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樹木図鑑vol.10 クスノキ どんなものでも、個性は多面体

学名 Cinnamomum camphora
クスノキ科クスノキ属
常緑広葉樹
分布 関東以西の本州、四国、九州、済州島、南西諸島、台湾、中国南部、インドシナ
樹高 30メートル
漢字表記 楠/樟
別名 クス

「庭に植えたくない樹はなんですか」
こんな質問が来たら、ぼくは迷わずクスノキです、と答えます。なぜなら、ぼく自身がクスノキの被害者の一人だからです。

初対面は好印象

↑クスノキの成木はこんな感じ。この個体はぼくが10年前に住んでいた家の近くに生えていて、保育園からの帰り道に毎日見ていた。(後述) 2020年5月21日 兵庫県神戸市

ぼくが6歳のとき、ぼくの家族は今住んでる一軒家に住み始めました。引っ越した当時、家の裏庭にはでっかいクスノキが生えていました。近所の高齢のおじいさんによると、そのクスノキは第2次世界大戦中から同じ場所に生えているらしく、空襲にも阪神大震災にも耐えてすくすくと育った、とのこと。
たしかにそのクスノキの樹勢は旺盛で、青々と葉っぱを繁らせた姿を毎日のように見上げていたことは、10年経った今でも覚えています。

クスノキの枝は家の裏庭全体を覆い隠しており、昼間でも庭は薄暗く、家の最上階の窓を見ても視界にうつるのは葉っぱだけ。1階のキッチンにも日はあまり入って来ませんでした。
ただ、僕はこの暗さが嫌いではありませんでした。真夏でも庭や1階の部屋はクスノキの影になって涼しいし、朝ごはんを木漏れ日の下で食べてる気分になって心地いい。

っがしかし。引っ越して1年経つと、そんな悠長なことを言ってられる状況ではなくなりました。

↑クスノキの枝ぶり。枝と枝が重ならないように成長している。1個前の写真と同じ個体。2020年5月21日 兵庫県神戸市

常緑樹だからって落ち葉掃除が楽なわけじゃない

↑クスノキの樹皮。2021年2月15日 兵庫県神戸市

引っ越して1年ほど経った春。
クスノキが数日間の間に、突然大量の葉を落としました。ほんとに大量。庭を歩くと運動靴が落ち葉で埋まってしまうぐらいです。
葉がほとんど全部落ちて枝がすっからかんになっていたので、「枯れたのかな?」とも思いましたが、枝先に新芽が膨らんでいたので生きてはいる。

クスノキは常緑樹なので、葉を落とすにしてもちょっとずつしか落とさないはず。秋に一斉に落葉する落葉樹に比べて、落ち葉掃除の負担は少ないだろう。家族の全員がそう思っていました。

しかし実際には、裏庭のヤツは4月下旬という非常に短い期間に枝についてる葉っぱを全部地面に散らしまくっている。おい、話が違うぞ。


↑クスノキの花。あまり目立たないが、落ち葉掃除のときにはこの花も掃かなくてはいけないので、結構うざったい。
2020年5月14日 兵庫県神戸市

なんとクスノキには、わずか半月ほどですべての葉を散らし、その後すぐに新芽を展開させ、すばやく葉の世代交代を行う、という変わった性質があったのです。つまり、クスノキと暮らすなら、1度に凄まじい量の落ち葉を掃除する、という地味なくせに過酷なミッションを耐え抜く強靭なメンタルが必要である、ということ。全然楽じゃない。ぼくらの家族は引っ越したあとにこのことに気が付きました。

クスノキの特殊な性質

↑古い葉を落とし、新しい芽を展開させている途中の個体。これから落ちてしまう古い葉は枝を離れる直前に赤く紅葉する。一方、クスノキは新芽も赤い。そのため、クスノキは春先に"紅葉"しているように見える。春先に一斉に葉を落葉させる性質から、クスノキは「落葉樹型常緑樹」とも呼ばれる。
2020年4月16日 兵庫県神戸市

さて、当時のぼくは樹木の知識があまりなかったので、クスノキがどうしてこんな特殊な性質を持ち合わせているのか見当がつきませんでした。
でも何年もあとに調べてみると、どうやらクスノキの落ち葉一斉撤去には、深い意味があったらしい、ということが分かりました。

