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節目の如月。

色んなことがあった2月。

誕生日と、退職と、転居。

2.11、31歳になりました。

敬愛する餃子師匠からのプレゼント。


ついに30歳だー!わー!と言っていた頃から早いもので1年が経ってしまいました。


先日、母から電話で、

「あなたのことは本当に心配。あなたは自分の幸せにそんなにこだわってないのかもしれないけど、そしたら私があなたの幸せを願う気持ちはどこに向かえばいいの?30歳からの10年は驚くほど早いし、この10年は本当に大事な時期なんだよ。10年後を想像して生きなさい」

と言われました。

母からの誕生日プレゼント、箱根旅行の時の芦ノ湖。



「え〜〜〜、10年後なんてわかんないよ〜〜〜」って言っちゃった。

そんな中、親友たちが唐突に「そろそろ電話しよ」と声をかけてくれた。
大学の同期で、私も含めズッコケ3人組(古)みたいだった2人。

定期的にしてる、3人の電話。


私は電話で2人に問いかけてみた。
「10年後のことって考えたこと、ある?」と。

すると2人は、うーん、と口を濁らせた。
どうやら、ないらしい。

なんとなくはあるけど、具体的ではないよねぇ、と話してた時、「良いイメージをすると良い未来がやってくるらしいからさ!理想的なこれからの10年を、妄想でもいいから各々発表しようよ!」と1人の友人が提案してきた。

いいねー!と、順番に話していくことに。
それぞれに好き勝手想像している10年は、わりと現実離れしすぎていなくて、それでいてみんならしさが現れている、理想の10年だった。


もちろん、思い通りにはならないし、予想外のことがたくさん起きると思う。でも、人生の岐路に立った時、「理想の10年」があれば、それを元に進路を決められる気がする。

そう、岐路といえば。

最後の出勤。


約3年勤務した職場の、最終出勤を終えました。

退職までの1週間は、特に忙しくて。
仕事がいっっっっっっしょう終わらなくて、毎日8時〜20時くらい仕事してました。

フー疲れたー!と、残業後に着替えようとした時に開けた更衣室のドア。何の変哲もない、玄関の灯りに少し名残惜しさを感じたり。

ちょっと古い部屋なんだよね

当たり前のように血圧計を巻いて血圧を測る行為を、噛み締めてしまったり。

3年間って、短くて、長かったな。

 

退職1週間前に行った、馴染みの定食屋さん。

退職を伝えたら寂しくなるねー!辞めてもまた来てねー!お代はいいよ!となぜかご馳走になってしまった。

安定の鯖みそ定食。ほっこり。そして多い。笑

ラスト訪問をしている日々の中、最後のご挨拶の瞬間は、素敵なシーンに溢れていました。

泣きながらハグしてくれた方、少し照れながらグータッチしてくれた方、握手した瞬間に「あぁ、この手を覚えていよう」と言ってくれた方。

「佐藤さんは元気を届ける仕事なんだから、そのためには佐藤さん自身が元気でいないとだめだよ。身体に気をつけてね」と言ってくれた方。

「さよならは言わないよ、またどこかでね」と言ってくれた方。

あくまでも私は訪問看護師で、仕事を辞めたら皆さんには会えなくなる。

私は訪問看護師としてという側面も持ちつつ、約3年間毎週おうちにお邪魔するという、まるで家族か彼女か彼氏みたいな行為を繰り返す中で、すっかり皆さんとは人と人としての関係も持てていました。
それは尊いことでもあり、同時に危うさもあると思ってて。

なぜなら私は、彼ら彼女らとは、友達や家族にはなれない。出会えたことはとても嬉しいけれど、その出会いは契約書を通じての約束に基づいたもので、ルールの中で関係を保たないといけない。

いやーん。もどかしい。
とってももどかしい。
人間大好きな私にとっては、実に難しいルールであった。
でも、その人との出会い方も含めて運命というか。
きっと、利用者さんと訪問看護師として出会えたからこそ、できた関係性だったのだと、そう自分に言い聞かせることにしている。

