改めて、ムラツムギで、したいこと。
顔面セーフ
先日のこと。
「まちの終活やまちの緩和ケアなんか、当事者にとって意味あるの?
ムラツムギがやりたいだけの自己満プロジェクトでしょ?
大義名分は、あるの?」
・・・みたいな感じでボールが飛んできたんです。
それはもうね、顔面に直撃ですよ。
でも顔面だからアウトじゃないです。
これがいわる顔面セーフです。
そしてわたしは、そのボールを抱きかかえたまま睨み返したのでした。笑
ニーズ?そんなもんないですよ
そして、それをムラツムギの人たちに投げかけてみたんです。
そしたらある人(Tさん)が、
「ニーズ?そんなもんないですよ、何言ってるんですか今さら笑」
と言われてしまいました。
え…待って…?顔面セーフだと思ってたけど…アウトだった?わたし。ねぇねぇ待って待って。
と慌てたわたし。
ただ、そこで見放すほどひどいTさんではありません。笑
続けてTさんが言うには
「ニーズがあるなら、既に誰かがやってます。ないから誰もやってないんですよ。」
「ここで、なぜ人は終活をするのでしょう?を考えてみましょう。」
と。
終活の意味
終活の記録、つまりエンディングノートは、人生の引継書だと私は思っています。
本人にとっては、半分以上自己満足かもしれませんが、その自己満足の中には、残される人への思いやりも、たくさん含まれているでしょう。
何を引き継ぎ何を引き継がないのか、それを決めるのはもちろん残された人ですが、記録自体がなければ、その選択をすることすらできません。残された人も、その記録を見て感謝することは、きっとあるはずです。
「まちの終活」がもしあるとするならば、まちの共有物(習わし、作業、財産などなど)の引継書づくりになるのでは、と思います。ただ、モノやコトを書いてあるだけだと、引き継がれた人には価値がわからなくて取捨選択がうまくいきません。
だから、「モノやコトに対する歴史に対する思い入れ」も含めて書く必要があります。
そういう意味では、「まちのエンディングノート」っていうのは、名前としてちょっとマッチしないなと思います。
…と、Tさん。(本当はもっと長いメッセージくれた。感謝。)
「だからこそ、『まちの終活』をすることで残された人々が、かつての住人たちの思いを想像しやすくなるような記録作りが必要なんだ。そうだ。そうだーーー!!!」と、思った私でした。
緩和ケアの意味
その後、緩和ケアの意味についても改めて考えてみました。
「日本ホスピス緩和ケア協会」は次のように説明しています。
緩和ケアは・・・
・ 痛みやその他の苦痛な症状から解放する
・ 生命を尊重し、死を自然なことと認める
・ 死を迎えるまで患者が人生を積極的に生きてゆけるように支える
・ 家族が患者の病気や死別後の生活に適応できるように支える
・ QOLを高めて、病気の過程に良い影響を与える
(省略した箇所あり)
これを「まちの緩和ケア」として考えてみると、
まちの緩和ケアは・・・
・ 困りごとや心配ごとから解放する
・ 地域での生活を尊重し、地域の無住化を自然なことと認める
・ 無住化を迎えるまで住民が地域での生活を積極的に生きてゆけるように支える
・ 地域街に住む関係者が、地域の過疎化や無住化後の生活に適応できるように支える
・ QOLを高めて、無住化までの過程に良い影響を与える
と、言い換えられます。
これ、めちゃくちゃ大事なことだと思うんです。
特に、
地域での生活を尊重し、地域の無住化を自然なことと認めること。
今は、「過疎化に立ち向かおう!」という声が大きすぎて、人が減っていく現実を後ろめたく思ってしまう人が多いから。
「地域外に住む関係者が、地域の過疎化や無住化後の生活に適応できるように支える」
今は、地域の過疎化や無住化のことは心配ではありつつ、「どうしていいかわからない」という声がたくさん聞こえるから。
「QOLを高めて、無住化までの過程に良い影響を与える」
今は、無住化までの過程の日々に、とてもやるせなさがあるように思えるから。
緩和ケアのあゆみ
緩和ケアについて、こんなのもあります。
がん研究10か年戦略(文部科学、厚生労働、経済産業3大臣合意)の基本計画では、全体目標の一つに「すべてのがん患者とその家族の苦痛の軽減 と療養生活の質の維持向上」が挙げられています。
その根拠として、「身体的苦痛や精神心理的苦痛の緩和が十分に行われていないがん患者が3~4割ほどいる。 引き続き、緩和ケア等の提供体制の検証と整備が 必要。」と記載が。
がん対策推進基本計画中間評価の概要より
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10904750-Kenkoukyoku-Gantaisakukenkouzoushinka/0000089149.pdf
残念ながら、未だ人口減少して居る地域に住む人々の
「身体的苦痛や精神心理的苦痛の緩和が十分に行われているか否か」という調査結果には出会っていません。
というか、あったら是非是非教えていただきたいです・・・・・・・・・!