常緑樹は年中葉を繁らせていますが、もちろんずっと同じ葉を使っているわけではありません。常緑樹も落葉樹と同様、古い葉を落とし、新しい葉を展開させる、というサイクルを行っています。しかし常緑樹の場合、落葉樹とは違って一斉に古い葉を落とす、ということはしません。どの葉がいつ落ちるか、というのは個々でバラバラ。だから年中枝には葉が必ずついており、木が丸裸になることはないのです。
さらに、常緑樹の葉は冬を越すために丈夫にできていて、落葉樹の葉っぱに比べて分厚く、硬いです。この頑丈さのためか、常緑樹の葉の寿命は2〜3年と、比較的長くなります。


↑古い葉から新芽に、引き継ぎが行われている真っ最中の枝。お疲れ様でした、と頑張っての両方の声かけが必要。2021年3月29日 兵庫県神戸市

前述した通り、クスノキも常緑樹なのですが、彼の性質は一般的な常緑樹とは大きく異なります。
まず、彼の葉っぱはそんなに丈夫ではない。寿命は1年程度です。
この、葉っぱの耐久性をあえておろそかにする、というのがクスノキの生存戦略なのです。

葉っぱを頑丈にするには、細胞壁を分厚くしたり、葉っぱの表面に層をつくったりしなくてはなりません。こうした設備を葉に搭載するには、余分にタンパク質が必要となります。さらに、細胞壁が分厚くなると、葉の内部に到達する二酸化炭素の量も減少するため、光合成の効率も低下します。
ならば、いっそのこと耐久設備を導入するのはやめて、それに使うはずだったタンパク質を光合成に充てればいいんじゃないか。そしたら葉の表面が過度に分厚くなることもないので、二酸化炭素を十分にとりこめる。光合成の効率は飛躍的にアップだっ!

こうして、大量の栄養素を効率よく合成するハイスペックな葉を手に入れたクスノキ。しかしその代償として、彼の葉の寿命は、たったの1年となります。まともな防寒具を持たずに冬を越すのですから、当然っちゃ当然。そして、天寿を全うした葉たちは、毎年春に一斉に木から落ちていきます。
これが、僕たち家族を掃除の地獄へとたたき落としたあの現象の正体だったのです。

掃除以外の深刻な問題

↑たわわに実るクスノキの実。鳥の大好物。
2021年2月1日 兵庫県神戸市

さて、クスノキはそれからの数年間、大量の葉を毎年散らせ続けました。やがて、それらの落ち葉は、掃除の負担以外にも様々な問題を生み出していることが発覚します。
ある日のこと、隣に住んでいる高齢のおばあさんが家を訪ねてきて、とくダネのリポーターのごとく被害の生中継をはじめました。
中でも印象に残ったのがこのセリフ。
「ベランダで干している靴下を家に取り込み、履こうとして足を突っ込んだところ、靴下の内側が落ち葉で充てんされていた」
風で落ち葉がおばあさん宅のベランダまで飛んでしまったのでしょう。
乾燥したクスノキの枯れ葉は足で踏んだりすると粉々に砕けます。おばあさんいわく、足を靴下に入れた瞬間、なかの落ち葉が砕け、その破片が靴下の布地に絡まり、靴下一足まるまる使用不能になった、とのこと。めっちゃうざいやつやん。クスノキの葉にそんな攻撃力があるとは知らなかった。
当初、ぼくはこの話が本当なのかどうか、疑問に思っていました。干してある靴下のなかに落ち葉が入るって結構難易度高いぞ。そんなウルトラマンDASHの特集みたいなことが簡単に起こるのか?
しかし、嘘にしてはおばあさんの話の描写がリアルすぎる。だから、ぼくはこの話を信じています。


我が家のクスノキは、バッティングセンターで遊ぶ高校生のように、一日に何回も葉を飛ばし、となりのおばあさんの家のベランダにヒットさせていたのです。その結果、「下手な弾も数うちゃ当たる」の原理で、靴下の口という非常に小さな的への投球を成功させてしまった。
陳謝するしかありません。
それだけでなく、ヤツは隣家の敷地内の溝にまで落ち葉を散らし、排水溝をつまらせていました。
落ち葉問題は、もはやうちの家族が掃除をするだけで解決できる問題ではなくなっていたのです。そこで、引っ越して5年がたった夏、根本的な解決を図りました。

