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不登校から教員への道④ 大学受験とわたし


1.はじめに

こんにちは、四葉ハルノです。前回は高校生時代の不登校経験と成長についてお話ししました。今回は、私がどのようにして大学受験に挑戦し、それを乗り越えたかについてお話しします。この経験は私にとって大きな転機となり、未来への道を切り開くきっかけとなりました。

2.大学の選び方

私は、無駄に自信がある子どもでした。
不思議と「大学には当然行く」ものだと思っていました。
不登校経験を経ても、何故かその自信は揺るがず、「大学は行くもの」だと思っていたのですが……いざ高校3年生になり、大学受験が直近のものになってくると、どの大学に行けば良いのかわからなくなってきました。
早稲田、慶応、立教……有名な大学は、学力的に手が届くはずもなく……。
しかし、そのときの私は、「小説家になる」という、明確な目標がありました。
元々本を読むのが大好きで、中学生の頃には宮部みゆきや高村薫を愛読していたのは先述した通りなのですが、高校生になって、他の小説を読もうとしても、食指が動かないのです。生意気にも、文体に好みがあり、本屋さんで気になった本を手に取っても、最初の数行でピンと来ないと棚に戻す、ということが続いていました。有名な文学でも、生々しい描写があるものは興味がひかれず……。「私が書くしかなくね?」と、自分が面白いと思う小説を書けるという、謎の自信がありました。
そのために、まず、文学を学べる大学に行きたい、という目標ができました。
そこで……「関東近郊の文学部がある大学」の資料を片っ端から請求しました
これが、とてもよかったです。
有名大学しか知らなかった私の視野が、一気に広くなりました。
一冊ずつ読むと、それぞれの大学の特色がよくわかります。
その中で、文学だけではなく、メディア全般を学べることを謳い、更には教員免許を取ることができる大学を見つけて、「ここだ!」と、ピンと来てしまったのです。

3.オープンキャンパス

ピン!と来た大学の、オープンキャンパスに行くことにしました。
両親も協力的で、連れて行ってくれました。
オープンキャンパスで行った大学の雰囲気も、とても好印象でした。
余談ですが、大学在籍時に事務局から声が掛かり、このオープンキャンパスに流れる在学生インタビューの映像に抜擢されました。そう考えると、色々な不思議な縁が繋がって、今に至っているなとしみじみと思います。
そのオープンキャンパスの説明会で、「AO入試」なる入試の存在を知ります。
詳細を聞き、迷わず、AO入試を受けることに決めました。
この、資料請求→オープンキャンパス→AO入試までのスケジュールは、とてもタイトだったように記憶しています。これもある意味、運命的だったと今になって思っています。どのチャンスを逃しても、今の私はなかったな……。

4.AO入試

では、そのAO入試はどのようなものだったかというと、
・論文
・集団討論
・個人面談
という内容で、なんと……学力が……問われない……!!!
しかも、論文は私の大大大得意な分野。
受けない理由がありませんでした。
一次試験は論文のみで、いくつかの課題の中から、選んだものに対する考えを書く……というものだったような気がします。確か、芥川龍之介の「羅生門」に対する課題だったような……。かなり昔の記憶なので曖昧も良いところです。
なにしろオープンキャンパスに行ったのが急だったので、締め切りギリギリの提出になりましたが、無事に一次試験合格という旨の連絡がきたときは、小躍りしたものです。
二次試験が、集団討論と、個人面談でした。
どんな課題かは全く覚えていないのですが、東京の校舎で行われたこの二次試験のときに出会った人と初めての恋人になったり、今でも交流が続く友達になったりと、こうした場での出会いもご縁の一つだな~と思います。
個人面談のときの教授はあやしい二人組だったのですが、その教授とも、大学時代にとてもお世話になることになります。
ちなみに、大学選出~受験まで、高校には一言も伝えていませんでした。
受かったら言えばいいか~、ぐらいの、すごい軽い感じです。
面接練習も、集団討論の練習も、何ひとつしていなかったのですね……。よく受かりましたね……。
今はわかりませんが、当時の通信制高校は「高卒の資格が取れたらいいか」ぐらいのテンションで在籍する人が多く、そもそも進路指導がなされていなかったというのもあるかもしれません。

5.合格

AO入試の二次試験があったのが7月後半から8月前半ぐらい?で、9月後半に、合格発表の手紙が届きました。
無事に合格し、私の進路が決まった瞬間でした。
ーーここまで書き連ねていて思ったのですが、私の大学受験の決め方は、
「文学を学びたい」
という目標ありきでした。
しかも、1つの大学に絞って受験したため、多くの場合は参考にならないかもしれません。
AO入試は合否がわかるのが早い段階のため、もし不合格だったら、そのときは違う大学や違う手段を考えたと思いますが、この大学はセンター試験だと偏差値が結構高めだったらしく、高校の全日制にいた友達は受験したけど落ちたと言っている子がいました。センターだったら確実に無理だったな……。
ただ、逆に考えると、
「目標があれば、学校に頼らず自分で進路を決めることができる」
とも言えます。
通信制に通った私の親友も、イラストを描くのを仕事にするため、イラスト系の専門学校へ進学しました。
不登校の強みは、「時間がいっぱいある!」こと。
つまり、「好きを極める」ことができるのです……!!!
「好き」を極め、その先が「自分の将来=仕事」につながるものだと信じていれば、きっと道は拓けるはず。

6.おわりに

ちょうどこれぐらいの時期が、AO入試の締め切りだったような気もしています。
今の学校の進路指導は、「子どもの学力に合った大学」を勧めることが基本な気がしています。
また、子どもたちの中でも、「将来の目標がない」「何がしたいかわからない」という子も多く、だから偏差値で決める方法が一番手っ取り早いのかもしれません。
そうではなく!
そうではなく……。
子どもたちが、子どものうちから、「自分のやりたいこと」を自信を持って伝えられるようになり、大人も、それに対してのバックアップを全力でできるような社会になっていくといいなと思っています。
ただ、私自身も、「小説家になりたい」という目標を持って大学に進学したにも関わらず、結局「教員」になっているので、将来は変わる場合も大いにあります。
しかし、それも、大学に通ったからこその変化なのです。
というわけで、次回は、「小説家希望だった私がどうして教員を選んだのか?」というところを、お話できたらと思います!
ここまで読んでくださってありがとうございました。

※アイキャッチ画像はChatGPTに生成してもらいました。

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