今宵、月の裏側まで。小宵の2周年ワンマンライブを観に行った

 10/31。小雨の降る日。例年は渋谷のスクランブル交差点が仮装パーティのようになる日。そして小宵の2周年ワンマンライブの日。
 日曜日の池袋はかなりの人出だった。緊急事態宣言も解除されかつての日常を取り戻しつつあるのかもしれない。
「コロナが終わったら……」なんて、来ないことの象徴のように使われてきた言葉もようやく言葉通りの意味で使える日が来るのかもしれない。

 当日はバタバタと行動していた。やることがいくつかあったのは事実だったのだが、それは主に計画性のなさに起因するものだった。
 ビックカメラ、パルコ、西武と駆けずり回りプレゼントボックスに入れるものを探した。そこまではよかったのだが、贈り物に手紙を同封する発想が全くなかった。開場一時間前に思い至るも当然手元に気の利いた便箋はなく、苦肉の策としてコンビニでメモ帳を買うことにした。最低限誰が差出人か分かればよいというくらいの、手紙と呼ぶにはいささか情緒の不足した紙を入れた。最大の後悔要素なので次があるならもっとずっと体裁を整えて臨みたい所存。加えて実は保証書用レシートの同封を忘れていたのでなにかあれば送付します。

 そして池袋HUMAXシネマへ。
 屋外の喧騒から離れ、館内はとても静かだった。映画館には世界から隔絶された非日常がある。
 ライブ会場の地下に潜るアングラ感も嫌いではないけれど、2周年を祝う会場としては映画館は適していたと思う。あと単純にわたしが映画館が好きという話でもある。
 チケットを発券し物販で新譜と公演パンフレットを入手して、プレゼントボックスに紙袋を入れた。
 なにか贈り物をするとき、友人関係であればアマゾンなどで直接届くよう手配してしまうことが多かったため、実物を見て相手になにを贈るかを考えるのは久しぶりだった。
 コラボドリンクを買い、「いんすたばえ」などとツイートをして待っていると開場時刻になった。
 18時にシネマ1に入る。映画を見るときのクセで最後列の座席を取っていた。今思えばもっと前でもよかったと思う。
 始まるまでの時間がもどかしくてそわそわして、何度となくツイッターのTLを更新していた。

 長かった開場から開演までの30分が過ぎ照明が落ちる。
 小宵の声のアナウンスが流れるもそれはところどころノイズの走ったものであった。つまりもう小宵のライブは始まっているということだった。

 そして今宵、彼女は私たちを月の裏側まで連れて行くのだ。

 ライブは終始朗読と歌唱で構成され、小宵のMCは一切なかった。彼女曰くMCが得意でないこと、また好きなアーティストがストーリー仕立てのライブをやっていたことが理由で、今回のライブは物語の朗読劇のような、映画のような構成のライブになったそうだ。
 一曲目の歌い出しからもうとんでもなく仕上がった小宵さんであることがうかがえた。音源で何度も聴いた声がシネマ1に響いている。いや轟いていると言っても過言でない迫力があった。
 小宵がそこにいてそこで歌っているという事実を突きつけられて涙が目尻に貯まる。
 VRでのライブはアーカイブで見たことがあったものの、モニター越しと眼前で歌う小宵の迫力は全くの別物だった。
 本当は一曲ごとに拍手をしたいくらいの興奮であったが、それを許さない緊迫感がライブだった。
 歌唱も朗読も拍手を差し挟む余地などないよう矢継ぎ早に披露される。MCがないこともあり披露された楽曲数は相当であった。
 セットリストを覚えたりメモをする余裕もなかった。今後同士視聴などの形で会場に来れなかった方へのフォローもあるそうなのでそちらに期待したい。

