風太郎にキスをする流れとなっている。
長女・一花、2女・二乃、3女・三玖はそれぞれ「風太郎と出会えてよかった」という感謝と共にと今までの物語のすべてを紡ぐように、風太郎とキスをする。
キスこそないが、末っ子の五月もまた、風太郎への感謝の気持ちを告げる。そういう話になっている。

しかしながら四葉だけは違った。「あなたのおかげで、成長できた。だけど恋に関しては私の願いは叶っちゃいけない。他の姉妹を選んでね」と彼への気持ちを断つためにキスをしたのだ。
しかも風太郎は寝ていたので、その気持ちに気づくことはないままだ。彼女にとってのキスは「決別」の意味を込めて行っていたものだったのだ。

つまり四葉だけ、物語が終わっていないのだ。ここから彼女を「悲劇のヒロイン」のまま終わらないようにするには、一つしかない。
「最後に彼女を選ぶ」しかなかったのだ。

だからこそ、読者の99.9%は「誰が選ばれるか」予想ができたのだ。

◆五つ子という「家族」の物語

そして冒頭に戻る。私が思う納得がいかなかった点。
それは、「なぜ先に四葉の過去を描いてしまったのか」である。
四葉が実は思い出のあの子で、勝手に失恋した、という話がなければ、四葉も他の姉妹も同じラインにたった状態で文化祭編ラストにつなげることができたはずである。
しかしながら先に過去編が描かれ、しかもそれへの解決もないまま、他のヒロインはほぼほぼ好感度MAXでそれぞれの最後の課題も解決していって、そして四葉だけ泣いたままだったら、それはもう「四葉しかない」になるのだ。

「ミステリー」というジャンルからしたら、最悪の禁忌を冒していたのではないか。物語途中で犯人が誰か、読者にだけ打ち明けられて、それなのに名探偵は「みなさんお集まりください」をやってしまっているのだ。

だがこの作品の最大の特徴は何といっても「ヒロインが五つ子」であること、である。
だからこそ「未来の花嫁が誰か」というミステリー部分を描くことができた。

そして同時に、ヒロイン同士は「家族」なのである。

多くのラブコメはヒロイン同士の友情に気を遣わない。ちょこっとだけ描かれるだろうが、基本的にはヒロインが抱える問題を、主人公が解決していき、「主人公くん大好き(ハート」になる。
せいぜいサブストーリーの中でそれぞれの絡みが描かれる程度だ。

しかしながら五等分の花嫁は違う。ヒロインが五つ子で家族であるから、それぞれの絆もまた本編の中で非常に重要な役割をもってくるのだ。

七つのサヨナラ」編は特にそれが顕著だ。これはヒロインの二乃とヒロインの五月が喧嘩したことが発端となるシナリオである。「主人公」がヒロインと喧嘩する話ではないのだ。

喧嘩の挙句、二乃も五月も家を出て行って、二乃はホテルに、五月はなぜか風太郎の家に居候させてもらう。そして残った姉妹3人はどうしようもなく、本来の目的の勉強をしながら、彼女たちを見守る。
そして主人公の風太郎は彼女たちのために奔走するのだが、風太郎は必ずしもラブコメ主人公として正解ルートを辿ることができなかった。
二乃を説得しようと何度もトライするが、彼女に大きな嘘をしていたことがバレて、むしろ激怒させてしまったのだ。
そんな中、期末テストが近いというのに四葉は陸上部の依頼を断れず、スケットとして合宿に参加しようとしたりする。
何とか彼女を止め、合宿を断ろうとさせるが、前述の他者優先主義者の彼女は中々折れない。

それを何とかしてみせたのが二乃だった。二乃が五つ子の利点を生かして四葉の変装して歯に衣着せぬ言葉で陸上部の依頼を断ってみせた。
そんな二乃もまた、つい先ほどまでホテルに閉じこもっていたのだが、三玖に諭され「自分も変わらなければならない」と気づいたことで、ようやく気持ちが晴れ、五月と仲直りして大団円という話だ。

風太郎があちこち走り回ったことこそが少しずつ彼女たちの心を動かしたのは確かだが、最後に変えるきっかけを与えたのは他の姉妹たちである。主人公がカッコいいことをやって、ヒロインが恋に落ちてしまうような話ばかりではないのだ。

修学旅行編では、長女として妹たちに我慢していた一花が、なりふりかまわなくなって、妹たちを利用して様々な方法で風太郎の気を引こうとするが、ことごとく失敗し、妹たちとの絆に綻びが生じてしまう。

そんな彼女を救ったのも、やはり妹たちだ。

一花がやったことは他のヒロインを欺いてたり利用しようとしたりするなど、ラブコメヒロインとしてはどうしようもない非道な方法である。他のラブコメならば、主人公から正論バッサリされてそのまま「そんなヒロイン駄目!」とサブヒロインへ降格してしまうだろう(というか最初からサブヒロイン以下の役回りにしかなれないだろう)