業者に枝を取り払ってもらうことにしたのです。

戦線第2期

小学6年生の夏休み、業者がやってきてクスノキの剪定を行いました。
作業はわずか1時間半で終わり、キッチンは眩しいくらい明るくなりました。3階から見える景色も、葉っぱから夕焼けに変わりました。

これで落ち葉地獄から開放される…‥‥家族みんなそう思っていました。しかしこの考えも甘かった。

枝を払って半年後の春。クスノキの切り口から小さな赤い芽が出てきました。クスノキの萌芽能力の強さは知っていたので、これは想定内。当初はあまり気にかけていませんでした。
ところがどっこい、この芽の成長スピードが常軌を逸していた。親指の爪ぐらいの大きさだった赤い芽は、3ヶ月後にはぼくと身長争いができる大きさになりました。5ヶ月後にぼくの身長は惨敗。子供2人隠せそうなブッシュと化しました。
そして翌年の春にはお約束の落ち葉地獄。

おいクスノキよ、お前不死身なの?ディオの生き血でも飲んだの?たった1年でもとのわさわさした姿に戻るなんて。枝払いですべてが終わると思っていたうちの家族の頭の中は、ただただ混乱していました。

しかし、これもクスノキの性質を考えたら当然っちゃ当然のことでした。
前述したように、クスノキは葉の防御機能を犠牲にして飛躍的に光合成の効率をアップさせているのです。成長が格段に速いのは当たり前と言えます。大量の落ち葉を落とし、切ってもまた次の年に枝を伸ばす。この性質、落ち葉を掃除する我々を挑発しているとしか思えません。

弱みを握られた

↑クスノキの葉と実。2021年1月29日 兵庫県神戸市

何回切っても枝が出てくるのであれば、いっそのこと伐採すればいいのではないか。そんな案が家族から出されたこともありました。
しかし調べてみると、それは不可能であることがわかりました。

裏庭のクスノキは、石垣でできた斜面に根をはっています。伐採業者の見立てによると、もしクスノキが枯れてしまうと、石垣の基礎を支えている彼の根っこも無くなってしまうため、自動的に石垣が崩れてしまう、とのこと。そんなことになれば我が家はポンペイ遺跡になってしまう。
クスノキは直根性で、根を張る力も強いため、石垣の基礎ぐらいであれば簡単に入り込めてしまうのです。

「俺を殺せばお前たちの家が危ないぞ!」
完全にこちらの足元を見られました。生きるか死ぬかの瀬戸際なので、クスノキも必死なのでしょう。
しかし、この駆け引き、こちら側の負けです。石垣を守ってもらうために、クスノキには生きていてもらわなくてはなりません。

かえって作業がきつくなる

クスノキが完全に枯れてしまわないようにしながら、落ち葉の量を減らすには、定期的に枝を剪定するしかありません。

結局、ホームセンターで買ってきた高枝切り鋏を操り、大枝を切り落としてゴミ袋に詰め込む、という作業で何日か休日をつぶすことになりました。

↑自生に近いクスノキの群落。2020年10月25日 兵庫県神戸市

こんなん落ち葉掃除どころかもはや林業です。作業内容が急激にタフになったぞ。
なんだこの仕打ちは。
うちの裏庭は吉野の山奥じゃないぞ。なんで枝打ちで休日がつぶれるんだよっ。

自分がクスノキの奴隷と化している現実に、だんだんメンタルがやられていきました。

さらに、枝をこまめに切っていても、木自体は健全に生存しているので、落ち葉はやっぱり飛ぶ。
するとまた隣家への投球が始まり、おばあさんの洗濯物に危機が迫ります。
クスノキよ、あかん、あかんよ。

おばあさんに会うとまた被害状況の中継が始まる……
それが怖くて、だんだんぼくはおばあさんとの接触を避けるようになりました。 
おばあさんを道端で見かけると鉢合わせしないように別の道に迂回したり、玄関で見かけたら家の中に逃げ込んだり。

組織から逃走したマフィアの下っ端のようなビクビクした生活。その原因がクスノキの落ち葉というのが何だかカッコ悪い………

クスノキの落ち葉との長い長い戦いに、まだ終止符は打てていません。
「クスノキ鬱」という名前の精神疾患があっても、不思議ではないと思います。

良いところもたくさんある木です

↑神社に植えられたクスノキ。古くから信仰の対象だった。2021年2月16日 兵庫県神戸市

さて、ここまでぼくがクスノキから被ってきた被害を書き連ねました。庭に植えたクスノキは、木ではありません。拷問器具です。トトロでも住まわせない限り、大した使いみちがないので、庭にクスノキを植えるのは絶対にやめましょう。心の底からこれを伝えたい…‥‥‥