 元来わたしは潜在ファンでいることが多い。それは相手に認知されることに対する恐ろしさのようなものを覚えてしまう上に、一方的に好きでいるほうが気が楽というか気兼ねする必要がないと思っているからだ。いわゆる活動を辞めたときに多数出現する「ずっと好きでした」とコメントするタイプに類する。陰ながら応援していますタイプともいう。
 見えない応援はいないのと変わらないし、秘めたる思いを相手が感じ取ってくれることはない。声を大にして応援することは少し恥ずかしくもなるが、自分のその少々の羞恥心で応援する対象が元気になってくれたり活動を続けてくれるなら、自分の羞恥心など些事に等しい。
 わたしの応援で活動が継続する、などと思うのはあまりにも傲慢であるが、応援がクリエイターの前進するための燃料にでもなるならそれでいい。むしろガンガン燃やして欲しい。応援はコスパがいいので応援している人がいるならみんなガンガンして欲しい。そして燃やしてもらおう。
 わたしも文章を書くという創作活動をしている。この文章もその一つだし、最近は書いてないけれど小説も書く。なにかしら自分で作ったものを世に出したことがある人なら共感してもらえると思うが、たった一言の「面白かった」とか「よかった」と言われたり書かれたりするだけでとても嬉しくなる。それらのコメントはものの5秒のかからず書き込めるだろうけど、受け取った側はそれをいつまでも燃やして歩き続けるし、なんならスクショもする。いやスクショはわたしだけかもしれない。
 とにかく顕在化する応援は多少の恥を忍べばする側は安価だし受け取る側も超高燃費で走れるので、とどのつまり推しがいるならめちゃくちゃ応援しようということだ。

 そしてめちゃくちゃ応援するぞ、という気概でライブへの参戦を決め、なんならチケットは発売開始時刻に張り付いていたので最速で買っていた自覚はあるのだが、チェキ付のグリーティングチケットが告知されたときはだいぶ悩んでしまったのである。これはもう決定的な認知をされる行為であるため、応援する書き込みの恥はかなぐり捨てても、推しの眼前に立つのは難易度が段違いだ。
 いやだって推しが目の前にいて冷静でいる方が不可能という話だ。
 最終的にはグリーティングチケットは買ったしトークもチェキも最高に楽しんだのだけど、その話は一旦のちほど。

 ライブは進行していく。楽曲は1stアルバム「分裂する世界系」を中心に「アガルタ・マカブラ」やゲストやコラボでボーカルを務めたもので構成されていた。カバー曲は一切なく、全て小宵が関わった楽曲であった。
 2年の活動でこれだけの楽曲を擁していることは小宵が精力的に活動してきた証左に等しい。
 オリジナルの楽曲にはカバー曲では出せない魅力がある。その人のために作られた楽曲であること、それだけでとにかく嬉しい。

 ここからは厄介オタクの文章が続くので少々注意して欲しい。わたしは全て同じコンポーザーの楽曲でアルバムが制作されているほうがより嬉しくなる。
 今はその妙なこだわりは薄れているもののアルバムを通してコンポーザーが同じだとアルバムにおける統一感や世界観のまとまりを感じられるように思い、それが好きなのだ。
 様々なコンポーザーがアルバムに参加することは各々の想像するアーティストの世界が垣間見えるのでそれもまた面白いと思えるようになった。提供楽曲を漁ることでまた新たな音楽を知るきっかけにもなるのでどちらも魅力的だ。

 小宵の楽曲においても従来はマッチさんがほぼ全ての楽曲を作っていた。しかしAfterImage解散にあたり今後の小宵の活動では様々な方が作曲をしていくことだろう。
 いわば小宵第一章が終わり第二章に移行したということだ。
 M3とライブ会場でリリースされた「月の裏側」はその第二章の一歩にあたる。

 そんな「月の裏側」もライブで歌われた。ポエトリーリーディングを大体的に扱った楽曲だ。小宵本人もポエトリーリーディングの楽曲は人気があることをライブ後の配信で語っており、そういった要素も汲み取ったものなのだろう。
 これからマッチさんの楽曲とは違う小宵の世界が見られるに違いない。