だが五等分ではヒロインは全員五つ子であり、「家族」なのだ。
二乃が「成長してそれぞれ違う個性をもったけども、でももう一度あの頃みたいに仲良かった姉妹に戻ろう」と、"ヒロイン"ではなく"家族"として「許す」物語が描くことができるのだ。

それによって一花は救われたのだ。

だから一花もまた、奥手になってしまいずっと勇気がもてないまま告白できずにいた三玖を姉妹たちとともにサポートし、それによってようやく三玖は風太郎に告白することができたのである(ただし本編的に少し濁された形ではある)。
一花はヒロインとしての罪を家族への愛によって贖うことができたのだ。

こうしたヒロイン同士の絆が中心にあったことこそがこの物語の革新性だったと自分は思っている。

ヒロイン同士が主人公を奪い合って、ギスギスする物語ではない。確かに五等分でもそれが描かれるが、最後は「家族」として許される物語になるのだ。だからヒロイン同士は敵でない。最後の最後はお互いを尊重し合える「家族」という仲間の物語なのだ。

だがこれはラブコメであり、しかも「未来の花嫁」まで描くミステリーだ。「誰かが選ばれる」のだ。誰かが「勝者」となり誰かが「敗者」となるのだ。
数多のラブコメはそこに怖気づいて、「俺たちの日常は続いていく!~fin~」とボヤかしたまま終わらせるが、ミステリーラブコメとして「誰かが選ばれる」まで描かないといけないのだ。

だが、ヒロインたちは「家族」だ。勝者と敗者ではないのだ。
もういっそ「ハーレム」つくろうなんて、現実の高校生の物語である以上、描くわけにはいかない。

じゃあどうするか?

◆「家族」と「ラブコメ」、それと「ミステリー」

その解決策こそが先に、四葉を「選ばれる子」として(実質的には)明かすことだったのだ。

もし一切明かさないまま、文化祭編になって「四葉好きだ!」となって「実は私は過去の思い出の子だったのです!」と明かされている物語構造だったのならば、完全に四葉だけが真のヒロインであり、他の姉妹は敗者のまま終わっていたであろう。

だが先に四葉が選ばれることがわかっている、としたらどうだろう?

先述のように文化祭編はそれぞれのヒロインの集大成編である。それぞれのヒロインが風太郎と出会い、過ごした日々の中で何を学んだかを振り返り、感謝を告げる個別回となっている。

読者的には既に四葉とほぼほぼ確定している状態でこのシナリオを読むのだ。もう裏切りも急転直下の展開もない。

あとはヒロインたちが風太郎との物語を、それぞれが、ハッピーエンドの状
態で締めるだけなのだ。

四葉だけが未消化で文化祭編は終わるが、彼女はその後の数話で家族としての他ヒロインとの物語とともに、風太郎との物語を締めていくのだ。

四葉が選ばれた瞬間、一花は「やるじゃん」といい、五月も正解を出したかのように風太郎に笑顔を送り、そして三玖も二乃も残念がったが、この結末をどこか予想していたようだった。

だが、「思い出のあの子」が四葉であるとわかっているのは五月(と薄々気づいていた一花)だけであり、風太郎には最後の最後まで明かされることはない。物語のキャラの気持ちになれば、四葉のアドバンテージは実はない。
むしろずっと「好き好き」いっていたのは二乃と三玖だけである。
だから三玖と二乃の気持ちを考えると「え?なんで四葉!?」と思うのが自然だ。
それでも彼女たちがその結末を予想したのは、どちらかというと、ややメタ的な、つまりは読者視点とリンクしたためだ。「四葉しかないじゃん」という読者の気持ちを汲み取って「やるじゃん」と賛辞を贈ったのだ。

それにより、物語は全体として「ふさわしい結末」に向かうことができた。

誰かが敗者となったのでなく、「家族」として、勝ち負けなく、全員がヒロインのまま物語を閉じることに成功できたのだ。

原作が終わった後も、「五等分の花嫁」というコンテンツがここまで長く続くことができているのは、全ヒロインそれぞれが「ヒロインのまま終えることができた」からではないだろうか。

◆まとめ

『五等分の花嫁』はその最大の特徴である「五つ子」という設定を余すことなくつかった革新的ラブコメだった。

「五つ子」という設定によって「あれは五つ子の誰なんだ?」という「ミステリー」が描かれると同時に、「家族」というヒロイン同士の絆が本編の重大な要素として描くことが可能となったといえる。

だがラブコメという都合上、(ボヤかすという"逃げ"を選択しない限り)誰かが勝者となり、誰かが敗者とならなければならない。

そのために先に「四葉が選ばれること」を明かしていたのだ。
そういう点ではミステリー的にも革新的であったとさえいえる。

五等分の花嫁は10数巻で、意外と短い漫画だ。だがそれでもここまで人気があるのは、あるいはラブコメとして最後に選ばれるヒロインがいても、それでも他のヒロインが「ヒロイン」としての立場を失うことがなかったのは、こうした複雑で、特異なストーリーがあったからだと私は思った。