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【第11話】ラジオがやっぱり好き

2021年 3/22の日記

心にモヤモヤを感じると、疲れ果てるまで散歩する癖がある。その時に歩きながら聞くラジオは、自分にとてつもない元気を与えてくれる。

自分はお笑いが大好きだ。漫才もコントも大喜利も大好きだけど、ラジオはその中でもちょっと特別だ。

自分だけかもしれないけど、心にダメージを負っている時に、漫才やコントを見る気にはなれない。「そうは言っても、心に傷負ってるしな。」と我に返ってしまう。でも、ラジオなら聴ける。「こんなすごい人でもこんな事思うんだ。」と口角が自然と上がる。

先日聴いた、パンサーの向井さんがやられている「向井と裏方」という番組で、放送作家の藤井青銅さんがゲスト来た回の話がグッときたので書いておきたい。

青銅さん曰く、
「大きなオチが最後にあるけど、途中が面白くない話は聞いてられない。それよりも、大したオチはないんだけど、話の途中が面白くて、語り手の心の動きが分かる話の方が自分は好きだ。オチがなくたってジングル打っときゃいいんだから。」

自分がぼんやりと思っていたラジオの楽しい部分が、綺麗に言語化されている気がして、めちゃくちゃ腹落ちした。

「すべらない話」のような大きなオチがあるトークも面白いんだけど、日常の些細な一コマを切り取って、その中に語り手の感情とか偏見とか不合理さとか、色々詰まっているのが好きなのだ。

自分は、そっちの方が人間味があって、この人ってどういう人なんだろう?もっと話を聞いてみたい!となる。

お笑いをこれまで見てきて、「オチのある話をしなきゃいけない」という強迫観念が心のどこかにあった。友達と話す時も、「この部分をフリとして言っとこう」「これをオチで言おう」と意識して話す場面があった。

もしかしたら、少し心が貧しかったのかもしれないな。オチがある話も面白いけど、オチがないのになんだか面白い話もある。

話す時も、聞く時も、心の動きに注目するともっと楽しいかもしれない。

自分の心の動きに注目すると、今まで見えなかったものが見えるかもしれないな、と。

ちなみに先週の「ハライチのターン」も、ゲストの満島ひかりさんがパワフルで非常に面白かった。

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