![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/10706838/rectangle_large_type_2_988a186b567ff3c7e58c3a20364cb5e6.jpeg?width=800)
元学者の魔女みたいな方と、暖炉を囲んでした話。
もう、一ヶ月以上も前のことになる。
先日友人の紹介で、それこそ限界集落と呼ばれるような地に移住して1人で暮らしている、素敵な女性のところにお邪魔した。
彼女は元学者で、今もなお、全国にいる学友に会いに行っては知見を深めているらしい。
おしゃれな佇まいの家と、暖炉と、可愛い食器と、膨大な量の本。
その中にちょこんと立って「いらっしゃい」と微笑む姿は、THE・魔女!!!
・・・だった。笑
そんな彼女と語り合うこと約二時間。
彼女の言葉を聞いて、初対面にも関わらず、ボロボロと泣いてしまった。
感動というか、ショックというか、愛情の深さというか。
そんな彼女の言葉を、何かしらの形で自分の中に落とし込みたくて
そうこうしているうちに、一ヶ月が経ってしまった。
彼女の言葉をメモしたノートは、何度もなんども見返した。
でもやっぱり、まだまだ自分の言葉で表現し直すことができない。
というよりもむしろ、彼女の言葉に上書きしたい言葉がないのかもしれない。
なので。
今回は、彼女の言葉をひたすら、並べてみようと思います。
「集落というものはね」
「集落というものはね、行政が作ったものでなく、自然にできたまとまりなの よ。様々な合併を経ても、”集落”は結び付きが切れづらい。」
「でも、集落のつながりは永遠じゃない。集落内の関係性=”そこに居てこそ”の結び付き。だと思うわ。」
”終わり”の受容
「ダム建設のように行政的・政治的な理由でまとめて数十軒が否応無しに居住地を移転させられ、消えていくムラを見てきたけどね。もう『自分の地域がなくなる』って決まって、一度受け入れられたように見えた人もいた。」
「でも・・・”しょうがないね”と言う言葉があって、その後、 家の電気が止まって『いよいよか』と感じて、最後に壊し屋が来て家を取り壊す、でしょ?
・・・立ち直れないくらいショックを受けてるのよね。」
これを聞いたとき、私はキューブラ=ロスの”死の受容”を思い出しました。
”もうすぐ自分が死ぬ”ということを実感したとき、
1)否認と隔離
2)取引
3)怒り
4)抑うつ
5)受容
この5段階を経て、人は死を受容していくと、という論です。
思ったのは、自分の住んでいた地域がなくなる時、「これがもう一度起こるのかもしれないな」ってこと。
受容したと思った後に、実際に、本当に、地域の喪失が現実になる。
「そしたらきっと、1段目にまた戻っちゃうかも。もう一度この階段を登る必要があるのかもしれないよな・・・」と思ったんです。
「人間関係だけじゃなく、”自分”が崩れる」
私、聞いてみたんです。
「先生、それってやっぱり、近所の人とのつながりとか、コミュニティが崩れてしまうっていうところが致命的なのでしょうか」と。
そうしたら。
「地域の中のコミュニティが崩れるとか、隣近所との関係が変わる・薄れることも、もちろん、つらいよ。
「でもね。それも含めて、その人を取り巻く、家、周りの景色、近くの畑、裏の山、その地の空気・・・暮らしのすべてが、なくなる。『その地丸ごと』と、ともに生きていた。その地も含めて、自分だった。それを失うということは、自分の大きな大きな一部分を失うということ、よね。」
「なんでこんなとこ来た!こんなとこ、なくなるで!」
「ここに引っ越してきたときにね、近所のおばちゃんから、『あんたけぇ?ここに来たっていうのは!なんでこんなとこ来た!こんなとこ、10年経ったらなくなるで!』って言われたのよ。
「でもね、人の場合は本当にそうだけど、亡くなることは、必然じゃない?ただ、”亡くなり方”が大事だと思うの。」
「どこに住んでいたって、死ぬ瞬間が絶対に安心ということはないでしょ。だからこそ、医者は”治すこと”だけを目的としてはいけないと思う。」
「限界集落」という言葉の向こう側
「『限界集落、限界集落』って、みんな言うけどね。あの言葉の向こう側には、たくさんの形の地域があるんじゃないかって、思うの。」
「限界集落と言われるところは、どんどん集落から人が少なくなっていって、”消えかからんとするロウソク”のようなイメージがあるけど、決してそうではないわよね。なぜなら、そこには、集落に住んでいる人たちの生活が確実にあるもの。」
「一人ひとりを見れば、その人たちの暮らしは決して”限界”という名前の付くようなものではなく、ただそこにその人の生活が存在するだけ。戸数が減ったって何があったって、穏やかに生を全うして欲しいなって思う。」
「ここにいて、暮らしてきてよかった!と言える状態になれるようにするための・・・言ってみたら、”地域の終末期医療”が必要よね。」
答えはみんなの中にある
と、こんな感じで。
集落の未来についての課題は、答えが出にくい課題。
その理由って、それぞれの「どんな風に生きたいか」という願いを叶えるには、地域や人に合わせて考えなければいけないからだと思うんです。
当事者にしか、答えが出せない。
そらわからんよ。笑
だからこそ、
地域で生活する人、みーんなが、自分ごととして考える必要がある課題。
だと思うんですね。
と言うわけで。
https://www.facebook.com/events/692249374523766/?ti=icl
今週末、ガチで考える会、やります。
頑張ってちゃんと、レポします!応援してね!!!!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?