早稲田大学に入学してみてどうだった?その②【気まぐれ早大生】

気がついたら前回の投稿から早1週間が経っていました。4年生暇でしょ!と思われるかもしれませんが、卒業前最後の大学生活ということで、非参入で授業を取りまくってしまい大変忙しい日々を過ごしております…。

さて、本題に入ります。早稲田に入学して自分はどう変わったのか、二本目のお話になります。

私は以下の3つの観点から自分の成長について考えていて、

1. 学問への興味
2. 人との出会い
3. 授業から得た学び

今回は二つ目の「人」の観点からお話できたらと思います。

どの大学でもそうだと思いますが、大学という場は本当に様々な人が集う場です。出身もバックグラウンドも、年齢も異なる人々が学びにやってきます。そうした多種多様な学生と授業の中で交流をすることができたことは、非常に刺激的な経験となりました。

また、授業のタイプによってはゲストスピーカーを呼んでゲストの話を聞くものもあり、日常生活では関わることのできないような方々のお話を聞く機会も多くありました。そうした授業も、本当に勉強になりました。

そんな中で、特に印象的だった出会いがあります。それは、ある授業の中でゲスト講師としていらしていた、障害のある方との出会いです。

それまで障害を持って生きる、ということについて深く考えたことがありませんでした。漠然と、偏見や差別はよくないよね、もっと色んな人や色んな生き方が受け入れられるべきだよね、と思っていました。

でも、障害ということについて語るのはそんなに容易いことではありません。受け入れられるべき、と口で言うのは簡単だけれど、じゃあ具体的にどうしていったらいいのだろうかということは、考える程に難しいことだと分かります。

そして、そんな薄っぺらい考えしか持っていなかった私は何より、障害のある方との関わりがほとんどありませんでした。本当に真正面から向き合ったのは、その授業が初めてでした。

足に障害を持った方でしたが、その方の言葉で1番印象に残った言葉があります。原文ではないですが、以下のような内容でした。

俺は足が使えないけど、手も使えるし、頭を使って考えることもできる。障害がある、と聞くとできないことばかりに目を向けがちだけど、出来ることも沢山ある。

本当にハッとしました。

差別や偏見よくないよね、と言いながら、自分自身の偏見に気がついていなかったのです。「障害がある」と聞くと、その障害にばかり目を向けていました。

確かに何の障害もない人と比べると、生活しづらいと感じる場面もあるかもしれません。でも、障害のある方にとっては障害とともに生きることが日常であり、それが当たり前なのです。そのことを、私は考えられていませんでした。

この方との出会いを通じて得たことが2つあります。

1つは、今までお話ししてきた通り、障害に対しての考え方が大きく変わったことです。できないことではなく、できることに目を向ける。彼らも私たちと同じように生活を営んでいるということ。もちろん、障害の度合いにもよると思います。生きていくには誰かのサポートが必要な方もいます。でも、彼らも私たちと同じように、この社会を構成する1人の人間であるということです。

そして、2つ目が特に重要で、自分自身の中に存在していた偏見に気がついたということです。自分は差別や偏見をよくないと思っているから、そうした考えはあまり持っていないだろう、と思っている人にこそ、隠れた偏見があると思っています。まさにそれが私だったからです。

人間誰しも、自分が生まれ育った環境に大きく影響を受けています。何の偏見も持っていないという人はいないはずです。自分は差別なんてしたくない、だけど自分も何か偏見を持っているかもしれない、そういう心持ちでいることが大事なんじゃないかと思います。

また少し長くなってしまいました。人との出会い、と言いながら、9割障害についての話になってしまいました。これもご愛嬌ということで…

では、今回はこの辺りで失礼します。
最後までご覧いただきありがとうございました。

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