 最後の楽曲も初披露の「漂程(Live Arrange)」ということで、やはり新たな小宵を提示するかのような終幕だったと思う。

 そしてエンドロールとエンドカードが映り、全ての公演が終了したとの小宵のアナウンスでライブは幕を閉じた。
 会場が映画館であったことも含め、歌唱した曲を劇中歌として掲載するなど非常に面白い取り組みであった。
 エンドカードには落下する小宵の影と背景には月。更に「SEE YOU TOMORROW.」の文字。
 てっきりパンフレットの最後のページの小宵のコメントと似たニュアンスで「また明日」と書いてあるんだろうとか、明日の配信のことを言っているのだろうなとか考えていたがそれはどちらも外れていた。
 今思えばコラボドリンクは「月に落ちるブルーハワイソーダ」でライブの題名は「鏡の向こう、月の裏側」、そしてエンドカードのイラストと、ヒントは多数あったわけだ。
 ライブ翌日の配信中に応援してくれる方への感謝を込めた「月に落ちる」のMVが公開された。振り返ればこんなにも伏線があったのに案外想像に至らないものだった。

 終演後には小宵とのトークとチェキの時間が待っていた。トークはともかくとしてチェキというものを撮ったことがなかったので、どのように他の参加者が対応するか見ようとゆっくりと待機列に向かった。しかし先着順ではなく最初に来た人が最後になるよう並んでいたため、わたしの順番は最初になった。目論みはもろくも崩れ去った。
 案内の方に小宵さんの準備ができ次第始めますと言われ、ほどなくして時間になる。
 小宵が現れてわたしは指示された場所まで移動する。
 挨拶と名前を告げ、ライブが素晴らしかったこととプレゼントを贈った旨を伝えた。
 会話をする小宵は歌唱のときとはかなり印象が違う。歌声は張り詰めた印象があるが会話の小宵の声音はなんというかふにゃふにゃしている。ふにゃふにゃ具合は配信アーカイブなどをご覧頂くとして、短い時間であれど感謝は伝えられたし、好きな楽曲はありますか? という問いには「月に落ちる」「夏は死の匂い」と答えた。まさか翌日「月に落ちる」のMVが公開されるとは微塵も思っていなかった。
 そしてチェキを撮ったのだが照明や機器の関係でもう一度撮影をすることになり、2枚のチェキが手元にある。2倍になったので得した気分だ。
 撮影したものがすぐに現像されるチェキはカメラそのものの解像度はスマホのカメラに及ばないのだろうけど、画質の良さよりも素敵ななにかを感じさせた。
 データのみと即座に現物がでてくるということ、この違いはやはり大きいのだろうなと思った。
 チェキはツイッターにもアップした。撮影したチェキを小宵が見ることができないのはもったいないと思ったからだ。
 他の方の会話を見守り全員終わったところで、並んで挨拶をすることになった。
「なにかの集会みたい」と小宵は苦笑していた。

 そうして月の裏側から帰還した。あまりにも楽しくて終わったことによる喪失感すら高揚感が上回っていた。
 スマートバンドの心拍トラッキングは正直でずっと興奮していたことを記録している。走り回っていたかのうような心拍数で笑ってしまった。
 あれから数日、余韻に浸りすぎて皮膚もふやけていそうだ。
 曖昧になりゆく記憶を繋ぎ止めようとこの文章を書いている。すでに細部は記憶から流れ出しているくらいだけど、ここに書き記せば読み返したときにまた思い出すかもしれない。
 夢のような日の思い出も繰り返す日々で緩やかに失われていく。それでもその瞬間が楽しかったことだけは忘れないし、チェキや公演パンフレットを見れば忘れたと思っていても鮮やかに蘇る。
 公演パンフレットの最後のページ、小宵手書きの文章がとても印象的だった。

 またどこかでお会いましょう。そのときを楽しみにしています。

西田ハル

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