それでも、
今私たちムラツムギのオンライングループ「ムラツムギ village」にはたくさんの人の方がご参加してくださっていて、いつも共感の声をいただいています。
また、
一昨年の9月にムラツムギが主催した「活性化だけじゃないまちづくりの選択肢」というテーマのイベントでは、フェイスブックのイベントページで「興味あり」としてくださっていた方はなんと520名。
当日も、定員を大きく超える34名の方々にお越しいただいたことがあります。
しかも皆様にご所属を伺うと、課長さんとか部長さんとか、超多忙そうな方々が。そしていろいろな現場を見てこられてきたであろう方々が。
頂いた感想としても
「人も集落も同じだと思う。積極的治療と緩和ケアのどちらにするのか、という選択をするのは自分自身。どちらの選択が幸せなのか、を周りの人と一緒に考えるのが大事ではないか。」という声もありました。
調査結果こそありませんが、
人口減少して居る地域に住む人々の「身体的苦痛や精神心理的苦痛の緩和が十分に行われているか否か」という問いの答えは必ずしもNOではない。
ムラツムギ に共感してくださる、様々な現場のプレイヤーたちの声から、そんな仮説が立てられるのではないでしょうか。
「『農家の閉じ方』のマニュアルが欲しい」
この話をしたら、ムラツムギ のまた他の方(Mさん)がこんなことを言っていました。
この前、ある地域の農家の方から「『農家の閉じ方』のマニュアルが欲しい」って言われましたよ。
「周りの農家が辞めていく時に「うちのもお願い」と言われて、どんどん増えちゃってさ。こんなに増えちゃ手放しづらいけど、子どもには無理に継がせたくないんだ。どうすればいいか、わからない。」って。
そんな人、たくさんいるんじゃないか・・・・
そう思ったのは私の直感にすぎませんが、そこにも確実な「1つのニーズ」はあるんだと、実感したエピソードでした。
日本全国の耕作放棄地
ここで、耕作放棄地の話をします。
耕作放棄地の広さを東京ドームで換算し、平成20年から29年までの耕地面積の現象を表したデータがあります。
東京ドーム(0.047 km²)で換算すると、ここ10年で増加した「かい廃(減少要因)」は8,600haなので、およそ1839個分だそうです・・・・・・膨大・・・・・・・
「そんな人、たくさんいるんじゃないか・・・・」
先述の農家さんの言葉にそう思ったのは私の直感は、果たして直感にすぎないだけ、でしょうか?
ムラツムギ がやるべきこと
長くなりましたが、この記事は私の決意表明です。
いろいろと書きましたが、
・「まちの終活」をすることで残された人々が、かつての住人たちの思いを想像しやすくなるような記録作りをする。
・「まちの緩和ケア」をすることで、人口減少して居る地域に住む人々の身体的苦痛や精神心理的苦痛の緩和をする。
これは、ニーズとしては出てこないかもしれない。
私の自己満足かもしれない。
おせっかいにすぎないのかもしれない。
でもそのおせっかいで、安心してくれる人がいるかもしれない。
悲しみが和らぐ人がいるかもしれない。
その「かもしれない」に賭けてみる。
そんな人生もいいんじゃん!!!!!!
そう、心の中で叫びつつ、ボールは投げ返さず、静かに意志だけは燃やそう。
と思った週末でした。(考えすぎて夢にその人出てきた笑)
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
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