ちょっと、いやだいぶさみしい気もするのだけど。
きっとそれでよかったんだ、うんうん。


最後の出勤日は、退職に伴って職場の全員(25人)に手紙書いたら若干みんなに引かれました。笑

軽く腱鞘炎になった。笑

今日でこの道を通るのも最後か、と思いながら自転車こいでエモくなって、最後の最後に考えさせられる事も起きて、先輩と話してて涙目になって。

それでもみんなが送別会開いてくれて大好きな人たちがきてくれてほっこりして、皆で餃子食べて、帰り道にお世話になったお店に挨拶に行った。

帰り道、笑っちゃうほど大荷物で、本当に皆様からの愛を両腕に感じた。

もう来ないんだなぁって実感が全然ないまま後輩と笑って話しながら出た更衣室。

ソープフラワー、新居に飾る。

私はこの約3年間で何が出来たんだろう?
教えてもらうことばかりで、私が残せた価値なんか、本当に本当に些細なものだったと思う。

きっと、数年後に振り返った時に初めて「あの時のあの言葉はこういう意味だったんだ」と気づくことも、すごく多いんだと思う。

この約3年間を、ずっと忘れない。
守破離という言葉、大事にしていこう。


2回目の、さよなら東京。

最終出勤日の次の日、引越しをした。
スケジュールを詰め込みすぎたこと、本当に後悔した。笑

そしてその夜、近所の行きつけのキタナシュランに大好きな人たちをぎゅって集合させたら、最終的にみーんな仲良くなりすぎて、親戚の集まりみたいになって、あたたかくて楽しくて笑いが絶えなくて天国かと思った。

手で持つとふわふわする、米も海苔も鮪も美味しいマスターの鉄火巻きは一生忘れない。

綺麗すぎる鉄火巻き

カップラーメンと缶ビールを買って、引越し作業後の空っぽの私の部屋で二次会。

ほんとーに、虚無の城。


徹夜の引越し準備明けの私は途中で寝てしまい、朝4時にみんなに優しく起こされた。昨日が初対面のはずなのに寝てる間にさらに仲良くなった様子の3人を見ると嬉しくて、同時にもう気軽に会えないのかと、切なくなった。

バイバイはいつだって寂しい。


「出会いは別れのはじまりだからな」と、ある利用者さんが言っていた。悲しいけどさみしいけど、本当にそう。ミスチルにそんな歌詞の曲あったよね。それでも明日に胸は震えるんだよ。


母から言われた、「10年後を想像して生きなさい」。

私はこの人生で何ができるんだろうかと、今までも、ぼんやりは考えてきた。

けど、そろそろくっきりできあがりを思い描く頃かもしれない。
30歳からの10年は驚くほど早いらしいしね。

2023年の書き初め、「跳」。はねよう。

『最期をみつめ、今を活かす』
私の、株式会社佐藤春華の、ビジョンはこれ。

"最期を、どう迎えたいか"
その問いから目を逸らさずに、自分の身体・心・生活と向き合う。
向き合うことで、自ずと今するべきことが見えてくる。
その発見が今を活かす。

それを手伝える仕事がしたいなと思う。
そしてそのきっかけを増やすために、何か新しい仕事なり、サービスなり、文化なり、を作りたいなと思う。

私がファーストペンギンになって、それをみんなが使えるように残せるように、仕事をしたいと思う。

30代から体力どんどん落ちるよ〜、ってすっごく言われるから、この10年は本当に勝負どころなんだろうな。


今から3年以内にはプロフェッショナルに出てスガシカオのBGMと一緒にええこと言うぐらいにならないと。
5年以内には実績を論文か研究か何かで示せるようになって、学会発表とかしたりしないと。
10年以内に私以外のペンギンが海に潜れるように教えられるように、いっぱい試行錯誤しないと。

くー!

がんばろ。

あとね。

「はるおは、次のところで人生のパートナーを見つけそうだね」
大学時代の大好きな友人がそう言っていた。

かわいい


これも10年以内にあるかしら。
そこに関しては努力は難しいので、神様、仏様、頼みます!

そんな2月でした。いや、まだもう少しあるからね。
駆け抜けよう2月。



3月から何するの?ってことも、また書けたらいいな。
しばらく色んなところフラフラして、春からは兵庫に行きます。それはまた、追い追い。


ではでは、また。

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