しかし、誤解しないでいただきたいのですが、ぼくは決してクスノキが嫌いなわけではありません。
むしろ大好きです。

クスノキはほかのどの樹種よりも効率よく光合成を行うとことが得意なので、大木に育ちやすいです。
日本に生育する常緑広葉樹の中では最も大きく育つと言われています。実際、日本最大の巨樹は鹿児島の「蒲生の大楠」です。

↑遠くからも目立つ、クスノキの大木。
上の写真と下の写真は同一の個体。
2021年2月7日 大阪府門真市

クスノキの大木の姿って、本当に美しい。これが、ぼくがクスノキが好きな一番の理由です。
保育園の通園路には、でっかいクスノキの大木が立っていて、毎朝その木を見ながら歩いていました。あのとき彼があんな雄大な姿を見せてくれたからこそ、いまぼくは樹木をこんなにも好きになれているんだと思います。
風格あるクスノキの大木の姿は、古来から人々の心を捉えており、神木として崇められてきました。巨木でなくとも、クスノキの独立木のこんもりとした愛らしい樹形は、多くのファンを引きつけています。
兵庫、熊本、佐賀、鹿児島では「都道府県の木」の指定を受けています。
日本人は、クスノキ好きな民族なのです。

幹が太くなって材も取れやすいため、木材としての利用価値も相当高いです。

街路樹のクスノキが剪定されているときにそばを通ると、ツンとした香りを感じることがあります。この匂いは、クスノキの材に含まれる樟脳が原因。この樟脳には防虫効果があるため、クスノキ材をタンスや箱として利用し、中に衣服や書類をいれると、虫害を防ぐことができました。
また、クスノキの材は精油成分も多く含まれており、水にも強い。この性質を利用し、古代の西日本では丸木舟を作る際にクスノキを用いました。
実際、大阪湾の沿岸では、クスノキの大木から建造された古墳時代の船が見つかっています。

こんな感じで、クスノキは日本人の文化・生活に深く関わってきた、非常に有用な樹種なのです。決して迷惑な木ではありません。
ぼくは大好きなクスノキが皆さんに嫌われるのがイヤです。だからこそ、クスノキを庭に植えてほしくないのです。庭にクスノキを植えると、たぶんみんなクスノキが嫌いになっちゃうから。

個性は多面体

木には、それぞれ個性的な特徴があります。その特徴が、人を感動させることもあれば、人の役にたつこともあれば、人に迷惑がられることもある。ただ、特徴それ自体に悪い・良いの区別はありません。どんな特徴に、どんなときに触れるかで、その木の評価は大きく変わるのだと思います。
クスノキの落ち葉を一斉に落とす特徴は、庭に植えれば確かに迷惑です。しかし、その特徴があったからこそ、光合成効率が飛躍的に上がり、彼は日本の常緑広葉樹で最大の樹種となりました。そして、勇ましい姿を人々に披露し、木材としての価値も高めた。
庭で落ち葉の被害を受けさえしなければ、クスノキの落ち葉問題に関する特徴は「したたかな戦略だなあ」という称賛の対象にもなりうるはずです。

↑クスノキの大木。惚れ惚れしてしまうカッコ良さ。クスノキの巨木巡りは、樹木旅の醍醐味のひとつ。2021年2月16日 兵庫県神戸市

樹木のみならず、どんなものにも個性があります。その個性が、ときに自分に損害をもたらすことがあるかもしれません。しかし、そういうときに、その個性の持ち主を即座に「悪」として見るのは少々もったいない。自分が被害を被った理由は、その個性が原因なのではなく、個性と遭遇した状況が原因なのかもしれないからです。状況を変えてみれば、その個性はとてつもない”魅力”に変わるかもしれません。一回接触したときの印象だけで決めつけてしまうと、その”魅力”にふれるチャンスを失うかもしれないのです。
好き嫌いを決めるのは、いろんなシチュエーションで出会ってからでも遅くない気がします。

ぼくは運が良かったなあと思います。クスノキと庭以外の場所でも会うことができたんですから。

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